脱原発テント、撤去命令と1100万円支払い判決出たか。当たり前すぎるくらい当たり前で、どこに勝てる根拠があると思ってたのか聞いてみたい。世界の争いの原因の多くは、ああいう自分の正義を客観視できない連中だと思う。発想がテロリストなんだよ。
本当に自分たちが実現したいと思う政策があるなら、ちゃんと候補者を立てるなり自分が立候補して、それが国会内で多数派を占めるようになるまで頑張るしかないと思うのよ。それが議会制民主主義国家での正しい戦い方じゃない。「話し合いで解決する」っていうのはつまりそういうことだよ。
「平和の為なら闘争も辞さない」とか「健康の為なら死んでもいい」的な RT @rafcocc: 座り込みとかハンストとかテロで主張を通そうとする人たちは、いざとなったら戦争も辞さないタイプだと思うわ。
東京っていうのは、日本人でも気軽に訪ねて来るにはリスクの多いところだと思うし、まして言葉も通じない外国人が観光地として訪れるにはけっこうハードルの高い街だと思うな。何しろものすごい狭くて入り組んだ構造の駅ビルや地下街を、とんでもない人数が猛スピードで移動してる。
その複雑で人の多い街で、なんでこれぐらいの事故率で済んでるかっていうと、「不文律」が異常に整備されているから。この場所ではこう、こういう状況ではこう、って取るべき態度がめっちゃ細かく決まってて、それをほぼ全員が黙って守ってる。東京ってすごいところだよ。
しかもその街中に、ものすごい複雑怪奇な電車と地下鉄が走り回ってて、たいていの駅では5分以内に電車が来る。降りる駅で向かう方向もほぼ全員が把握していて、どの改札からどっち方面に向かえば良いのか、全員が最短距離で恐ろしいほど効率的に移動する。初めての人は本当に目が回ると思う。
まったく東京初心者の外国人が、5人とか10人とかのグループで自由行動なんかしちゃダメだと思うよ。大事故の元だし、あっちこっちで人ごみに迷惑をかけるし、自分自身も死ぬ思いで必死フラグ立つから余裕ないし、ぜったいに良い結果生まない。ツアーバスで回るか、東京に詳しいガイドを雇いなされ。
地下鉄の路線図ってあれ、80年代にどこかの学生さんが作ったんだったと思うけど、それまであれを図式化しようとして多くのデザイナーたちが挫けてたっていうほどすごい複雑なシロモノでさ。ググればその話出て来ると思うけど、初めてあれが出来たときはちょっとした大騒ぎだったのよ。
つーか東京生まれの東京育ちで、都内の電車や地下鉄だったらそれほど迷うことのないアタシでも、東急の路線図とか見るとたちまち発狂するし、外国人に東京メトロなんてぜったい無理だと思うよ。
半蔵門から徒歩4、5分の現場にいたとき、有楽町線で来る韓国人たちがわざわざ永田町まで行って乗り換えてるって言うから、あんたち何言ってんの麹町使いなさいよって教えたらすっごい悔しがってた。東京に2、3年いてもそんなもんだよね。
単純に考えて、なんでISISに世界中の若者が集まるかっていうと、住んでる国に居場所がないからなんじゃない?こんな国くたばっちまえと思いながら大きくなって、みんな死ねばいいのにって思いながら生活してる人が、「一緒に皆殺しやらない?高給払うし厚遇するよ」って言われたら行くよね。
休暇で来日して、日本のルールがよくわからずに自分の国のノリで振舞ったり、勝手がわからずに人ごみで右往左往したり、混雑した場所で立ち止まって地図を広げて相談してたりする中国人は確かにすごく多い。その中国人に、親切に日本のルールを教えてあげたり、道案内を買って出る日本人は少ない。
べつに罵倒しなくたって、その行為は日本では顰蹙を買うものだよ、って丁寧に教えてあげることは出来ると思うし、相手もたぶん、それを期待してるんじゃないかと思うんだ。わからないものを、誰も教えないで、ただ罵倒してるって不親切だよ。
まあここでひとつ言っておくと、
街中で大陸人を見かけて、解らないだろうと悪態つくのはホントにやめとけ。理由は二つ。
1)日本に来てる時点でそこそこの経済力はあるのだから、大概日本語は理解してる。
2)そもそも貴方は大陸人と台湾人と香港人の区別付いてますか?
先日スコットランドの18歳ぐらいの少女3人が、家族に内緒でロンドンからシリアに出航してしまった。親曰く、「学校では成績優秀で、コールドプレイが大好きな普通の少女だったのに」少女たちの同級生たちも「アウトキャストではなかった。友達もいたし、成績もよくて、医大を目指してたのに」
少女たちは事の重大さが分かっているのだろうか? よど号ハイジャック犯の中には16歳の少年もいた。彼らたちは半年したら、日本に帰ってくるつもりだった。でも、35年以上たっても帰れていないもしくは日本で服役の末に孤独死。「革命ごっこ」の延長戦でハイジャック。思春期&若者特有の暴走
③いわゆる「イスラム国」についての論評が溢れました。多くは、彼らを「狂信的テロ集団」と呼び「非人間的」と糾弾しています。けれど、ほんとうに彼らは「怪物」なのでしょうか。田原牧さんは「彼らは決して怪物ではなく、私たちの世界がはらんでいる病巣の表出ではないか」と書いています。そして、
④「彼らがサディストならば、ましだ。しかし、そうではない。人としての共感を唾棄し、教義の断片を無慈悲に現実に貼り付ける「コピペ」。この乾いたゲーム感覚ともいえるバーチャル性が彼らの真髄だ。この感覚は宗教より、現代社会の病的な一面に根ざす」とも。ぼくもこの田原さんの意見に同意します
⑤「他者への共感」の排除が、彼らの特徴なら、「怪物」は、遠くにではなく、わたしたちの近くに、日常的に存在しています。自分と異なった考え方の持ち主は、いくら攻撃してもかまわない、という非寛容な気分や空気の中で、「怪物」は、日々成長しているように思えるのです。
⑥いまから250年前、フランスでひとりの新教徒が冤罪で処刑されました。宗教的な狂信が産んだこの事件を知ったヴォルテールが「人間をより憐れみ深く、より柔和にしたい」と願って書いたのが「寛容論」でした。いま読むと、ヴォルテールが見ていた世界は、驚くほどわたしたちの世界に似ています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます