学生に「何か質問がある人?」と聞いても、大抵答えは返ってきません。
私が学生だったとしてもなかなか聞くのは勇気が必要です、見境なくズバーン!と聞ける方もいるでしょうが、私はそういう「どうしよっかなー」と思うタイプです。
「何か質問がある人は後で来て下さいね」と言うと、学生はノートやプリント持参でやってきます。そっちだと尋ねやすいものです。
また、質問したいとは思うけれど、
何から話していいかわからない、という学生もいます。
モヤモヤしたまま理解できていないことが、
そのまま残ってしまうわけです。
今お話したどちらもが、
「わからない」
という状況です。
前者は「わからないところがわかっている」
後者は「わからないところに気づいていない」
いわゆる「わからないところがわからない」
て言えます。
後者の場合。
頭の中に浮かんでいるけれど、何かしないといけないことを忘れてしまい、探し出す時、どうでしょう。
「今日しないといけないことなんだっけ」
と具体的に日にちが浮かんだりするものと
「朝から何か忘れてる気がする...」
とモヤモヤすることがありますよね...
わからない、とは
単純にはそういうことです。
どこででも生じる他愛もないことです。
なんの話かと言うと...
「わからない」ということを表に出すことは
恥ずかしいことではない...ということです。
学校生活で「わからない」と言うと、全てが点数につながってしまいます。
わからないとはけしからん!
...とでもなってしまいそうなイメージ。
それを引きずるからか、
日本では「わからない」を言いづらい環境があります。
「わからない」を、意見した!と言われたり。
もちろん言い方にもよりますが、
悪しき伝統といいますか...。
「わからない」は誰にでも起きる一瞬のことだったりします。気づきが小さい、といいますか...。
専門性を要する知識に「わからない」は問題ですが、わからない部分を追究し、
探し出すことはできます。
わかったふりが一番問題です。
「わからない」ことが出たなら、それを契機にし、わからないまま未解決にしないよう努めることが、専門家には必要です。
そして、専門家ではない場合。患者さん側ですね。
患者さん側が持っている歯の痛み、違和感、歯科治療に対しての診療内容は、ご自身でも「よくわからない」ことが多いものです。
患者さんがわからない部分は対話で引き出せるよう、そして、専門家としてその部分を解決できるように努めております。
歯の疾患は時間が経つと重症化することが多いです。
「わからない」という時点で聞いてみて、
何もなければ安心しませんか...?
なんだかよくわからないことが、たとえささやかな疑問でも明確にわかるほうが、スッキリするかと思います...。
明確にわかることを、突きつけられる、というふうに捉えられるタイプの方もいらっしゃるかもしれません。
そういう部分はこちらで汲み取り、
納得、理解頂けるよう歩調を合わせることに努めて参りました。
どうぞ早めにご相談下さいね。