かぐや姫の物語、ラストは単純に人の死のビジュアル化なんだね。生前愛したものに祝福を与えつつ、想いも名残りも全て無に還す。あるのは残された人の感傷のみ。これが監督追悼番組という意味。
— ポヒート (@minty_pojito) 2018年5月18日 - 23:55
今から130年前に描かれた #かぐや姫の物語 。月岡芳年「月百姿」より「月宮迎 竹とり」。かぐや姫が月に帰る姿を、竹取の翁が悲しそうに見送る場面です。明治21年(1888)作。(現在、展示されておりません) pic.twitter.com/50bpZe2dTn
— 太田記念美術館 (@ukiyoeota) 2018年5月19日 - 00:20
あと、最後にかぐや姫からの置き土産の「不死の薬」を「かぐや姫がいない世界に生きていても意味がない」って燃やす帝も好きだし、燃やした薬は今でも煙が絶えないから山の名前は「不死の山=富士山」っていうのがなんそのオチってなって好き 原作の帝は顎ではないと信じてる……微妙やけど……
— きいな (@kee__na0917) 2018年5月19日 - 00:01
金曜ロードショーのかぐや姫見てたら描きたくなった落書き(一発描きしたから線汚い) pic.twitter.com/f4MLHj3P3h
— 栞 (@QuartzSodalite) 2018年5月18日 - 23:59
かぐや姫のまともな絵を1枚も描いていなくて自分の愚かさに嘆いてる pic.twitter.com/hO51Ywwbsb
— ユキ (@smile777_yuki) 2018年5月19日 - 00:27
竹取の翁を見ていて感じる救いの無さは、翁が「夕鶴」の与ひょうや「赤い蝋燭と人魚」の里親夫婦のように欲に溺れて変質してしまうことなく、最後まで善意の人であり愛情深い父親であり続ける点にあると思う。その善意と愛情で彼はかぐや姫を絶望へと追い詰めていく。
— MYK (@mykfay) 2018年5月19日 - 00:01
#かぐや姫の物語
かぐや姫を映画で見た当時、表現のしようがない気持ちを抱えたまま家に帰り「うーん」とモヤモヤしてるところで見たツイート。これでグッと腑に落ちた。 pic.twitter.com/woYuszGVLa
— だん しゅんすけ (@goldfish0511) 2018年5月18日 - 23:57
実際、かぐや姫はこの暴力(でも言い足りたい)ダメージによって、庭の手入れをしなくなり、機織りも放置、琴の音色も奏でられなくなっていた。「女」という物扱い以上に、御門の「所有物」として扱われようとしたあのシーンを男性である高畑勲監督が描いたことは重い意味がある。
— 啓 (@time_graffiti) 2018年5月18日 - 23:57
#かぐや姫の物語
かぐや姫の物語のかぐや姫、一人の人間として尊重されず、男から理想を押付けられるのを嘆いてるけど、姫も姫で「自分が醜女でも愛せる?」と試し行動したり、よく考えずに難題出して死人出したりと周囲の男を人間扱いしてないんだよね
— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) 2018年5月19日 - 00:43
基本的にアノ映画に出てくる方々、天人含めてみんな同類だと思う
かぐや姫の誰のものにもなりたくないマインドが分かり過ぎて辛い。社会にも家族にも性別にも幸福にも囚われたくない人間(かぐや姫は人間じゃないけど)の味方をしてくれるのは誰かって考えると最終的に自然しかないんだよね。自然は存在するだけで美しいし私も人間じゃなくて自然の一部になりたい
— 木の下ころく (@koroku6_) 2018年5月18日 - 23:55
羽衣を掛ける女官(かぐや姫と同じ朝倉あきさん)の描写だけど、息を引き取る瞬間なんてあんなものだと思った
— 白宙夢 (@hakutyu_m) 2018年5月19日 - 00:34
強引でいて静かなもの
死とはベールにも似ている
#かぐや姫の物語
かぐや姫の最後のお別れのシーン
— はろうたくや (@helloooo_u) 2018年5月19日 - 00:00
天人が迎えに来るところ、姫連れて帰るところのBGM「天人の音楽」がホント好き
優しい音楽なんだけど「あ、こいつらには勝てないわ」って思わせるような重さがある 物語の雰囲気と合わせて
#かぐや姫の物語
今日かぐや姫やってたんだあ
— ハル (@harujion32) 2018年5月18日 - 23:54
大学の先生が、かぐや姫ほどミステリーに満ちて誰も幸せになってない古典文学は無いと言い切ってたなあ
かぐや姫が前世でどんな罪を犯したか、地球に転生して人ではなく竹に宿った理由、罪人なのに阿弥陀様の来迎で帰れるのは優遇措置なのか徳が高いのか。全て謎。
ここからの一連ツイート、全部RTしたいんだけど長いから引用で。現状認識として極めて正確なのでは。 twitter.com/hinakoozaki/st…
— 琥珀色 (@eisei123) 2018年5月18日 - 12:44
立場は全く異なっていても(引用ツイを参照)、現状の認識はほぼ一致する。それほどに危機的な状況にあるのではないか。
— ピルとのつきあい方(公式) (@ruriko_pillton) 2018年5月18日 - 12:29
twitter.com/hinakoozaki/st…
本当に正確だと思う、この分析。
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 06:41
ワタシ的にはつい「免疫…乙女座…乙女座冥王星・天王星世代が主に暴れてる…山羊座冥王星に煽られてるのね…牡羊座(火星、男性性)をボコボコに折ろうとしてる…」とか思っちゃう
違う。
— ほしのたかやす@福の看護師 (@tkstarys) 2018年5月18日 - 01:25
性教育を10年やってわかったのは、
