子育て真っ只中、という嵐は、小さな子供の頃から考えるとくぐり抜けたのかもしれません。
ふと思ったこと...。
例えば自分だけであることを1としたら子供を授かった場合、子供を持つことは1+1=2、初めはただ単にそうでした。
自分の生活で自分の面倒をいろいろと見ますが、子供を持つと身の回りのお世話をもう一人分みないといけないわけで、それも自分とは違う小さな生き物。
母親として頭(知恵)が二つ必要だ...という感覚でした。
結果子供は三人持つわけですが、振り返ると1+3人の頭(知恵)では足りない...そんなもんじゃなかった、と感じています。
初め一人目を持った時の感覚はまだ若造の序の口段階だったな、と自分自身を振り返ります。
自分だけが1、はそのまま。自分目線で身の回りのことをやり、周辺の人々と暮らしていけば良かったからです。単位を1とします。
この発想で、子供達を育てていくのになぜ三人持てば+3では足りないかというと、
(あくまで私の育児に限定します。育児にも様々なタイプがあると思います)
成長するごとにその子供一人一人に関係者がおり、つまり人間関係が生じます。
その上、その子供一人一人に対してさまざまな気質からの想像できない問題などが出てくるからです。
それもその子が育ち行くのに超えなければならない試練のような。
親からはとても見えない想像できない裏側、後ろ側なので、それぞれの付加を+1をすると、
1+1=2。
つまり1+(2×子供の人数)の苦難が出てくるわけです。
子供三人ならば、
1+2×3=1+6=7
子供一人の時より三人になれば、3倍ではなく、なんと7倍の苦難...!
...と、不思議な計算式をたてて脳内遊びをしてしまいました。笑
ではそれに子供を育てた年数をかけてみると...
恐ろしい...
どんだけ〜の荒波を超えたんでしょうか...
自分一人よりも7倍の苦難...それらの荒波は時期をずらしながらも同時進行でノンストップで進み続けるのです...。
子育てというのは振り返ってはいけないのかもしれません。
振り返らないようにただ前を向き突き進む!
これに尽きるのでしょう。
そう身体のどこかにカリキュラムされているからこそ、やって退けることができるんでしょうね。
もちろん苦難ばかりではありません。
子育ての中に宝石のような一瞬をもらうこともあります。
しかしそれは宝石のように価値あるもので、
一瞬限り。
その瞬間がたまーに出てくるから、
「ありがとう神様!」キラキラキラーン...♪
と心が輝けるわけで...。
まさに子育ての荒波の中のお日様の一筋の光です...。
自分時間も自分のためのお金も投げ打って子育てをして行かなければいけない難航海のそんな中に、それらの宝石や光がもらえる、それに感謝するからこそ、子育てを投げないでやって行けるんだな...
などとふと思った朝でした。
今日は選挙です。
この選挙では上の子二人が選挙権を持ちました。
二人で幼稚園リュックをからっていたのに...。
三番目の選挙権は...あと何年あるかな...ふう...
今後もますます社会性を身につけて生きて行ってほしいものです。
博多灯明ウォッチング。
夏は山笠。秋は灯明ウォッチング。
博多部の町民の皆様の手作りのお祭りです。
こちらは子育てとは別の、自分の人生の中にもらえた、まさに宝石のような時間の一つです。
博多部の皆様に感謝...!