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「パタヤビーチへよーこそ!」
のコントに感化されて行ってみたら、ハマってしまったパタヤ。
その前はプーケットばかり行ってた。
ハワイと香港とバリがいっしょくたになったような島で、楽しかった。
パタヤは海がある歌舞伎町、2面性を持っていて、目的を持たず行くべき場所。
昼間はビーチの日陰でマッサージ受けながら寝て、夜はネオン街をぶらつく。
その夜と昼の間、ものすごい夕焼けが見れる。
オーロラみたいに金色からすべての暖色系、そして紺色の星空へ。
祈りをささげるような気持ちで、毎日砂浜へ座ってながめてた。
その時間になると町のあちこちでエアロビクスが始まる。
金額は10~20円くらいだったと思うけど、自主的に箱に入れるシステム。
そのなかでもひときわ人気があるコーチがいた。
参加してる人たちは大笑いしながら楽しそうに踊って(?)いる。
エアロの動きは世界共通みたいで、私も途中参加してみた。
コーチはKABAちゃん似の華奢なオカマちゃん。
タイ語はわからないけど、きっとおしゃべりも上手なんだろう。
おばちゃんたちはゲラゲラ笑い続けつつ肉を揺らして踊る踊る。
途中からもう一人、インド系のきれいな顔立ちの青年が舞台へ。
ダブルコーチの動きはぴったり合っていて、コンサートを観てるみたい。
終わったら、彼らが「どこからきたの?」と英語で話しかけてくれた。
おばちゃんたちも「明日も来る?」って笑いながら囲んでくれた。
そんでもって、私はパタヤがもっと大好きになった。
****************************
1年後、ひとりでパタヤへ行ったとき、彼らにビーチで再会した。
KABAちゃんは私を覚えていてくれて、食事に誘ってくれた。
細い路地を歩きながら「実は君に話しておかないといけないことがあるんだ」
「僕は、オカマなんだ。」 ・・・「I KNOW」と答えた。
「日本の人はオカマをどう思ってる?軽蔑する?」
とうつむいたまま聞くので、
日本の芸術もメディアもオカマで回ってるよ!と答えたら喜んでた。
「紹介したいひとがいる、彼の仕事場へ行こう」
連れて行かれた場所は、繁華街のはずれ、建物の隙間のせまい場所で、
屋根代わりにブルーシートをはった水商売相手の「美容院」だった。
粗末な椅子、鏡、テーブルに置かれた使い込まれたメーキャップ用品。
女の子が真剣に鏡を覗き込みながら、髪を編んでもらっていた。
美容師さんはあのときの美青年インストラクター。
2足のわらじで働いてるらしい。
「将来、ちゃんとしたお店を持つのが夢なんだ」と話してくれた。
時々、バーから女の子が泣きながらお店に来て、
美青年に駆け寄ってなにかグチってる。
いじめにあったりつらい目にあったんかな。
その子の髪をなでながら、なぐさめか励ましの言葉をかけると、
涙をふいてうなづきながらまたお店へ戻って行った。
私はゲイやマイノリティなひとたちが大好きだ。
みんななんらかの痛みを知ってるから、平和主義で誰にもやさしい。
お店に金網のシャッターを下ろして閉店してから、食事に行った。
屋台のタイそばを食べた。 おいしかった。
****************************
それから3年、パタヤへ行く人にことづけをお願いした。
ソイ5にいた彼らに渡して欲しいと「夢がかないますように」と
カードを添えて、メーキャップ用品の入ったかわいいトランクと
ペアのサングラスを包んで。
お店の場所は変わってたけれど、探すのに時間はかからなかったらしい。
誰に聞いてもすぐわかる有名なお店になっていて(屋根もあっって)
タイシルクの可愛らしいバッグ、そして
「I MISS YOU」と書かれた写真をお返しに貰った。
従業員が何人もいる美容院は、英国風の上品な内装で、
シャンプー台と皮のリクライニング椅子にはお客さんがたくさん。
おまけにゲイの二人は養子をもらって大切に育てているそうだ。
私は泣けて仕方なかった。
いろんなものを乗り越えて、二人で約束した夢をかなえていたんだ。
なんだか私もがんばんなきゃ、なにも変わってない自分を恥ずかしいと思った。
ああ、パタヤへいきたい。
「パタヤビーチへよーこそ!」
のコントに感化されて行ってみたら、ハマってしまったパタヤ。
その前はプーケットばかり行ってた。
ハワイと香港とバリがいっしょくたになったような島で、楽しかった。
パタヤは海がある歌舞伎町、2面性を持っていて、目的を持たず行くべき場所。
