ついに2週間以上更新しなくなってしまった当ブログ。明らかに意志が弱くなっていると感じますが、これからこそはもう少し更新頻度を上げます。全開に引き続き、近親結婚がもたらす恐ろしさについて。今回は、実際に起きてしまった歴史上の悲劇、ハプスブルク家の断絶を取り上げる。もとになった論文は、
The Role of Inbeeding in the Extinction of a European Royal Dynasty
Gonzalo Alvarez, Francisco C. Ceballos, Celsa Quinteiro. PLoS One. 2009;4(4):e5174. Epub 2009 Apr 15.
である。
そもそもハプスブルク家とは何か?そのためには、中世ヨーロッパに生まれた神聖ローマ帝国なる国の説明が必要である。神聖ローマ帝国は、962年に現在のドイツ・オーストリア・オランダ・ベルギー一帯に成立した国で、ハンガリー人を撃退したオットー1世という将軍がローマ教皇から皇帝に任命されて成立した。これは、天皇に征夷大将軍に任命されて成立した鎌倉・室町・江戸幕府と似た仕組みである。この神聖ローマ帝国は、11世紀以降皇帝の支配力が衰え、江戸幕府でいう藩のような「領邦」と呼ばれるの地域の自治が進んだ。この地方はこの殿様一家が支配する、という感じで、分裂していったのである。室町幕府の力がなくなって各地に殿様が乱立して勢力を争った戦国時代のようなもの。そしてこの神聖ローマ帝国の特徴は、皇帝が有力な領邦の君主の間から選挙で選ばれたという点。一家代々世襲で皇帝や王が選ばれた国とは異なっている。しかし、15世紀以降、現在のオーストリアを支配していたハプスブルク家が一貫して皇帝に選ばれていき、実質的に世襲化していく。ハプスブルク家はもともと、一地方の名門に過ぎなかった。
このハプスブルク家は、15世紀以降領土を拡大していくのだが、その方法は戦争で土地を奪うのではなく、結婚して支配権をとるというものだった。マクシミリアン1世はブルゴーニュとネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)、その息子フィリップ1世はスペインを、各国の女王と結婚することによって獲得。その息子カルロス1世の時代に、ハプスブルク家はオーストリア(オーストリア=ハプスブルク家)とそれ以外(スペイン=ハプスブルク家)に分裂してしまうのだが、カルロス1世の息子フェリペ2世の時代には、スペイン=ハプスブルク家はポルトガルも獲得して巨大な国に成長した。
しかし、このハプスブルク家に問題が起き始めた。後継ぎがあまり生まれてこなくなったのである。フェリペ2世ははじめポルトガル女王マリアと結婚したが、マリアは息子ドン・カルロスを出産後4日で死亡、ドン・カルロスも若くして死亡した。次にイギリス女王メアリ1世と結婚したが、子に恵まれないままメアリ1世が死亡。その次はフランス王女エリザベートと結婚したが息子には恵まれなかった。最終的に、フェリペは姪にあたるオーストリア=ハプスブルク家のアンナと結婚し、息子フェリペ3世を設けた。それよりずいぶん後の王であるフェリペ4世も、初めの妻との間にできた息子が若くして死んだため、その後姪と結婚して息子のカルロス2世を設けた。叔父と姪は、かなりの近親関係である。
普通今の常識からいえば、子どもができないからと言って姪と結婚することなどあり得ない。しかし、ハプスブルク家では近親結婚が頻繁に行われていた。一つには自らの神聖な血統の保持のあため、もう一つには同じ社会的地位のカトリック教徒でないと結婚できないという制約のため、必然的に近親結婚が増えていったのである。
