セーラー服姿のオードリー・ヘップバーン、1951年
Audrey Hepburn in sailor costume 1951 (Milton Greene) pic.twitter.com/bdnL1fPrcw
やってる事は今も昔も変わらないけど感性が素晴らしいです。その足4本のやつ、何ですかあれ…キモすごい。
中世ヨーロッパの学生たちも教科書に落書きしていた…当時の本に描かれたユニークな絵 labaq.com/archives/51842… @lbqcomさんから
猫神社かわいくて私もつくった。
「サオリはゴミしかつくらない」
って言いながら紙テープ持ってきた母の横でがんばった。 pic.twitter.com/R5JW8auwXD
@cro_iz 突然すみません。御賽銭箱に頭を突っ込んでる写真が流れてきて、感動して便乗してしまいました。後に全体図が流れてきて瓦なども作ってあってさらに感動しました(私にはこれが精一杯ですが…)。パクりなのでご報告させて頂きました。 pic.twitter.com/bRVrxqUCrZ
これは一年半前に撮影した小屋掃除に絶望して不貞寝してる餅太郎さんの写真です 彼は本当に感情豊かで不思議なハムスターだった… pic.twitter.com/RKjzOX2Izt
表現の自由への暴力による報復は絶対的に許されない、に議論の余地はない、というのはわかるが、だからといって表現の自由側に何の責任もないわけではない、と言うと「薄着の痴漢被害者にも責任があると言うのと同じ」とか言う人が出てくるがそれは筋違いだろう。薄着の被害者は痴漢を冒涜していない。
これって「冗談だよ、冗談w なに本気になってんだよ」って、弱い奴を虐めてる奴が言う台詞と同じで全く共感できない。
「犯人はユーモア失っていた」 仏紙風刺漫画家が会見asahi.com/articles/ASH1G…
今件に私が感じる「嫌な気分」は、自分がかつて「いじめられっ子」であり、規範に基づいた「集団的いじめ」を受けた体験がうずくからだろう、とセルフ分析してる。正論による、強者側の「あはは、それくらいで怒るなよ」という嘲り。受けた人間だからこそわかる暗黒部分だ。
太田昌国さんが「シャルリー・エブド襲撃事件」について書いています。「戦争」と「テロ」を差別化する論理が覆い隠す本質
jca.apc.org/gendai_blog/wo…
当委員会はこの流れになるとは思ってたが、これまでテロとの戦いをそれなりに冷めて見てたフランスがこういう方向に舵を切るのは少し物悲しく感じる。自分らが被害に遭わなければ腰をあげなかったという点も。
非暴力の抵抗とフランスのデモを持ち上げていた人らはどう思うのだろう。熱狂のうちに戦争へと進んでいくこの流れは911のアメリカと全く同じだ。彼らの多くはそんなアメリカを批判してた人たちではなかったか。あの熱狂がこうなることを彼らは予見できなかったのか
普段は「集団的自衛権で他国同士の紛争に巻き込まれる!」などと声高に叫んでる方面に限って、「なぜ安倍首相はパリのデモに参加しないんだ!」と声を上げちゃうんだから、笑いを通り越して、薄ら寒くなる。〝地獄への道は善意(と無知)で舗装されている〟ということか。
( ´ω`) 知らん人の発言なのでRTやリンクは避けるのだが『表現の自由への暴力による報復は絶対的に許されない、に議論の余地はない』という意見を見た。これは正しいんだけど、それは非“宗教”の立場からにしか過ぎない、とも思ってる。悪く言うとこれは、西側世界の驕りではないか。(続く)
(続き)( ´ω`) この驕りは、言い換えると「自分たちの価値観への信仰」ではなかろうか。とすれば今フランスで起きているのは、信仰と信仰との衝突であり、どちらも折れることが出来ない地獄への一本道なのではないか。そんな風にも思えるのである。(終)
( ´ω`) 双方が同じ文化を共有できてもいないのに、「涜神の伝統」とかで他人の宗教を冒涜するのももにょるし、その報復は死とか噴き上がられてももにょる。どっちの文化も俺は理解できないし同調も出来ないから。
twitter.com/Kazzz/status/5…
餘りにも言葉が軽いから敢て使わなかったんだけども、コレに至って使うしかないな。ただのいじめっ子じゃねぇか、と。
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