今は、誰も「くろひめ」という名前は使わないのですが、その古墳が「山手」にあります。どうして、そんな名前がこの古墳に付いたのでしょうか??
その謎に迫って見たいと思います。それが古事記にある仁徳天皇の后「石之日売命」と関連して出てくるのです。
ある時、天皇は、こんな噂を耳にします。
此の度、吉備の国から来た「黒日売」という女(ひと)は
“其容姿端正<ソレカオヨシトキコシメシテ>”
「大層美しい人ですよ」という評判です。<カオヨシ>と読ましていますが、“容姿端正”ですから、顔だけでなく、姿、形も、端正だったのですから、整っている大変な美人だったのではと想像できます。こんな人が吉備には沢山いたのです。恐らくこんな表記はないのですが、当時の日本一の美人国だったことが伺えます。兄媛しかり、稲日大女郎を始め沢山の古代を代表する美人が続発するように現れております。
さてと、黒日売は???
その謎に迫って見たいと思います。それが古事記にある仁徳天皇の后「石之日売命」と関連して出てくるのです。
ある時、天皇は、こんな噂を耳にします。
此の度、吉備の国から来た「黒日売」という女(ひと)は
“其容姿端正<ソレカオヨシトキコシメシテ>”
「大層美しい人ですよ」という評判です。<カオヨシ>と読ましていますが、“容姿端正”ですから、顔だけでなく、姿、形も、端正だったのですから、整っている大変な美人だったのではと想像できます。こんな人が吉備には沢山いたのです。恐らくこんな表記はないのですが、当時の日本一の美人国だったことが伺えます。兄媛しかり、稲日大女郎を始め沢山の古代を代表する美人が続発するように現れております。
さてと、黒日売は???