ここに、近親関係を表す図がある。①は叔父と姪、あるいは叔母と甥。②はいとこ、英語だとfirst cousin。③はややこしくて、片方のいとこと、もう片方のいとこの子供という関係で、日本語では「いとこ半」「いとこ違い」といい、英語ではfirst cousin once removedという。④はいとこの子供同士ではとこ、英語ではsecond cousin。⑤は凄まじくて、いとこ同士の結婚が2つできて、その2つの結婚で生まれた子供同士。日本語では呼び名がないが、英語ではdouble first cousinという。
こんな関係での結婚が、ハプスブルク家にはわんさか存在した。こうした結婚を何度も繰り返していたら、失敗作のマニュアルを2つ持ってしまう子供が生まれてくる。つまり、病気の子供が増える。実際に、ハプスブルク家では身体と精神に障害を持つ王が生まれてしまった。それが、フェリペ2世の息子で若くして死んだドン・カルロスと、フェリペ4世の息子で後継ぎを残せぬまま死んだカルロス2世だ。下に示したのが、ハプスブルク家の代々の家系図である。書いてくださった大学の同級生に感謝。
ところが、アジアのいくつかの地域では、近親結婚は今でも行われている。ハプスブルク家が特別とんでもない近親結婚をしたというわけではないらしい。では、なぜ今のアジアでは子孫が病気になる問題が起きていなくて、昔のハプスブルク家では2人も病気で早死にするような子供が生まれてしまったのか?それを科学的に検証したのがこの論文。ある子供の両親の血縁の近さを表す、計算可能な「近交係数」という指標を使って、16世代にわたるハプスブルク家の家系図からドン・カルロスやカルロス2世の近交係数を計算した。近交係数は0から1までの間の数字で表され、大きいほど近親関係が強い。
すると、ドン・カルロスやカルロス2世は近交係数が0.2を超えていた。ドン・カルロスは両親がdouble first cousin、カルロス2世は両親が叔父・姪だったのだが、ふつうのdouble first cousinや叔父・姪の結婚では、子供の近交係数は0.125という数字になる。では、なぜ数値が高くなったのか。理由は、ドン・カルロスやカルロス2世よりもずっと前の代から、近親結婚がずっと行われてきたからだという。近交係数の計算をするために使う系図の範囲を狭めると、彼らの近交係数の計算値は一気に下がるのである。つまり、彼らの近交係数が異様に高くてしかも病気になってしまったのは、単に親が近親結婚をしていた(アジアのように)だけではなくて、先祖代々近親結婚が行われていたからなのである。
そして、ドン・カルロスの父親であるフェリペ2世や、カルロス2世の父親であるフェリペ4世が初めの妻との間に息子をもうけられなかったことも大きい。この2人のはじめの妻は、ほとんど近親関係になかったので、子供をもうければその子の近交係数はぐっと下がるはずだった。ところが、偶然初めの妻との間に子供ができず、父親は姪と結婚することになってしまった。このせいで、ますます一家の近親結婚が加速されたのである。
そして、この論文ではカルロス2世の病気が近親結婚のせいかどうかを検証している。彼の症状は、
・頭が大きく胸が弱々しかった
・4歳まで話せず8歳まで歩けなかった
・背が低く痩せていた
・無気力で周囲の者に関心を示さなかった
・第1王妃マリア・ルイサいわく「射精がpremature」、第2王妃マリア・アンナいわく「impotency」
・突発的な血尿と、吐き気・嘔吐に苦しんだ
・30歳で老人のような見た目、足と腹と顔に水腫(むくみ)
・晩年には幻覚と痙攣に苦しみ、39歳で死亡
というなかなかひどいものだった。こうした症状は、2つの病気が重なったせいだと推理された。つまり、マニュアルに2か所まずい個所があった。2つの病気は、「複合型下垂体ホルモン欠損症」というホルモンの病気と「遠位尿細管性アシドーシス」という腎臓病だそうである。この2つの病気が重なることなどほとんどありえないのだが、近親結婚のオンパレードで生まれたカルロス2世ではありえてしまったのだろう、というのが、論文の推理するところだ。論文はここで終わっているのだが、ドン・カルロスおよびカルロス2世には、論文にも書かれていない恐るべき伝説が数多く残っている。それらを紹介して終わりにしよう。
