久留米市三潴町の歩道上に蒸気機関車が展示されている。
昔、ここを大川鉄道が走っていた。歩道はその線路跡である。大正元年に久留米~大川を結ぶ鉄道として営業を開始した。列車は客車2両と貨車を連結しており、最高時速が20キロという可愛いものだった。それでもこの鉄道で大川の木工品や経由地の城島の酒、瓦などの地場産品を運び、また久留米の工場に通う従業員の足でもあった。
明治から昭和初期にかけては、各地に民間の鉄道が敷設された。福岡県でも県内を網の目のように鉄道が走り、重要な交通運輸の手段となっていた。しかしバスが普及するにつれて時代の流れに抗しきれず、大部分の路線は私鉄や国鉄に引き継がれたり代替されたりして消えていった。
残された鉄道路線も、国鉄の合理化の中で多くが廃線となっている。大川鉄道は昭和17年に西日本鉄道大川線となっていたが、昭和26年に休止となり、昭和41年に正式に廃止された。家具の生産地である大川市には国鉄佐賀線とこの大川鉄道が走っていたが、2本ともなくなり一時、陸の孤島とも言われたことがある。
展示されている蒸気機関車は、ドイツのベルリン・アーサーコッペル社製で、明治44年製造。9両あった機関車の内の1両である。北九州市にあった到津遊園に展示されていたものを、平成7年に譲り受けた。蒸気機関車の汽笛の音から、当時ポッポ汽車と呼ばれていたという。
歩道にはレールを模した線が描かれている。 汽車は小学校の前にあり、郷土史学習の見本になっている。
そうなんですか~~
遊園地は我が家から目と鼻の先…
でも一度も行っていない到津遊園地
三潴…みずま…読みにく漢字地名
先日もニュースでしていましたね~~
詳しい紹介でよくわかりました!
歩道に置いてあるなんて…楽しいですね!
行ったことはありませんが、到津遊園は経営が変わったようですね。
機関車は西鉄の好意で譲り受けたということです。
三潴は難読地名に入るかもしれません。