私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

天皇は歌います

2015-08-21 15:46:09 | 日記

 無心に菘菜を摘む嬢子の側に寄って、ご自分も一緒に摘みます。自然とその口からお歌が流れます。

 ”夜麻賀多邇<ヤマガタニ> 麻祁流阿袁那母<マケルアオナモ> 岐備比登登<キビヒトト>
 等母邇斯都米婆<トモニシツメバ> 多怒斯久母阿流迦<タヌシクモアルカ>”

  現代語訳は「山縣に 蒔ける菘菜(アオナ)も 吉備人と 共に摘めば 楽しくもあるか」です。

 「山縣」は山の畠です。縣は「アガタ」で上田(あがりた)で、「畠」を意味します。「菘菜」は「アオナ」と読ましております。本居宣長は、これは「蕪菁」「蔓菁」のことで、「かぶら」だとしております。自然に生えている青菜ではなく、栽培している蕪です。自然に生えている春の七草の「すずな
」ではありません。その頃ようやく、その「すずな」を改良して、野菜として食せるように改良して作った新種の野菜だったのでしょう。 そのような大変珍しいものを、わざわざ自分の為に、“大御羹”として食膳に供えるために自ら採ってくれているのです。感激が一入だったことに違いがありません。それも自分が以前から恋焦がれている麗しの黒日売と一緒に摘めるのです。その喜びの心が、歌として、その口から飛び出してくるのも当然でしょう。

 そのような仁徳天皇の心になって、もい一度この歌を口に出して読んでみて下さい。

   “山縣に 蒔ける菘菜(アオナ)も 岐備比登登 共にし摘めば 多怒斯久母阿流迦”


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