日本書紀の「衣通郎媛」についても、ごく簡単に触れるだけにしようと思ったのですが、それを読んでいけばいくほど、その中に登場する人物それぞれの思いが夫々におもしろく、ついつい、随分と、長く書き続けてまいりました。退屈でしょうが、いましばらく、天皇と皇后、そして、主人公の衣通郎媛の3人の想いの変化を見て行きたいものだと思いますのでお読みいただけると幸いに存じます。
さて、天皇が物陰からこっそりと郎媛を見られているとも知らずに”虚予比斯流志毛<コヨヒシルシモ>”と歌います。それをお聞きになられた天皇は
“有感情而歌之曰”
これを、<メデタマフココロ アリテ ミウタ ヨミシテ ウタヒタマフ>>と、少々長く、読ましております。何のことはありません。ただ聞いて大変嬉しがって歌を詠まれたと言うことです。少しばかり大仰な表現でとは思われますが。でも、「感情」を、<メデタマウ>と読ましているのには、なかなかうまい読み方だと思われます。これを「宇治谷 猛」は“感動されて”と訳されておりますが、少しばかりその訳し方に違和感を私は感じております。「感動する」ではなく、「ついつい嬉しくなって」ぐらいの方が、この場の説明では、いいのではと思ったりもしておりますがどうでしょうか???
その<ミウタ>は
“佐瑳羅餓多 邇之枳能臂毛弘 等枳舍氣帝 阿麻哆絆泥受迹 多儾比等用能未”
<ササラガタ ニシキノヒモヲ トキサケテ アマタハネズニ タダヒトヨノミ>
です。少々エッチな御歌です。「ササラガタ」というのは「細い形=小紋」のと言う意味になり、「今宵、貴方の着けている細い腰紐を解いて、幾夜とは言わない、せめて今夜だけでも一緒に寝ましょうよ」
と、そのまま二人はその夜を共にします。
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