昼間はビーチの日陰でマッサージ受けながら寝て、夜はネオン街をぶらつく。
その夜と昼の間、ものすごい夕焼けが見れる。
オーロラみたいに金色からすべての暖色系、そして紺色の星空へ。
祈りをささげるような気持ちで、毎日砂浜へ座ってながめてた。
その時間になると町のあちこちでエアロビクスが始まる。
金額は10~20円くらいだったと思うけど、自主的に箱に入れるシステム。
そのなかでもひときわ人気があるコーチがいた。
参加してる人たちは大笑いしながら楽しそうに踊って(?)いる。
エアロの動きは世界共通みたいで、私も途中参加してみた。
コーチはKABAちゃん似の華奢なオカマちゃん。
タイ語はわからないけど、きっとおしゃべりも上手なんだろう。
おばちゃんたちはゲラゲラ笑い続けつつ肉を揺らして踊る踊る。
途中からもう一人、インド系のきれいな顔立ちの青年が舞台へ。
ダブルコーチの動きはぴったり合っていて、コンサートを観てるみたい。
終わったら、彼らが「どこからきたの?」と英語で話しかけてくれた。
おばちゃんたちも「明日も来る?」って笑いながら囲んでくれた。
そんでもって、私はパタヤがもっと大好きになった。
****************************
1年後、ひとりでパタヤへ行ったとき、彼らにビーチで再会した。
KABAちゃんは私を覚えていてくれて、食事に誘ってくれた。
細い路地を歩きながら「実は君に話しておかないといけないことがあるんだ」
「僕は、オカマなんだ。」 ・・・「I KNOW」と答えた。
「日本の人はオカマをどう思ってる?軽蔑する?」
とうつむいたまま聞くので、
日本の芸術もメディアもオカマで回ってるよ!と答えたら喜んでた。
「紹介したいひとがいる、彼の仕事場へ行こう」
連れて行かれた場所は、繁華街のはずれ、建物の隙間のせまい場所で、
屋根代わりにブルーシートをはった水商売相手の「美容院」だった。
粗末な椅子、鏡、テーブルに置かれた使い込まれたメーキャップ用品。
女の子が真剣に鏡を覗き込みながら、髪を編んでもらっていた。
美容師さんはあのときの美青年インストラクター。
2足のわらじで働いてるらしい。
「将来、ちゃんとしたお店を持つのが夢なんだ」と話してくれた。
時々、バーから女の子が泣きながらお店に来て、
美青年に駆け寄ってなにかグチってる。
いじめにあったりつらい目にあったんかな。
その子の髪をなでながら、なぐさめか励ましの言葉をかけると、
涙をふいてうなづきながらまたお店へ戻って行った。
私はゲイやマイノリティなひとたちが大好きだ。
みんななんらかの痛みを知ってるから、平和主義で誰にもやさしい。
お店に金網のシャッターを下ろして閉店してから、食事に行った。
屋台のタイそばを食べた。 おいしかった。
****************************
それから3年、パタヤへ行く人にことづけをお願いした。
ソイ5にいた彼らに渡して欲しいと「夢がかないますように」と
カードを添えて、メーキャップ用品の入ったかわいいトランクと
ペアのサングラスを包んで。
お店の場所は変わってたけれど、探すのに時間はかからなかったらしい。
誰に聞いてもすぐわかる有名なお店になっていて(屋根もあっって)
タイシルクの可愛らしいバッグ、そして
「I MISS YOU」と書かれた写真をお返しに貰った。
従業員が何人もいる美容院は、英国風の上品な内装で、
シャンプー台と皮のリクライニング椅子にはお客さんがたくさん。
おまけにゲイの二人は養子をもらって大切に育てているそうだ。
私は泣けて仕方なかった。
いろんなものを乗り越えて、二人で約束した夢をかなえていたんだ。
なんだか私もがんばんなきゃ、なにも変わってない自分を恥ずかしいと思った。
ああ、パタヤへいきたい。
まずはここから!
こないだ車中でさらっと聞いた話しだネ
情景が眼に浮かびまする。
「マイノリティな人たちは、なんらかの
痛みを知っているから、平和主義で誰にもやさしい」
共感です。
.....P.S.カモちゃんの最後のCDブックでたよ
「産まれながらに差別というハンディ」
を持つから強くて優しいと
語ってました。
戦争に行けば前線に立たされ
何人も恋人を亡くしたと。
彼女は昔ガロで山田双葉として描いてた。
ひとりでバリのレストランで毎日夕日を
眺めていて、
カメラばかり向ける観光客と違い
スタッフが毎日「予約席」のカード
置いてくれてたそうな。
「働き者のあなたの瞳のために」て。
素敵でしょ?