まず、ドン・カルロスは特に精神を病んでいたらしい。ずらっと症状を並べると、
・背中が湾曲し、右足が左足より短かった
・5歳になるまで話せず、口腔異常のためかLとRを発音し分けることができなかった
・乳幼児期からサディスティックで、乳母の乳房に強く噛みつきすぎて3人も殺しかけた
・9歳で幼い少女や召使を拷問、13歳で小動物(特に野ウサギ)を棒で串刺しにし生きたまま火あぶりにして楽しんだ
・大学在学中、転倒(落馬とも言われる)して東部に深い裂傷を負い、傷が化膿して頭が膨れ一時的に失明。名医が丸のこぎりで頭蓋骨を切り開く手術を行い一命を取り留めるも、その後凶暴さを増す
・アルバ侯爵にナイフを突きつけて脅すもナイフを取り上げられた
・あつらえた靴が気に入らず、その靴を切り刻んで靴職人に食べさせた
・聴罪師に「ある男を殺したい」と告白。その男は父フェリペ2世
・反逆罪で幽閉され、容体が急変し高熱、嘔吐。熱を下げるため、氷をまいた床の上に衣服をはぎ取られて寝かされた。何日も果物以外の食物を受け付けなかった。ある日焼き菓子を所望し、巨大なスパイスケーキを食べ、さらに水を10リットル以上飲んだ直後に体調を崩し、23歳で死去
おお、なんと恐ろしい。これらの伝説は
ブレンダ・ライフ・ルイス著、中村佐千江訳(2010)『ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史』原書房、333p.
を参照いたしました。続いてカルロス2世。彼はどちらかというと体がまずかった。一気に並べると、
・カルロス1世、フェリペ2世にもみられたようなしゃくれた顎「ハプスブルクの唇」が極端で、上下の歯を噛み合わせることができず、咀嚼もままならなかった。そのため食物丸飲み
・舌が異常に大きく口から突き出たため、言葉を明瞭に話すことができず、始終よだれを垂らしていた
・自身の心身のおかしさは自覚しており、結婚時の14時間に及ぶ儀式にも耐えられた。El Hechizado(「魔法をかけられた者」)というあだ名がついた。
・性欲は盛んだったらしく、マリア・ルイサいわく「あまりに旺盛」。しかし、「自分はもう処女ではないが、子宝に恵まれるとは思えない」
・39歳で死を悟り遺書を作成、負担が大きく腸チフスを併発。恐るべき下痢で19日間に250回の便通。しかし回復し、遺書に補足条項を付記させると力尽き再び倒れた。(中略)殺したばかりの温かいハトを頭に置き、殺したばかりの新しい動物の内臓で胸を覆うも効果なし。「生命の水」と呼ばれる治癒剤を大量に入れた湯で洗うと4時間にわたって発汗し、再び話せるようになったが、3日後に死亡
ひどいですね。こちらは先ほど紹介した本にも加え、
アンドリュー・ウィートクロフツ著、瀬原義生訳(2009)『ハプスブルク家の皇帝たち―帝国の体現者―』文理閣、410p.
も参照いたしました。というわけで結論は、近親結婚を特に一家代々やるのは絶対に駄目だということ。日本ではいとこまでなら結婚できることに法律上なっていますが、間違ってもいとこの結婚を続けないように。まあ、そんなことをあえてする方々もあまりいないでしょうが…。
ほかにも参照した文献として、
山川出版社編(2004)『改訂新版 山川世界史小辞典』山川出版社、1063p.
山川出版社編(2004)『新課程用 世界史B用語集』山川出版社、423p.
旺文社編(2004)『百科事典マイペディア 電子辞書版』旺文社
河北稔・桃木至朗監修、帝国書院編(2006)『最新世界史図説タペストリー 四訂版』帝国書院、320p.
