ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

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せとけんの『新しい憲法のはなし』~戦後70年版

2015-05-03 23:49:48 | 前 参議院比例区候補者

今日は憲法記念日ですね。戦後70年の節目の年の憲法記念日です。

今日は「新しい憲法の話し~終戦70年版」と題して、つらつらと憲法のはなしを皆さんとしてみたいなと思います。いつものような文章だと、かなり重くなっちゃう予感がするので(*^^)v

まずは「新しい憲法のはなし」の本家本元については、既に2年前にブログで紹介しましたので、よろしければ、ご参照下さい。(過去ログリンクはこちら

■富国強兵~アジア全域に迫りくる欧米支配の脅威

明治維新政府が主導した日本にとって、アジア全域に拡散しつつあった欧米支配は国益上の最大の脅威でした。迫りくる脅威に対する対抗措置として富国強兵を国策の旗印に掲げて急速な軍事化を進め、同時に、あらゆる外交手段を講じてアジア全域からの資源の補給路を確保する必要性があった―これが瀬戸健一郎のコンテクスト。私が考える当時の日本国の事情です。

■アジアの権益が欲しいアメリカの動き~パールハーバーまで

当時、既に植民地支配を地続きにアジア地域まで展開していたヨーロッパ列強諸国に対して、太平洋に隔たれたアメリカはアジアの権益に食い込むきっかけを求めていました。

アジアの新興勢力だった日本はその格好のターゲット。日本のアジア進出は侵略であると日本の資源の補給路を断ち、追い詰められた日本国の真珠湾攻撃がアメリカにとって対日戦争を始める格好の口実になりました。

■日本を侵略国家と断じたことで植民地政策は正当性を失う

しかし、アメリカは自らのアジア戦略を遂行するためとはいえ、日本の行為を侵略と断じたことで、その後、世界中の植民地政策を正当化できない国際世論を生み出していった側面があったことは皮肉なことでした。

あくまでも自由と平等の国 アメリカ合衆国が、世界中の国家、国民、民族の自由と平等をその後、守る立場を取らないわけにはいかなくなった。

■帝国主義の終焉と世界的な民主化への動き

戦後の「民族自決権」という新しい価値観が、その後の世界秩序に大きな変化をもたらしました。それは植民地の独立であり、多民族国家であったソビエト連邦の崩壊であり、ドイツや韓国の統一だって、この民族自決権に根っこがあると私は思います。

ヨーロッパ列強諸国の他国への侵略が進出と呼ばれ、植民地支配が政策と呼ばれた時代から世界中のすべての民族が一民族一国家を独立させ建国される時代へ!―この終戦70年はそんな世界の大転換の時代だったわけです。

■理想と現実の狭間で~世界を先取りした理念規定としての日本国憲法

確かに私たちの日本国憲法は当時、世界の最先端の思想を具現化した、世界に誇れる理念規定でしたが、上述のような激動の20世紀の国際社会の現実には必ずしも対応が十分でなかったのかもしれません。

その一番、顕著な例が自衛隊法の成立です。

憲法第9条「戦力の放棄」の理念は残しつつ、日本国民は自衛隊という戦力を保持することになりました。

■憲法対話をはじめよう!~法の理念と順法精神

法治国家において、法律は守られなくてはなりません。理想と現実に大きな乖離があったとしてもです。子どもたちに、「日本では憲法で戦力は持たないことになってるんだけど、自衛隊は戦力じゃないから大丈夫。」と言い続けていたら、子どもたちの順法精神はどうなるのでしょうか?

私は自衛隊を追認するために、憲法を変えなくてはならないと主張するつもりはありません。しかし、「憲法は理念だから、実態と合わなくても、変える必要はない。」という結論が出る程の全国民的な「憲法対話」は必要だと思いますが、皆さんは如何でしょうか?

