司馬遼太郎は前の大戦における日本を「リアリズムと正直」の欠如だったと批判した。
戦後ことあるごとに「戦争になる」「徴兵制になる」とうそぶき、デモの人数を数倍に脹らませて発表するような「リアリズムと正直」なき者に国をゆだねてはならない。それがあの戦争に対する反省というものであろう。
.@crmoframe さんのコメント「中国の兵法書・六韜「交渉の為に隣国から使者が来て、その者が無能ならば大いに与え、歓待せよ」
これを中共は忠実に実行してるんだが、今時..」にいいね!しました。 togetter.com/li/867304#c212…
.@Dullahan さんのコメント「全文読めと云う方がおられるので読みに行きましたが、やっぱり「酒飲んで会話することでぼくが抑止力になります」という話でした。」にいいね!しました。 togetter.com/li/867304#c212…
フランス革命なんて昨今の専門書を一冊でも読んだら「これは人類史上最悪の愚行の一つ。もう二度と繰り返してはならない。」って感想持つのが普通だと思うので、未だに幻想を持っている人は知識のアップデータが出来ていないのだと理解するようにしてる。
@1059kanri 理想だけが先行した結果に起こった壮大な脱皮期だった訳ですが、ナポレオンが生まれなかったら早晩破綻してたとか言う危うさ。いやアレ、ナポレオンが生まれなかったら総裁政府も出来ないで、国力が疲弊した公安委員会がひたすら内ゲバを繰り返して自沈してたのでは。
平和とはまず、人知れぬ所で争いの種子を蔵した自分と闘う事から始まるのではないのか。須賀敦子らが言う「内なるファシズム」との真剣な対峙を経ない者の言葉を、どうして信用する事ができるだろう。敵は常に外にいると疑わない者達が集まった時、争いが始まる。歴史はそう語っているように思われる。
ご本人は「この言葉はデモに集まった若者にではなく、大人たちに」と仰ってるが、モロにあの「暴力と暴言に溢れ、現政権を悪しざまに罵る」デモに集まった人たち全員に向けた言葉になっているのではないか?
twitter.com/yomutokaku/sta…
戦争法案などと、事実とは全く違う妄想の藁人形を仕立てあげ、現政権や特定個人に対して誹謗中傷、あることないこと喚くことの、何が「自分との闘い」だというのだろうか。若者達に対して、大人が見せる指針としては、あまりにおろそかで幼稚で恥ずかしい。知性の欠片もない。
歴史を紐解くなら、もっと自分のバイアスを外すべきだ。何故日本は戦争に突き進み、そして負けたのか?あのデモこそが、その「いつか来た道そのもの」だ。それを見ようとしない人間が、内なる争いの種を直視しているとは、とても思えない。
ヤマト~~!今度は赤のラインをマゼンタでやってみようかな。あんまり発色良くなかった…(´・ω・`)
#硝子昆虫 pic.twitter.com/0WXy7pa1OT
あったかいうちは青いらしい。冷めると色がでるようだ。
カメラの補正で周りの色が違って見えるけど、本当にこんな青だったのよ…!
#硝子昆虫 pic.twitter.com/Rn18SxLE9G
情けないね。
なんでだろうな…。
なんで、占い師も軒並み「民衆の歌」を支持するのかな…
もう涙がでるわ。一体何のために、星を見てるんだよ
私はこうやって星の世界でも、独りで異端児なんだろうか…
「フランス革命への良い評価」というのは、ごく一部の支配層が国の富と権力を独占し税金すらかけられていなかった世界(現代の富の集中よりもさらにエグい)からのパラダイムシフトを評価しているのであって、現代的・歴史的な視野から見た暴力と虐殺の連続への評価ではないよ。
デモの人数がいっぱいで、フランス革命の再現だって言ってる人間がいるけど、大きな違いがある。フランス革命前のフランスの政権は、絶対王政のブルボン朝だが、日本の今の政権は、民主主義的に選挙で選ばれた内閣ということ。少数派によって多数はが選んだ内閣が倒されるのは民主主義の敗北だと思う。
俺たちの言ってることは正しい→批判者は敵だ→批判者を罵倒→同じ考えの人「いいぞ、もっとやれ」→横で見ている別の考えの人、ドン引き。ネット見てるとこういうのばっかり。味方になるのはもともと味方の人だけ。敵はどんどん増える。これではいつまでたっても多数派にはなれない。
@motoken_tw そうなんですよね。民主主義における政治って、要は多数派工作のはず。立場の近い者をさえ罵倒してやまない運動って、成果が乏しいのを宿命づけられてますね。
別のSNSで私の好きな二人の宰相の器 村田新八と児玉源太郎の話になった。二人とも西南戦争、日露戦争で命を磨り減らし、その大器を咲かせる日はこなかった。いつか今の仕事が退けたら、趣味で二人のことを調べようと思っていたのだが、近年、児玉源太郎に関してはかなり気になる本が出ている。
歴史にIFはないので社会SF小説風でも良いのだが、児玉がもう少し長生きをして、日露戦争後、参謀本部総長として、統帥権干犯問題にメスを入れ、文官統制を立憲主義の下で位置づけできたらどうかという空想が主題だ。伊藤博文は児玉を首班とする構想を持っていた傍証は多い。明治帝も支持したろう。
山口二郎「安倍に言いたい、お前は人間じゃない。たたっ斬ってやる!」←民主主義は「お互いに人間だから、どんなに意見が違ってもたたき斬らない。」のが原点ではなかろうか。たとえ比喩でもこれはねえ… 別に安倍さんは民族差別や軍拡を露骨に掲げてる訳でも無いのに左派のこの憎悪は不思議である。
さっき RT した、「民主主義は『お互いに人間だから、どんなに意見が違ってもたたき斬らない。』のが原点ではなかろうか。たとえ比喩でもこれはねえ…」というのが、健全な市民の感覚だと思う。
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