Kinship chart | Cousin Marriage Resources http://www.cousincouples.com/?page=relation 2011.12.31閲覧.
を挙げておきます。
The Role of Inbeeding in the Extinction of a European Royal Dynasty
Gonzalo Alvarez, Francisco C. Ceballos, Celsa Quinteiro. PLoS One. 2009;4(4):e5174. Epub 2009 Apr 15.
である。
そもそもハプスブルク家とは何か?そのためには、中世ヨーロッパに生まれた神聖ローマ帝国なる国の説明が必要である。神聖ローマ帝国は、962年に現在のドイツ・オーストリア・オランダ・ベルギー一帯に成立した国で、ハンガリー人を撃退したオットー1世という将軍がローマ教皇から皇帝に任命されて成立した。これは、天皇に征夷大将軍に任命されて成立した鎌倉・室町・江戸幕府と似た仕組みである。この神聖ローマ帝国は、11世紀以降皇帝の支配力が衰え、江戸幕府でいう藩のような「領邦」と呼ばれるの地域の自治が進んだ。この地方はこの殿様一家が支配する、という感じで、分裂していったのである。室町幕府の力がなくなって各地に殿様が乱立して勢力を争った戦国時代のようなもの。そしてこの神聖ローマ帝国の特徴は、皇帝が有力な領邦の君主の間から選挙で選ばれたという点。一家代々世襲で皇帝や王が選ばれた国とは異なっている。しかし、15世紀以降、現在のオーストリアを支配していたハプスブルク家が一貫して皇帝に選ばれていき、実質的に世襲化していく。ハプスブルク家はもともと、一地方の名門に過ぎなかった。
このハプスブルク家は、15世紀以降領土を拡大していくのだが、その方法は戦争で土地を奪うのではなく、結婚して支配権をとるというものだった。マクシミリアン1世はブルゴーニュとネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)、その息子フィリップ1世はスペインを、各国の女王と結婚することによって獲得。その息子カルロス1世の時代に、ハプスブルク家はオーストリア(オーストリア=ハプスブルク家)とそれ以外(スペイン=ハプスブルク家)に分裂してしまうのだが、カルロス1世の息子フェリペ2世の時代には、スペイン=ハプスブルク家はポルトガルも獲得して巨大な国に成長した。
しかし、このハプスブルク家に問題が起き始めた。後継ぎがあまり生まれてこなくなったのである。フェリペ2世ははじめポルトガル女王マリアと結婚したが、マリアは息子ドン・カルロスを出産後4日で死亡、ドン・カルロスも若くして死亡した。次にイギリス女王メアリ1世と結婚したが、子に恵まれないままメアリ1世が死亡。その次はフランス王女エリザベートと結婚したが息子には恵まれなかった。最終的に、フェリペは姪にあたるオーストリア=ハプスブルク家のアンナと結婚し、息子フェリペ3世を設けた。それよりずいぶん後の王であるフェリペ4世も、初めの妻との間にできた息子が若くして死んだため、その後姪と結婚して息子のカルロス2世を設けた。叔父と姪は、かなりの近親関係である。
普通今の常識からいえば、子どもができないからと言って姪と結婚することなどあり得ない。しかし、ハプスブルク家では近親結婚が頻繁に行われていた。一つには自らの神聖な血統の保持のあため、もう一つには同じ社会的地位のカトリック教徒でないと結婚できないという制約のため、必然的に近親結婚が増えていったのである。