■深く国民的に総括すべき課題~自民党政治の功罪

私は安倍内閣が閣議決定で「集団的自衛権」の行使容認を決めたのは、「憲法対話」が必要だという主張から、断固として認める訳にはいきません。

1955年の保守合同以降、自民党が戦後日本国政府として進めてきた政策をすべて否定するつもりはありません。日米安全保障条約によって、自らの軍事化を止めて、アメリカに安全保障分野を丸投げにして、富国強兵ではなく、富国弱兵に国策の旗印を大転換したからこそ、今の日本経済の発展があるからです。そこまでであれば、日本政府は賢くしたたかであったかもしれません。

しかし、自民党政府の歴代総理を見れば、多くの総理は国会運営や日本国民に対する説明責任まで自ら放棄して、アメリカ合衆国依存を続けてきたようにも見受けられます。

■アメリカ依存症~自民党政治の本質

今回の安倍晋三総理の米国上下両院議員会議でのスピーチにおいても、枝野幸男民主党幹事長が指摘しているとおり、日本国の国会や日本国民に十分な説明もしないで、集団的自衛権の行使についての関連法案を「今夏、成立させる」とアメリカ連邦議会で公言するなど、国民無視も甚だしいことだと思います。

これを受けて私は、ひとつのことを思い出しました。

それはかつて牛肉オレンジ交渉に際して、当時の中曽根康弘総理がやはり訪米中アメリカで盟友と言われたロナルド・レーガン大統領に対して、「日本はコンセンサスポリティクスだから」と発言し、案に「外圧がないと牛肉とオレンジの輸入規制緩和は難しい」と伝えていたことを思い出しました。

結局、これが自民党政治の本質なのかもしれません。

■真の自由とは何か?真の独立とは何か?

国会や自国民を説得できないから、アメリカに泣きつく。アメリカからの外圧で国政を動かそうとする!これはもはや賢くもしたたかでもありません。そんなことを繰り返しているようでは、日本が本物の独立国にはならないなぁ!って思いませんか?

醒めよ!日本国民のみなさま~

自分たちの自由と独立のために、憲法対話を始めませんかぁ~!!お願いです!

■地方自治からはじめよう!~日本国憲法を守る憲法対話

日本国憲法を守りたいなら、この70年間の国内外の大きな歴史的大転換を共に総括し、本質的な議論を全国民レベルで始めるべきだと思うのですが、如何でしょうか?

私は日本にまだ地方自治という概念がなかった終戦直後の時代に、日本国憲法第8章に規定された「地方自治」に含まれる4つの条文についても議論すべきだと思っています。

地方自治はデモクラシーの小学校!って言われていますが、4つの条文を観てみるとそれは、まるでその小学校の運営が、子どもたち(国民)のためじゃなくて、教育委員会(国)のために行われているって感じなんですよ!どう思いますっ?

第八章 地方自治

第九十二条
 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

※市町村の「組織及び運営に関する事項」をなんで自治体に任せないの?
第九十三条
 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
 2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

※まあ、議員は独自に選挙しろとは言ってるけど、議員定数なんか法定数っていう位だから、もともと法律で決めちゃってるんだよね!
第九十四条
 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

※ほらまた。「法律の範囲内で条例を制定する」ってあなた。だから、都道府県議会は法改正があると都道府県条例を改正して、都道府県条例が改正されると市区町村が市区町村条例を改正するだけなんだよね!地方議会の機能はあくまで「法律の範囲」つまり、国会議員が決めた範囲でしかない!
第九十五条
 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

※この部分が唯一、地方議会の意地が見られる分野だね!沖縄の基地問題なんかがこれだ。でも、下手すると、ここを国会にいじられて地方自治はますます骨抜きにされちゃうかもよ!注意、注意。

(※)は、せとけんのコメントです。


■日本が変わる。世界が変わる。~日本のデモクラシーの可能性は大きい

はっきり言って、日本国憲法第8章に規定されている地方自治は、初心者マーク付きだったんだと思うんだ。ヨーロッパでは、デモクラシーはローマ時代にまでさかのぼる。自治の発展そのものがデモクラシーの歴史でもあるんだ。でも、日本では現行の日本国憲法で初めて規定された比較的新しい概念。だから、まだまだ日本のデモクラシーは発展の可能性が大きいって言える。

