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伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

火野正平と火野葦平

2024-11-21 21:05:05 | ニュース

今日は寝てばかりいた

熱はないがかったるい

念のために風邪薬ものむ。

昨年の今頃は気管支喘息で苦しんでいた。

昨日

火野葦平が亡くなったよ・・・

麦と兵隊の?

昔の人じゃん

あぁ違った火野正平だった・・・

最近まで

自転車に乗りルポなどし

昔は遊んだというが最近の彼は

人間味のある優しい語り口で好きだった。

病気だとは聞いてないしぃー

腰を痛めての突然の死だったらしいが・・・

惜しい・・・あと10年は活躍してほしかった。

秀吉の役は適役だった・・・まだ目に浮かぶ。

二度と彼のような役者は現れないだろう。

黙とう。

ネットより

火野正平さん
火野正平さん

 

 

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会議と久しぶりのバス

2024-11-20 20:40:46 | 長生大学

今日は長生大学50周年記念実行委員会の最後の会議  

皆さんご苦労様でした。

さて

60周年記念まで元気に通っていられるか・・・

みな明日のことは分からない

いつの間にかこんな歳になってしまったワ。

帰りは買い物をしながら歩いて帰ろうと思ったが

風邪気味で薬をのんでいたのを思い出し

丁度来たバスに飛び乗って正解

館山橋が工事だったが

開通し

バスが一番近い駅前通りで停車することが分かった。

久し振りのバス

最初は1人しか乗車していなかったが

街中に入り大勢のかたが乗り込んできた。

駅前通りで降り

ウロコに寄り

ちょこっと買い物をして帰る。

昼食に間に合った・・・。

さっさと昼食を作り

頭痛が激しくなったので横になり

寝不足もあったので2時間も爆睡

すっきり。

楽しんだ50周年祝賀会でした。

思い出を再び・・・。

 

 

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通院とアカシアとドンキー

2024-11-19 23:38:46 | 健康

今日は二人の通院

寒い日だったせいか

いつもより患者さんが少なく

一時間で終了

その後

寒い中テクテク歩き、ドンキーでランチ

アカシアの落ち葉がきれいだった。

ドンキーでランチの後

いつものように道の駅に寄り

アークスで買い物をしてタクシーで帰る。

心配なので夕方娘に電話

ゆきちゃんがいなくて寂しい?・・・

辛い・・・・

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90歳の姉と二人になりました

2024-11-18 23:11:39 | 家族

昨日はすぐ上の兄の一周忌で室蘭へ

6人きょうだいが

昨年から姉と2人になった。

私は兄4人姉1人の末っ子

姉とは10歳近く歳が離れている。

法事の後は姉の家で3時間おしゃへ゛り

姉は今年90歳一人暮らしであるが

近くに姪が住んでいるので安心である。

会話は健康に始まり家の始末、家族の話

最後はお墓・・・なんか侘しい。

今年からデーサービスに通っているという

本人はどこも悪くなく介護認定もないが

お風呂が入り辛く高齢の一人暮らしと言うことで許可されたらしい

まず行くとすぐに皆で手をつないで大きなお風呂に行くそうである。

その手つなぎに笑った

私は1人でも歩けるのに・・・と姉は笑っていたが

なんか微笑ましい

そのお風呂が終わるとブザーを押す決まりになっているのだが

押さないでスタスタ歩いていると介護士さんがが飛んできた・・・とこれまた爆笑。

姉ちゃん決まりは守らなければネ、迷惑をかけるから・・・。

いくつになっても元気いっぱいの姉である。

人生100年時代

このまま健康で長生きしてほしい

70代で亡くなった兄たち3人の分も生きなければネ。

長男と次兄は72歳で旅立った・・・。

ちなみに

姉はきょうだいで一番頭が良く運動神経抜群

樺太の小学時代は毎年優等生だったらしい・・・

これ、母の自慢。

樺太から引き揚げて3年の空白があったのに中学校では

級長をしていた。

いつまでも元気でいて欲しい・・・私の目標である。

昔はダンスとカラオケもしていた

カラオケは現役で私よりも上手い。

昼食は寿司だったので夕食は姪と息子のTと4人で焼き肉金太郎

 

 

小学三年の私と姉と亡き母

若かりし頃の姉

 

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ゆきちゃんさようなら、そしてありがとう

2024-11-17 23:40:50 | 二代目キキ

早朝5時20分

電話が鳴った

あぁとうとうゆきちゃんダメだったのだ

と携帯を見るとやはり娘からだった。

ゆきちゃん5時20分逝きました・・・12時までは

息をしていたのを確認できたというが・・・。

そうか

やっぱりダメだったのだ

8月15日から殆ど食べられなく

一進一退だったが

思えば

ゆきちゃんよく頑張りました。

眼を閉じ眠るように亡くなったということ

それも自分のベットで・・・。

ララもトトも眼を開けたまま見守られて亡くなったせいか

 

独り静かに逝ったゆきちゃんがかわいそうで

切ない。

元多頭飼いのボスだったらしく

暴れん坊で声の出なかったゆきちゃんらしい

最期だった。

縁あって譲渡・・・6年娘と暮らしたが

触ることもできなかったニャンコ

11年の生涯だった。

今までありがとうそしてさょうなら

無事虹の橋を渡ることができたかな・・・。

娘からのメール

ゆきちゃんが死んで悲しい寂しい

ゆきちゃんと居て毎日が楽しかった。

寝て死んで安らかな死に方だったが

1人に慣れるまで時間がかかりそう・・・。

悲しいけれど安らかな死に方だったのが唯一の

救いです。

 

きっとゆきちゃんは娘に感謝していると思う

小さな柵の中で一生を終えるよりも大きな家で

自由に歩き回り

最期を迎えたほうが幸せだったと思いたい。

ゆきちゃんさょうならありがとうね。

 

娘のダメージが心配

法事がなかったなら

今日札幌に行っていた筈

ゆきちゃんは私を待っていたのかもしれない

それに娘の休みの日曜日に逝った・・・。

これも

偶然か

ゆきちゃんが

家猫になった日のブログ

一目ぼれ・・・猫の譲渡会

2018-07-31 23:47:03 | 二代目キキ
 28日に札幌に行き今日の夜帰ってきた。

 札幌は暑かった。今日は32度

 29日白石区の猫シェルターに行き

 猫の譲渡をしていただいた。

 

 


 娘がキキにそっくりと譲渡していただいたニャンコ

 眼がオット、アイ

 


 数万円を払いちょこっと寄付をして手続きをして

 さて

 キャリーバッグにスタッフの方が入れようとしたらスルリと逃げて


 高い窓の隙間から外に出ようとして逃げ回りそれから大変だった

 何人かのスタッフの方がかまれたりして腕に傷を負った。


 

 スタッフのかたに「こんな暴れ猫ですが良いですか」と言われたが

 娘は

 頑張ると返事

 私も不安があったがもう手続きしたし

 これも縁と承諾。

 


 バックの中では動きまわっていたが「ゆき」と呼ばれていたニャンコは

 地下鉄の中でも鳴き声一つ発しなかった。


 多頭飼いのニャンコで保護されてから半年

 大食いとのこと

 でも

 まだ抱っこは無理とのこと・・・

 馴れるのに一年位かかるかも知れない・・・と言われた。

 無事我が家に到着

 しばらくこの狭い所に隠れ

 震えていた。

 


 神経質で臆病なニャンコのようデス。

 早く馴れてくれるといいにゃー

 前途多難の予感

 

 

 

 

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