ここに、近親関係を表す図がある。①は叔父と姪、あるいは叔母と甥。②はいとこ、英語だとfirst cousin。③はややこしくて、片方のいとこと、もう片方のいとこの子供という関係で、日本語では「いとこ半」「いとこ違い」といい、英語ではfirst cousin once removedという。④はいとこの子供同士ではとこ、英語ではsecond cousin。⑤は凄まじくて、いとこ同士の結婚が2つできて、その2つの結婚で生まれた子供同士。日本語では呼び名がないが、英語ではdouble first cousinという。
こんな関係での結婚が、ハプスブルク家にはわんさか存在した。こうした結婚を何度も繰り返していたら、失敗作のマニュアルを2つ持ってしまう子供が生まれてくる。つまり、病気の子供が増える。実際に、ハプスブルク家では身体と精神に障害を持つ王が生まれてしまった。それが、フェリペ2世の息子で若くして死んだドン・カルロスと、フェリペ4世の息子で後継ぎを残せぬまま死んだカルロス2世だ。下に示したのが、ハプスブルク家の代々の家系図である。書いてくださった大学の同級生に感謝。
ところが、アジアのいくつかの地域では、近親結婚は今でも行われている。ハプスブルク家が特別とんでもない近親結婚をしたというわけではないらしい。では、なぜ今のアジアでは子孫が病気になる問題が起きていなくて、昔のハプスブルク家では2人も病気で早死にするような子供が生まれてしまったのか?それを科学的に検証したのがこの論文。ある子供の両親の血縁の近さを表す、計算可能な「近交係数」という指標を使って、16世代にわたるハプスブルク家の家系図からドン・カルロスやカルロス2世の近交係数を計算した。近交係数は0から1までの間の数字で表され、大きいほど近親関係が強い。
すると、ドン・カルロスやカルロス2世は近交係数が0.2を超えていた。ドン・カルロスは両親がdouble first cousin、カルロス2世は両親が叔父・姪だったのだが、ふつうのdouble first cousinや叔父・姪の結婚では、子供の近交係数は0.125という数字になる。では、なぜ数値が高くなったのか。理由は、ドン・カルロスやカルロス2世よりもずっと前の代から、近親結婚がずっと行われてきたからだという。近交係数の計算をするために使う系図の範囲を狭めると、彼らの近交係数の計算値は一気に下がるのである。つまり、彼らの近交係数が異様に高くてしかも病気になってしまったのは、単に親が近親結婚をしていた(アジアのように)だけではなくて、先祖代々近親結婚が行われていたからなのである。
そして、ドン・カルロスの父親であるフェリペ2世や、カルロス2世の父親であるフェリペ4世が初めの妻との間に息子をもうけられなかったことも大きい。この2人のはじめの妻は、ほとんど近親関係になかったので、子供をもうければその子の近交係数はぐっと下がるはずだった。ところが、偶然初めの妻との間に子供ができず、父親は姪と結婚することになってしまった。このせいで、ますます一家の近親結婚が加速されたのである。
そして、この論文ではカルロス2世の病気が近親結婚のせいかどうかを検証している。彼の症状は、
・頭が大きく胸が弱々しかった
・4歳まで話せず8歳まで歩けなかった
・背が低く痩せていた
・無気力で周囲の者に関心を示さなかった
・第1王妃マリア・ルイサいわく「射精がpremature」、第2王妃マリア・アンナいわく「impotency」
・突発的な血尿と、吐き気・嘔吐に苦しんだ
・30歳で老人のような見た目、足と腹と顔に水腫(むくみ)
・晩年には幻覚と痙攣に苦しみ、39歳で死亡
というなかなかひどいものだった。こうした症状は、2つの病気が重なったせいだと推理された。つまり、マニュアルに2か所まずい個所があった。2つの病気は、「複合型下垂体ホルモン欠損症」というホルモンの病気と「遠位尿細管性アシドーシス」という腎臓病だそうである。この2つの病気が重なることなどほとんどありえないのだが、近親結婚のオンパレードで生まれたカルロス2世ではありえてしまったのだろう、というのが、論文の推理するところだ。論文はここで終わっているのだが、ドン・カルロスおよびカルロス2世には、論文にも書かれていない恐るべき伝説が数多く残っている。それらを紹介して終わりにしよう。
