…ほんと、怒りを禁じ得ない…
どれだけ人の心を弄べば気が済むのか。悪魔の所業だ
私は「差別もイジメも根本的には無くならない」と考えているけど、それを裏付ける結果だと思う。「縄張りや仲間」を認識するために必要な本能に関係するのではないか、とは以前から思ってたの。だから完全には無くせないが、体験を通して自覚することで、緩和出来るのではとも思ってるんだよね。
「敵か味方か」を判断し、それに対して受容か排除かを決定するのは本能からだけど、その決定時に「情報のひも付け」をすることは出来る。そのバイアスにより差別(相手のステータスで立場を決定する)が生まれると思うので、ひも付け情報とそのバイアスを自覚すれば理性で制御は出来るのでは、と
差別はイクナイ!と条件反射で言われがちだけど、生存する上でバイアスをかけ瞬時に反応し区別することが必要って事もある。単に完全否定するのではなく、これは本能であること、社会生活を営む上でバイアスが時にエラーになり得ることを、学生時代にイジメを通して学ぶ事ができればいいなと思ってる。
私は散々イジメで酷い目にあった。でもその時、イジメを乗り越えた成功体験もしているんだよね。逆もあったけど、結局は教師側の対応の違いがハッキリと出た。
学生時代のイジメは、本能を理性で制御することを学ぶチャンスだとも思ってる。
記事にもあったが、本能、というか感情部分は、社会認識全体が変われば変えることはできるけど、時間がかかると思うんだよね。頭でわかってても腑に落ちない、ということは良くある話だ。だから差別と戦う人達は、焦ってはダメだと思う。感情から生まれる反動や拒否反応は、とても強いものだからね。
鈴を転がすような優しい綺麗な声で
耳に残るようなひどいことをペラペラ喋るひとあんまり見ない
声があたたかいひとは
発する前に 言うぞ て頭が働いてるからだと思う
思うと喋るが同時なひとは
喉に緊張感がない声色
思わずハッとした>RT
確かに、気を張って、相手に心を込めて話しかける時と、ぼーっと単にしゃべっている時とでは、全然声色が変わってると思う、自分でも。
電話口でオフィシャルボイスで応答すると「何その口ぶりww」と笑われる時も…そんなに普段はダミ声なんか私^^;
私は宗教観とは、その民族が発展した環境から生まれるものだと考えている。日本列島は地震や台風、洪水など厳しい天災にも襲われる反面、豊かな水と自然に恵まれた環境でもある。破壊も恵みも自然がもたらし、ともに共存するもの。仏教より前のアミニズム的宗教概念こそが日本人の根底にあるのだと思う
対して砂漠の民の生きる環境とは、日本列島とは比べ物にならないくらい苛烈な厳しさで、宗教とは、その厳しい自然環境の中で社会的秩序を保つために、生理現象のひとつひとつすら規定する「仲間内の掟」だ。日本人には理解できないほど厳格なものだし、守らないということは死を意味する。
なんとなくいつもそばにいる的な、ゆる~い神様ではなく、砂漠の民にとっての「神」とは、絶対唯一無二のものなんだと思う。例え理解出来なくても、そのギャップを理解する努力は必要じゃないかと思う。
池内恵さんのブログ等でも、それを何度も私たちに説いているし、勉強になる良い記事が多い。是非
仏教に中途半端なスピ系概念をくっつけるから、原点に正しく回帰せず、いい加減な「落とし所」になり、結果的に「物足りなさ」を感じる人が発生するのだろう。それこそ古代神道こそが「原点たる役割」に相応しいのだろうけど、仏教家としては受け入れがたいものがあるかもしれないね…。