私は2015年5月3日の憲法記念日をお祝いするのにあたり、日本国民の皆様と憲法対話が始めたいと強く切望しています。どうか、この議論に参加して下さい。コメントやレスをお願いします。

日本を変える。世界が変わる。―日本人が醒めると、世界が変わると信じます。

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto

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4 コメント

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日本国憲法 (keiko)
2015-05-06 14:00:11
今から30数年前、「日本国憲法」(小学館)という本がベストセラーになりました。当時、乳児を抱え、家事と育児に忙殺される中、活字中毒だった私はそれを買い求めました。

今日、膨大な書籍で埋まった部屋から「日本国憲法」を探し出しました。
奥付を見ると・・・
1998年4月20日 初版第一刷発行
1998年6月5日  初版第八刷発行
とあり、発売から2ヶ月たたないうちに八刷までいくというのは、この手の本では驚異的な売れ方です。ネットで調べたところ、2013年に再び小学館から第二版が発行されたようです。
憲法の話をするなら、誰もが一度は全文を読み、来るべき国民投票に備えるべきだと思います。この本には、日本国憲法の全文を英訳したものと、大日本帝国憲法も収められています。

過日、小野寺元防衛大臣の話を聞きに行きました。
また、それより前、岡田克也民主党代表の話も聞きました。
集団的自衛権については、全く逆の話をします。自民、民主双方の言い分をひと事で言えば危機感を煽ること。
頭を空っぽにして自民党の話を聞けば、「それは大変だ、憲法を改正しなくちゃ」と思い、同じく頭を空っぽにして民主党の話を聞けば、「それは大変だ、憲法改正なんてとんでもない」と思うはずです。
誰にでもわかりやすいように、卑近な例をあげて解説すれば当然そうなります。こういう説明の仕方は、双方が同時に行わなければ国民の判断を誤らせる元だと思いました。

集団的自衛権は、国連憲章51条により認められており、国際法違反でも何でもないことです。

最後に、中曽根さんが言った、「日本はコンセンサスポリティクスだから」という発言が、
>案に「外圧がないと牛肉とオレンジの輸入規制緩和は難しい」
になるのか、私には意味がわかりませんでした。
コンセンサスポリティクスを「合意に基づいた政治」と訳すなら、それが外圧で動く日本にはならないと思うのですが、私の勘違いでしょうか。
当時、アメリカは双子の赤字に苦しんでいて、活路を見出したかった。そして牛肉やオレンジの数量規制はガット違反だと言ってきたのは覚えています。
それでも日本は頑張り、「和牛」、特に「KOBE和牛」は国際的ブランドになりました。

ともあれ日本は今、戦後最大のターニングポイントに差しかかっています。
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憲法って何? (瀬戸健一郎)
2015-05-07 15:04:57
現役時代の小林さんの読みっぷりは凄かったですね!今もその片鱗がにじみ出ていてイイなと思います。

日本国憲法が「戦力の放棄」という規定を取り入れていることは世界のどこの国にもまねできない崇高な理念規定であることは間違いありません。

しかし残念なのは、日本国憲法を制定した日本国民がそれが理念規定なのか最高法規という法規定なのかがあいまい。憲法と正面から向かい合ってこなかったことに原因があるのだろうと思います。

また、「戦力の放棄」が日本国憲法の肝であるため、今回の記事後段に触れた「地方自治」(実はこの概念も日本国憲法で初めて規定されました)について等、戦後復興期~高度経済成長期をへて、現状に至る世界情勢の変化や日本の社会変化に合わせて制度設計をし直す必要が出て斬れいる分野が放置されてしまった側面に着目すべきだろうとも考えています。

