おととい師匠からメールが来ていた。
フランスに行ってる臣ちゃんからだ。
真っ先に、「何も今帰ってこなくてもいいのに」と言った。
宮崎はドタバタしていて、一時帰国っていうから本気で帰って来るのかと変な心配をした。
また帰るときはじっくり消毒をしてくれ。
お土産は地元の石ころでもいいと思った。
私は死ぬまでに一度はフランスに行きたい。
フランス語は全くわからない。
友達の仁ちゃんという子がペラペラで、いっしょに連れて行きたい。
臣ちゃんいいなあ。
フランスに行ってる臣ちゃんからだ。
真っ先に、「何も今帰ってこなくてもいいのに」と言った。
宮崎はドタバタしていて、一時帰国っていうから本気で帰って来るのかと変な心配をした。
また帰るときはじっくり消毒をしてくれ。
お土産は地元の石ころでもいいと思った。
私は死ぬまでに一度はフランスに行きたい。
フランス語は全くわからない。
友達の仁ちゃんという子がペラペラで、いっしょに連れて行きたい。
臣ちゃんいいなあ。
私の先生は福永先生といって美術館友の会の会長だと思われます。
初めて先生のところへ行って、一人で「先生美術部ないんですか?楽しみにしてたのに」というと「作ればいいよ。僕が協力するよ」といってくれてそれからずっと必死でした。
今思えばなぜかいろんな人が協力してくれて、同好会→クラブ→美術部と成長できました。
1年生で部活を作ったのでずっと部長で忙しいのまま、こっそり新聞チラシの折り込みバイトをして絵の具を買い、水彩絵の具に油を混ぜて油絵のまねをしてました。
部活になってお金が下りて、本物の絵の具を買ってもらえたときは泣きながら自転車をこいで帰りました。
こんな時代があったことを今の部員は知らないでしょうが、それが大きな部活になって今も活動しているなんて本当に嬉しいです。
高校に入っても美術部に入り、そこで部長になってまた忙しくなったけれど私は自分の絵が描きたかっただけでなくて、絵を描かさせてあげたかったのかもしれませんね。
そしてmakiさんが作ったその美術部を、今ソウヘイ(宗平.K)さんが指導しています。
アートストリートでもmakiさんの後輩が活躍してくれてますよ。
☆モンマルトの丘から見る夕日に涙してきてください。
いいなあ。
私は絵画を見たいんです。
小さい頃から絵が好きで、中学では美術部がなかったので自分で作ったくらい。
当時3人からスタートして今では50人くらいいるみたいですけど。
高校でも美術部。
お金があったらそっちの方面に進みたかったんですよ。
おかげで自力で何とか出来るように鍛えられましたけどね。
フランスだけは絶対行きますよ!!
しばらく遊びにいけてないパリ。
1971年に初めて訪れたパリは全てが輝いていました(想い出なんてそんなもんだよ♪)
しばし逗留したオテル・ドゥ・ムーラン。いつも遊んでくれたムーランルージュのお姉さん。
意地悪ばかりの皿洗いのオバちゃん。
もう少し頑張れれば違った人生。でも、今の人生も悪くない(笑)
カタコトの英語もカタコトのフランス語も今は忘れてしまったけれど、想い出だけは昨日の事のように浮かびます。
makiさんをフランスが待ってますよ♪