さて、この酒造りの名人「須須許理」が我が国に来てお酒を造りますが、どんなお酒かは何も説明がありません。
お酒の話は古事記にはそれまでにたびたび出てきます。最初は「八岐大蛇退治」の時です。この時の酒は「醸八塩折之酒」<ヤシホオリノサケヲカミ>ですが、この古代酒はあまりアルコール分が高くなかったのでしょうか、八度の絞り直して作った大変に濃いお酒だったということがわかります。なほ、「醸<カム>」ですが、一般に言われているような口で咬んで造るのでなく、醸造して作る方法を言うのだと宣長先生です。
このスサノヲの時代はお米からではなく黍などの雑穀から造られていたのではないかと思われます。
また、このオホクニは妻の嫉妬から避け逃げるように大和へ行こうと家から出ようとする時にその妻の“須勢理毘売<スセリヒメ>が夫のオホクニへ
“其后取大酒坏。立依指挙而<ソノキサキ オホミキサカヅキトラシテ タチヨリササゲテ>”
お酒を差し出します。そのほかに、応神天皇の母がスクナヒコナが醸したお酒だと言って幼少の我が子に「待酒」を出したという話もありますが、これらの酒は、まだ、現在のようなお米から作られたお酒ではなかったのでは考えられます。粟や黍などからの雑穀やブドウなどの果物類からのお酒ではなかったかと想像されますがどうでしょうか???
本格的なお酒は
“須須許理”
によってもたらされた応神天皇がこの時に飲んだお酒だと思うのですが???
お酒の話は古事記にはそれまでにたびたび出てきます。最初は「八岐大蛇退治」の時です。この時の酒は「醸八塩折之酒」<ヤシホオリノサケヲカミ>ですが、この古代酒はあまりアルコール分が高くなかったのでしょうか、八度の絞り直して作った大変に濃いお酒だったということがわかります。なほ、「醸<カム>」ですが、一般に言われているような口で咬んで造るのでなく、醸造して作る方法を言うのだと宣長先生です。
このスサノヲの時代はお米からではなく黍などの雑穀から造られていたのではないかと思われます。
また、このオホクニは妻の嫉妬から避け逃げるように大和へ行こうと家から出ようとする時にその妻の“須勢理毘売<スセリヒメ>が夫のオホクニへ
“其后取大酒坏。立依指挙而<ソノキサキ オホミキサカヅキトラシテ タチヨリササゲテ>”
お酒を差し出します。そのほかに、応神天皇の母がスクナヒコナが醸したお酒だと言って幼少の我が子に「待酒」を出したという話もありますが、これらの酒は、まだ、現在のようなお米から作られたお酒ではなかったのでは考えられます。粟や黍などからの雑穀やブドウなどの果物類からのお酒ではなかったかと想像されますがどうでしょうか???
本格的なお酒は
“須須許理”
によってもたらされた応神天皇がこの時に飲んだお酒だと思うのですが???
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