統治機構の見直しなどと言うと、様々なアレルギー反応が国民各界各層に表出してくるようでもあり、議論の俎上に載せるのは慎重にしなければいけませんが、今回の大阪都構想の住民投票のいくえが、今後の議論の分水嶺になるかもしれません。

集団的自衛権について、国連憲章に規定されているため、これに沿った国内法の整備が急務かといえば、そのようなこともないだろうという側面もあると思います。

国際法とは、基本的に条約であり、それに批准する国のみが参道の意思を表明するという性質のものです。国際法や条約の存在が即、国連加盟国を縛るものではありません。批准という行為によって、どの国際法の枠組みに参加するかは加盟国の意思で決まると言っていいでしょう。

仮に批准したとしても、安全保障分野のような国際法体系は、究極的に「国際平和を希求する」ということが普遍的な理念なのであって、その実現の方法にはコレといった特定の方法があるわけではありません。

まして、国連憲章こそが崇高の理念規定なのであって、その成立した時代背景と現実の世界はかなり変化してきています。(米ソ冷戦時代から国際テロへの対応のように・・・)

いつまでも第二次世界大戦の戦勝国のみが常任理事国だと言って拒否権を発動できるという安全保障理事会の秩序も含めて、現実の世界に対応した国際的な議論が必要なのことは日本国憲法と変わりはありません。

最後に「日本はコンセンサスポリティクスだから」という中曽根発言は2つの側面があります。1つは、国会や国民がまとめきれてないからゴメンね。もう1つは、もっと米国も米国の牛肉やオレンジを売り込む努力をしたらどうだ。です。

覚えてますか?牛肉やオレンジのテレビコマーシャルがその後、激しくなったでしょ?牛肉オレンジの自由化に反対していた農家を差し置いて、直接国民に売り込みをかけた。

サンキストが国内産レモンを廃業に追いやった事実と、オレンジが入ってきたら温州ミカン農家が廃業になると言った議論が同列に議論されましたが、温州ミカンの品質は当時より格段によくなり、国際商品価値が増し、レモンだって、今や瀬戸内レモンは高級ブランドです。

これらは政治の力ではなく、日本人のたゆまぬ「改善」(Kaizen)の成せる業です。

ポイントは、日本人の政治家が「コンセンサスポリティックス」と言うのは、内外への言い訳である。ということです。

日本がコンセンサス社会であることは言うまでもありませんが、政治家はそれを踏まえて、国家として何を考え、日本国民に説明責任をしっかりと果たしながら、国際社会に明確なメッセージを発信しなければなりません。また、日本国民もそのような人々を国会に送り出すべきなのです。

そのような日本の政治文化を変えるという意味を含み、

日本を変える。世界が変わる。

これが私の新しいスローガンです。

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追伸~隠れキリシタン? (瀬戸健一郎)
2015-05-07 15:13:55
隠れキリシタンが見つかれば、貼り付け(処刑)という法律があった江戸時代に、たくさん隠れキリシタンが存在していて、幕府もそれを承知していた。しかし、「彼らは隠れキリシタンではない。宗門心得違いの者である。」といって、処刑しなかったそうです。それは、現実にその法律を実行してしまうと、泰平の世に再び、島原の乱を再燃させることになってしまいかねないから・・・

法律とその執行についてのこのあいまいさが、現代日本にも脈々と受け継がれています。でも、これが悪いと断じることも難しいですね。だって、内戦もなく200年も内戦内乱もなく平和を維持し続けてきたのは、そのような時代だったということですし、そのような例は世界にただひとつなのですから・・・
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拝啓、瀬戸健一郎様 (一草加市民)
2015-05-09 15:00:56
県議選のお話はされないのですか。楽しみにしています。それと、奥様も民主党に復党されたことですし国政に関心があるようですね。
細川律夫元厚生労働大臣も政界を引退されたことですし、この際民主党の埼玉県第三選挙区総支部長に名乗りを挙げてもいいのではないかと思います。
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