ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

米ソ首脳会談の地~マルタについて

2011-01-16 12:58:02 | 市議会議員として
※若いでしょ?27歳の瀬戸健一郎です。フジテレビ系列全国ネットのTV番組「タイム3」に出演しました。


色々と資料を整理していたら、何と21年前の古いビデオが出てきました。本日1月16日(日)には、日本マルタ友好協会の新年会が都内で開かれているのですが、私は地元の子育てシンポジウム参加のために出席することができませんでした。

■日本マルタ友好協会理事として活動した若き日の瀬戸健一郎

かつて新自由クラブの代表だった田川誠一先生が日本マルタ協会の会長を務めておられ、その後任に指名されたのが恩師・白鳥令獨協大学名誉教授でした。それ以来、日本マルタ友好協会として、今日まで活動が続いているのですが、私もかつてその理事として活動したことがあります。

現在、白鳥令先生は日本マルタ友好協会の名誉会長となられただけでなく、マルタ共和国名誉総領事に就任しておられ、日本―マルタ共和国の親善交流の最前線でご活躍です。

米ソ首脳会談の地~マルタについて

※フジテレビ系列全国ネットの看板番組「タイム3」で、約8分30秒のコーナーに出演。


■日本マルタ友好協会第一次親善使節団事務局長としてマルタを訪問

私が初めてマルタ共和国を訪問したのは、1989年10月のことでした。恩師・白鳥令先生から、第一次親善使節団のマルタ共和国訪問を企画・準備するように指示され、ワクワクしたのを今も昨日のことのように覚えています。本当に貴重なチャンスを頂きました。

以来、マルタ共和国にどのようなルートで入るかを含め、色々な旅行日程を練りました。当時、日通旅行のロンドン支社に勤務していた、エセックス大学時代の親友で、今は世界一古い伝統を誇る英国のスーツケースメーカー「グローブ&トロッター社」を経営している岡豊さんと私の幼なじみでJTB海外旅行虎ノ門支店の航空券手配のエキスパート(現在はルックJTB担当)岡田哲郎さんの協力を得ました。

そして、ロンドン経由でマルタ入りし、旅行費用を削減するために、マルタ共和国政府と掛け合い、マルタ航空のロンドン―マルタの往復チケットをマルタ共和国に負担してもらうことになったのです。

■大統領府を公式訪問~タボーネ大統領から聞かされた衝撃のニュース

マルタ共和国と日本の関係は深く、かつて第一次世界大戦の頃には日本帝国海軍がマルタ沿岸の警備にあたり、ドイツのU-ボートを撃沈させた記録が残っていて、日本人戦没者の墓所も残されています。日本庭園には、日本さくらの会が寄贈した桜の木もあり、日本さくらの会の会員でもあられ、日本マルタ協会時代の田川誠一先生とも親交のあった元・草加市議会議員・花栗大臣と呼ばれた、故・新井義春大先輩とも、一度、マルタ共和国を一緒に訪問しましょうなどと話したことがあります。

そんな歴史的な背景もあり、私たち日本マルタ友好協会第一次親善使節団は大統領府に招待され、タボーネ大統領に謁見することができました。

そこでタボーネ大統領から直々に聞かされた衝撃のニュース。それが、「米ソ首脳会談」が12月にマルタで開かれるというものでした。当時はまだ世界的なかん口令がひかれていたために、歴史的な大転換期の訪れを世界一早く知らされた喜びに胸が高鳴りました。

■人類の救い。~大伝道者パウロ遭難の地で、冷戦が終結!

キリスト者を迫害する指導者であったパウロという人物が、ダマスコで圧倒的なイエス・キリストの臨在を受け、世界にキリストの福音を伝える大伝道者となるきっかけはローマに行くことでした。しかしその途上、地中海で嵐のためにローマ船が遭難。たどり着いたのがマルタだったわけです。

「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(ローマ27:20-26)

「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。」(ローマ28:1)

ここからパウロによるキリスト教の世界宣教が始まり、アダムとイブがりんごを食べてから傷ついた神と人間の隔ての壁である「罪」の許しと、永遠の命を与える「神の救済の御技」(かみのきゅうさいのみわざ)がことごとく成就し始めていったわけです。

■マルタ洋上の救い。~上陸せずに洋上で行われた米ソ首脳会談

まだこのブログでアップしたテレビ出演の段階では、マルタ会談の詳細は明らかにされていませんでした。しかし、マルタ島に上陸せずに米ソの艦船上で会談が行われることだけは確定していました。実際には戦艦ではなく、ソビエト連邦船籍のマクシム・ゴーリキー号という客船上で行われました。

マルタという島が、すべての世界人類を救済するために神が用いたパウロ漂着の地であったことが、世界にキリスト教社会を広げる原点であったという解説は、日本においては当時、私のこのテレビ解説と月間経済への投稿記事「米ソ首脳会談の地~マルタ共和国について」ぐらいのものでした。それ程、マルタ共和国は知られてはいなかったのです。

マルタ島そのものが要塞都市であり、教会や修道院を中心とした都市計画が行われ、キリスト教の歴史においては必ずしも誇れる歴史とは言えない「十字軍」の遠征基地でもあったことから、十字軍の騎士たちのミイラも多数安置されています。

是非もう一度、このマルタを訪問してみたいと考えています。愛する妻と一緒に・・・。

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor


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