「“この世に誕生した時に両親に喜ばれず家族に愛されず、虐待されながら育った”子もいる。そしてそういった環境が早期の性行為、援助交際、若年妊娠性感染症につながりやすい」こと。
相手の人… twitter.com/i/web/status/9…
私も例の漫画はRTしながら違和感があったんだけと、この辺りの言説に集約されてるよな…>大切にされて育つ子が全てじゃないし、大切にされなかった子こそ性教育が必要
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 06:45
自分は大切にしようよ。例え周りの大人が何を言っても、自分を守らなきゃならないよ、ということを言わないといけないんだよね。
これは人生の豊かさに何ひとつ貢献しない知識なのですが、仲の良かった二人が一線を越えると、みんなでわいわい話をしている時でもその二人で言葉を交わすときだけ声がワントーン低くなります。それに気づくと「あ」と思いますが、「あ」と思うだけで人生は何も豊かになりません。
— ジロウ (@jiro6663) 2018年5月17日 - 15:03
高畑監督の演出がすごいのは、地井武男さんが演じたこの翁が、自己中心的な悪い父親ではなく善人、何よりも娘を溺愛し娘の幸せを考える、それゆえにじわじわとかぐや姫の首がしまっていく描写がハンパなくリアルなんだよね。『火垂るの墓』もそうな… twitter.com/i/web/status/9…
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年5月18日 - 21:47
3年前も書いたが「平民の私がまさかのお姫様に!?5人のイケメン貴族が私を奪い合ってもう大変!そしてそして、最後はなんとプリンス帝が私に…!」という実写映画『かぐや姫の物語~イケメン☆パラダイス~』的な話をよくこんな地獄アニメにでき… twitter.com/i/web/status/9…
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年5月18日 - 22:31
とにかくこの月の人々から漂う「死の世界」のにおいがハンパではない。怖い。高畑勲という監督は生を尊ぶヒューマニストである反面、明らかにそういう不気味な感性を持っていた人だと思う。
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年5月18日 - 23:40
#かぐや姫の物語
ここで不気味な音楽や荘厳な曲じゃなく楽し気な音楽でやってくるのがすげえあの世感があって怖いんだよな。高畑監督、ほんとにこういうのが天才だと思う。
— cdb (@C4Dbeginner) 2018年5月18日 - 23:35
#かぐや姫の物語
かといって、かぐやひめの置かれた状況で、ただ、「生」を、かぐやひめ個人の望む生き方をするには、かぐやひめは無力であった事がとてもしんどいし、一緒に生きたかった捨て丸にいちゃんは結婚して子供までいたし、絶望のその先に行くには時間もなく、か。
— さすが多摩湖♡バーエデン5月14日多摩湖バー (@tamako_han) 2018年5月18日 - 23:43
かぐや姫の物語論としては、故・雨宮まみ氏のこの記事がなかなか秀逸だと思う。でも映画を見てもこれも読んでも思うのは、「この映画は、こじらせ女子が大人の責務を拒否ってる話なんだよなあ」ってことなんだよね
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 07:37
mamiamamiya.hatenablog.com/entry/2013/12/…
こじらせ女子という概念を作り論じていた雨宮氏だからこそ、号泣して「よくぞ言ってくれた!」と思ったと思うんだが、どうしても「可哀想なわたくし、なんて生きづらい世の中」って憐憫まみれの嘆きのほうばかり目についてしまう。
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 07:37
いや…なんでかなあ…現代はそこまで辛くないよねと思っちゃう
かぐや姫の物語は現代の価値観を過去に持ち込んだものだと思う。現代の女子が平安時代に来たらこんな感じに思うんじゃない?竹取物語の原作に忠実なのだとすると、それを昔の人が描いたってことは凄いなーとは思うけどね、ちょっと原文読んでもよくわかんないんですよね。
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 07:37
ブログで挙げていた「女子の生きづらさ」は私も散々体験したよ。私なんぞ醜女として人間性すら否定されとったわ。勉強したら結婚できないとか面倒くさい女とか、さんざん言われて叩かれたのを、全部ふっとばして社会に飛び込んで生きた。そしてそもそも、生きること自体がキツイということを知った。
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 07:37
だから今の私は、かぐや姫の物語を見ても、当時の社会環境や価値観はそんなもんだろうなと思うし、どんなにご託を並べても、現実のシビアさを無視して「わたくしは少女のままでいたい」と時折ヒステリックになる彼女には共感できないし、男性側の事情ばかり目についてしまう。
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 07:37
だって食べること、居住環境を整え安定すること、子孫を残すこと、育むこと、大変だったんですよ、あの時代は。いや、今でも大変なんですよ。
— わにのたまご (@waninon5050) 2018年5月19日 - 07:37
「ほしいほしい」とねだりつつも受け身を崩さない、崩せないかぐや姫。それは彼女が「姫様」だからであり、そこで止まってるからなんだと思う。
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