「妾弟。名弟媛焉」と、皇后は名乗らざるを得なかったのです。名乗ると言うことは、既に、その娘子を天皇の妃に献上すると言うことに定まっておると言うことです。自分の皇后としての立場もあやふやなり、その籠愛が、それも自分の妹に独占されること間違いなしと思っていたのだと内心思っていたのです。そこら辺りの皇后の思いも、この“不獲巳<ヤムコトヲエズシテ>”の三語の中に含まれておるのです。
何ゆえに皇后までもがそのように思ったかという理由が、書紀には、次のように記されております。再び、私の持つ江戸期の日本書紀をどうぞ!!!少々傷んで、字の消えてしまった部分もありますが
ちょっとばかり見ずらいと思いますので、それを書いておきます。
”弟媛容姿絶妙無比其艶色徹衣而晃之以時人號曰衣通郎媛也”
と。
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