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旅日記

太平記とこれから派生した雑感

NHKのBS3チャンネルで4月5日から「太平記」の再放送を始めていた。

この「太平記」は1991年1月6日から12月8日まで全49回の大河ドラマで、放送時刻は毎日曜日の朝6時からである。

昔の大河ドラマの再放送ということで興味を持ち、観ることにした。

しかし再放送してることを知った時は、既に第1回と第2回の放送が済んでいた。

仕方なく1回と2回はユーチューブで探し観た。(画像が悪かった)

第3回からは忘れないように録画予約をして、これを観ている。

観ていると、凡そ30年前に見たドラマであるが、所々記憶が蘇ってくる。

太平記は全40巻で鎌倉時代末期(文保2年(1813年))から南北朝時代(正平23年/応安元年(1368年))の約50年間を描いた軍記物語であるが、作者と成立時期は不明らしい。

全40巻の内容は3部構成で次のようになっている。

第1部(巻1~巻11):後醍醐天皇即位から、鎌倉幕府滅亡までを描く。

第2部(巻12~巻21):建武の新政の失敗と南北朝分裂を描く。

第3部(巻23~巻40):南朝方の怨霊による足利幕府の内部の混乱を描く。

全40巻というが、このうち巻22は決落している。欠落の原因は天皇や武家方に対して不都合なことが書かれていたため削除したと考えられているが、はっきりしていない。

削除しないで、書き変える手もあったと思うがそこまでしなかったのは、罪の意識なのか、文才が無かったのか分からない。

それともこの太平記の価値も意義も分からない人が何も考えずに単に気に入らないから削除したのだろうか?

 

ところで、これまでに太平記を描いた作家は沢山いる。

山岡荘八、吉川英治、谷崎潤一郎、大佛次郎、今東光、杉本苑子、北方謙三達が太平記を素材にして小説を書いている。

このNHKの大河ドラマの「太平記」は吉川英治の「私本太平記」を原作としている。

余談ながら、吉川英治の「私本太平記」はネットの青空文庫から無料で見ることが出来る。

NHKの「太平記」はオリジナルストーリーでドラマ化されているため内容が吉川英治の原作とは大分異なっている。

 

太平記に限らず、歴史を題材にした本は面白いが、恐らく半分以上いやもっと沢山の真実でない(裏付けのない)ことを描いていると思う。

そうでなければ面白くないからだ。

作者の想像力に敬意を表します。

 

 

太平記の第22巻が欠落しているのは、太平記の管理者か時の権力者にとって都合が悪い事が記載されていたのだろう。

だからない事にしてしまったのかもしれない。

都合が悪い事実はないことにする

このことで思い出したのは、2011年7月23日に中国浙江省杭州市で起こった中国新幹線の脱線事故である。

この事故は午後8時34分頃高架上で停止していた車両に追突したもので、追突した車両の先頭4両と、追突された車両の後ろ2両が脱線した。

そして、この追突した車両の前4両は脱線して高架から落下した。

驚いたのは、事故後の処理である。

なんと、救助や遺体収容作業が十分完了していないという指摘がある中、救助作業が終わったとして、翌24日の朝に車両を重機で壊し、その場に埋めてしまう作業を始めたのである。

しかも事故から20時間後(この車両を壊す作業中)に2歳の女の子が救出されていたが、作業は中断されなかった。

しかし、7月26日には一度埋められた車両を再び掘り起こし搬送された。

これは当局が証拠隠滅と非難されたため行ったことであった。

 

当時日本でもテレビが車両が埋められるところを映像で流していた。

世界中でこの衝撃的な映像流されたと思う。

 

普通なら当然世界中から非難が来るのは想像できるが、当局はそんな予測をしなかったのだろうか?

やはり、世界の常識は地域差があるのかもしれない。

 

それにしても事故が何故起こったのかを、深く探ろうとしなかったのは驚きであった。

事故は何らかの原因で発生したはずである。

今後、同様な事故の再発防止するためには原因が分からないと十分な対策が取れないのは明らかであるが、それをしなかったのだ。

事実を究明し、人民の命を守ることよりも、もっと大切なものがあったらしい。

 

この事実の隠蔽事件を思い出しているうちに、さらに日本で起こった二つの捏造事件を思い出した。

日本では中国のように、あからさまに大衆の目の前でこういったことはない。

しかし次の事件は陰湿でかなりあくどい。

【朝日新聞珊瑚記事捏造事件】

1989年(平成元年)に沖縄県西表島において、朝日新聞社のカメラマンの本田嘉郎が自作自演で珊瑚を傷つけ「K・Y」と落書きした。

そしてその写真を撮り、日本人のモラル低下を嘆く新聞記事を掲載した事件である。

落書きの文言を取って、KY事件とも呼ばれる。

 

【吉田清治の慰安婦捏造事件】

吉田清治(本名:吉田雄兎)とは、太平洋戦争中に軍の命令により朝鮮で若い女性を慰安婦にするために自身が強制連行したとする証言を数多く行い、自らそれについての出版物を出した人物。

その証言の大半が吉田清治の虚偽・創作であったにも関わらず、主に朝日新聞がこの「吉田証言」を真実として頻繁に記事にした。

1955年(平成6年)になって吉田自らが証言は主張を織り交ぜた創作であることを認め、朝日新聞も批判を受け入れて2014年(平成26年)に記事を取り消し謝罪した。

 

 

今でも真偽不明なものも、あたかも事実であるようにニュースとして報道したり、ある一部の事実が全体を代表するものであるかのような報道が多いと思う。

現在のニュース解説やワイドショーも視聴者の興味や社会正義を沸き立たすことに重きを置いて、正確に放送することにはそれほど意味を感じていないのではないかと思えてくることもある。

このような捏造や、事実を歪めて主張する人たちは、共通して一見弁がたつように見える。

 

かつて若いころ、テレビの討論番組を見ていると、或る主張者の意見を尤もだと思うし、その後に反論者の意見を聞くとこれも成る程そうか、と思うことがよくあった。

しかし、後でゆっくり考えると、これは討論が、極めて狭い範囲(普遍的でない、特異な現象に焦点をあてて)で行われている結果だろ思うようになった。

そして彼らの討論は必ず結論に辿り着かずに終わる。

まあ、結論を出すのが目的でもないので、これはこれでいいのだろうが。

結局討論する人たちは、相手の主張の有利な点、自分の主張の欠点も分かっているが、認めることや妥協する気は全くない。

恐らく認めることや妥協は敗北と思っているのかもしれない。

 

最後は太平記からは大きく離れた感想になってしまった。😅😅😅😅😅😅

 

<完>

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