まず、ドン・カルロスは特に精神を病んでいたらしい。ずらっと症状を並べると、
・背中が湾曲し、右足が左足より短かった
・5歳になるまで話せず、口腔異常のためかLとRを発音し分けることができなかった
・乳幼児期からサディスティックで、乳母の乳房に強く噛みつきすぎて3人も殺しかけた
・9歳で幼い少女や召使を拷問、13歳で小動物(特に野ウサギ)を棒で串刺しにし生きたまま火あぶりにして楽しんだ
・大学在学中、転倒(落馬とも言われる)して東部に深い裂傷を負い、傷が化膿して頭が膨れ一時的に失明。名医が丸のこぎりで頭蓋骨を切り開く手術を行い一命を取り留めるも、その後凶暴さを増す
・アルバ侯爵にナイフを突きつけて脅すもナイフを取り上げられた
・あつらえた靴が気に入らず、その靴を切り刻んで靴職人に食べさせた
・聴罪師に「ある男を殺したい」と告白。その男は父フェリペ2世
・反逆罪で幽閉され、容体が急変し高熱、嘔吐。熱を下げるため、氷をまいた床の上に衣服をはぎ取られて寝かされた。何日も果物以外の食物を受け付けなかった。ある日焼き菓子を所望し、巨大なスパイスケーキを食べ、さらに水を10リットル以上飲んだ直後に体調を崩し、23歳で死去
おお、なんと恐ろしい。これらの伝説は
ブレンダ・ライフ・ルイス著、中村佐千江訳(2010)『ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史』原書房、333p.
を参照いたしました。続いてカルロス2世。彼はどちらかというと体がまずかった。一気に並べると、
・カルロス1世、フェリペ2世にもみられたようなしゃくれた顎「ハプスブルクの唇」が極端で、上下の歯を噛み合わせることができず、咀嚼もままならなかった。そのため食物丸飲み
・舌が異常に大きく口から突き出たため、言葉を明瞭に話すことができず、始終よだれを垂らしていた
・自身の心身のおかしさは自覚しており、結婚時の14時間に及ぶ儀式にも耐えられた。El Hechizado(「魔法をかけられた者」)というあだ名がついた。
・性欲は盛んだったらしく、マリア・ルイサいわく「あまりに旺盛」。しかし、「自分はもう処女ではないが、子宝に恵まれるとは思えない」
・39歳で死を悟り遺書を作成、負担が大きく腸チフスを併発。恐るべき下痢で19日間に250回の便通。しかし回復し、遺書に補足条項を付記させると力尽き再び倒れた。(中略)殺したばかりの温かいハトを頭に置き、殺したばかりの新しい動物の内臓で胸を覆うも効果なし。「生命の水」と呼ばれる治癒剤を大量に入れた湯で洗うと4時間にわたって発汗し、再び話せるようになったが、3日後に死亡
ひどいですね。こちらは先ほど紹介した本にも加え、
アンドリュー・ウィートクロフツ著、瀬原義生訳(2009)『ハプスブルク家の皇帝たち―帝国の体現者―』文理閣、410p.
も参照いたしました。というわけで結論は、近親結婚を特に一家代々やるのは絶対に駄目だということ。日本ではいとこまでなら結婚できることに法律上なっていますが、間違ってもいとこの結婚を続けないように。まあ、そんなことをあえてする方々もあまりいないでしょうが…。
ほかにも参照した文献として、
山川出版社編(2004)『改訂新版 山川世界史小辞典』山川出版社、1063p.
山川出版社編(2004)『新課程用 世界史B用語集』山川出版社、423p.
旺文社編(2004)『百科事典マイペディア 電子辞書版』旺文社
河北稔・桃木至朗監修、帝国書院編(2006)『最新世界史図説タペストリー 四訂版』帝国書院、320p.
Kinship chart | Cousin Marriage Resources http://www.cousincouples.com/?page=relation 2011.12.31閲覧.
を挙げておきます。