私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

望瞻

2015-06-25 15:04:02 | 日記
 仁徳天皇は、折角、妃にした黒日売が、大后の仕打ちから逃げるために吉備の国へ帰る様子を、そっと高台に登って座って一人静かに見送ります。それを古事記には

 “天皇坐高台望瞻其黒日売之船出浮海”

 と出ております。“出船浮海“と同様”望瞻”も、独特の読み方、<ミサゲマシテ>としております。
 高台から海に浮かぶ舟を見るのですから「見下げる」のです。それも宮殿の高台から港までですから、相当距離があると思います。だからこそ「望瞻」なのです

 一寸この絵をご覧ください。

   

 此の絵は北斎の「富嶽百景」にある、旅人が遠くの富士を眺めている絵です。見上げている絵です。「仰望」とか「眺望」という字がふさわしいと思いますが、「黒日売」が吉備に帰国する時その様子を、仁徳天皇は、目を皿のようにして、彼女の一挙手一投足までを、我が目の中に入れておこうと、必死な眺めております。、その様子が「望瞻」なのです。

 なお、瞻<セン>は「遠くを見やる」とか「上から見下ろす」という意味があるのですが、元々は「手を目の前にひさしのようにかざして見る」という意味からできているのだそうです。

 何度でもか書きますが、本当に此の古事記に書かれてある一字一字には、そこに込められている主人公の気持ちを十分に把握して、その場に、最も、相応しい漢字を選びだして、しかも、その状況が、読者が手にるように分かるような読み方を工夫しております。

 「出船浮海」を<フナデスルヲ>、「望瞻」を<ミサゲマシテ>とです。

 なお、蛇足ですが、此の天皇が高山に登って国民の生活お様子を見られた時は
 “天皇登高山見四方之国”
 で、「望」「眺」「観」「覧」「視」いずれでもありません。ただ、「見」です。何となく強制的でもなく自然なその場のあり様が生き生きと描きだされております。その辺りの言葉の使い分けも大変うまいものだと感心せずにはおられません。

 どうでしょうか、あまりおもしろくもない事を、あれこれと、申し上げました。お許しください