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唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学概念論 解題(第三編 第一章 生命)

2022-04-03 21:19:23 | ヘーゲル大論理学概念論

 自然の全体的統一が機械観を化合観に転化し、化合観に現れた機械論的目的が化合観を目的観に転化した。しかし機械論的目的が主観的目的に転化するためには、自然の機械論的主体が個体の中に転移する必要がある。しかし個体の中に機械論的主体が転移するのであれば、個体は外面的客観の単なる機械的申し子にすぎない。したがってそもそも主観的目的は、客観的に個体に理念としてあらかじめ内在していなければならない。この生命的個体に内在する理念は、生命の主観的目的としての対自である。すなわちそれは、客観の自己自身に関わる主観の自己である。一方で対自は既に意識である。この生命的個体における意識の内在は、機械観と目的観の間の飛躍を表現する。ただし先行する目的観の論述を見ても、推論に現れた目的は既に実在を与えられている。しかしそこで実在するのは全体の過程であり、個体ではない。すなわちそれは、G-W-Gの連鎖を準備するW-G-Wの連鎖である。ヘーゲル理念論がここで突き当たるのは、主観の自己に関わる客観の自己自身の先行的登場であり、客観の自己自身に関わる主観の自己の先行的登場ではない。要するにその主観の自己は、物体に過ぎない魂である。そこで次にヘーゲルが挑むのは、この物体に過ぎない魂に生命の息吹を与える作業である。したがってここでの生命論は、第二章以後の認識論と実践論の概要である。すなわち生命は、主観の自己が真と善を契機にして、物体としての自己自身を離脱する過程の全体を指す。

[第三巻概念論第三編「理念」第一章「生命」の概要]

 主観的目的としての理念の類的外化の論述部位
・理念の即自限定
 ‐実在限定      …目的として諸物に内在する理念による実在の限定。
 ‐主客の否定的統一  …特殊で空虚な客観を限定する普遍に実在する主観。
・理念の対自限定
 ‐生命        …理念の対自的主観が自己自身を即自的客観に分離して自己に復帰する過程。
 ‐認識と意欲     …客観の個別な自己自身の廃棄、および主観の普遍的目的との自己同一。
 ‐真と善、絶対知   …内在的概念としての認識と意欲が外化した客観。およびその内化的否定。
・論理的生命     …外面的客観を廃棄した対自の自由な主観的概念。
            普遍と特殊を否定的統一する個別であり、かつ個別と種を否定的統一する類。
 ‐生命的個体     …自己から分離した自己自身を客観と成す主観。
  ・有機体     …主語の主観を魂、述語の客観を身体として両者を否定的統一した判断。
  ・過程の外化   …有機体の目的論における手段と成果、客観と主観の同一がもたらす推論過程自体の客観的自立。
  ・生命体の三区分 …全てを受容する直観、直観を具現化する感情、感情を外面的限定する反省のそれぞれが普遍・特殊・個別に対応
 ‐生命の実現過程   …自己に関わる内的主観の自己否定による、自己に無関心な外面的客観の廃棄と自己実現。
 ‐生命と世界の同化  …客観に関わる内的主観の特殊による外面的客観の内面化。
            生命体が否定した個別的自己の類的自己復帰。
 ‐類の生殖過程    …直接的個別としての自己自身を廃棄し、認識の客観的限定存在を産出


1)理念と実在

 理念は客観的に実在する概念である。それは活動の目的であり、かつ実在する。その実在が表現するのは、目的の到達可能である。到達不能な目標は、理念ではなく非現実な観念にすぎない。これに対してカントは理念を経験から離れて概念を限定する無制約者とした。ただし理念は概念だけでなく知覚の指標でもある。それは全ての現実的諸物に内在し、それにより諸物は実在となる。またそうでなければ理念は、それら諸物に対していかなる限定もできない。それらの真理は概念と客観の統一にあり、その統一を失うならそれら諸物も実在を失う。つまりそれら諸物は、理念により存在する。同様に諸物の有限性も、それらに内在する理念の不完全に従う。有限な諸物は外面の作用因に限定され、その限定に応じて機械的に自己の外面を擁立する。ただしその擁立が外面の作用因に限定される限り、擁立された諸物は目的ではなく手段にすぎない。諸物が到達する実在は、その理念の不完全に応じて空虚である。


2)主観と客観の統一

 客観的実在概念としての理念は、主観的概念と客観の統一としてさらに限定される。もともと実在に対する限定は、無限定な普遍的存在である。一方で概念はその無限定な普遍の限定存在を特殊と個別において持つ。そして客観は自己に復帰した自己同一な全体概念である。主観的限定は特殊や個別なものであり、客観に内属する仮象にすぎない。ところが作用因と目的因、客観と主観の交互作用の直接的な全体は、擁立された外面的客観である。その外面に対して理念は、それを擁立する内面的主観として現れる。それゆえにこの擁立する主語と擁立される述語の全体は、内面的主観が外面的客観を擁立する絶対的判断となっている。ここでの客観は、理念が擁立する概念の外面である。そして概念の内面は、その擁立する理念としての主観である。したがってその擁立される客観は、主観に対して外面的で無関心に並存する偶有ではない。外面的客観がその非実在のゆえに没落すると、そこに理念の実在が置き換わる。それは概念に対立する抽象的存在ではなく、概念を限定する成の否定的統一である。


3)主観としての生命

 理念は第一に、特殊な概念と客観が否定的統一した普遍の真である。第二にそれは、対自的主観が自己自身を即自的客観として分離し、自己に復帰する過程である。それは無目的な変化や静止ではなく、精霊や抽象的な数でもない。ただしその始まりの自己は客観的実在と概念が統一した直接的な即自態にあり、自己自身を概念把握する対自態として実存していない。この即自態の自己との比較において理念は生命である。それは主観的自己と客観的自己自身を区別し、客観を手段にして目的と自己同一する主観である。その内在的概念の実存形式は個別にある。しかし生命は反省を通じてこの自己自身の個別を廃棄する。そしてこの廃棄が生命の内在的概念を外化する。したがってその擁立された外面的客観は、生命の内在的概念と同等の普遍である。それは内在的概念として認識と意欲であり、その外面的客観として擁立されるのが真と善の理念である。ただし有限者にとって最初の真と善は目標にすぎず、その実在は抽象的普遍に留まる。しかしその普遍は生命が前提する客観にすぎない。有限者はその廃棄を通じてそれらを自己自身の観念として認識する。精神が即自対自的真理として認識するのは理念であり、理念において認識と実践が融和する。そのような理念が絶対知である。


4)論理としての生命

 論理が扱う生命は、概念の必然が導出する直接的な理念である。一方で外面的自然はこの理念に到達できない。そこで自然が生命に到達するとき、自然は外面としての自己自身を廃棄する。これに対して論理的生命は、最初から概念の形式の中にいる。論理的生命は主観的概念であり、自らの実在を媒介する衝動である。しかし精神との関係で見ると、生命は精神と対立する自然の生命と精神に同一な生命とに二分解する。それは本来の生命が個別であり、精神の生命が普遍であることに従う。このために生命に対する捉え方に応じて生命は手段にも目的にもなる。しかし生命自身に制約は無いので、生命はいずれの捉え方からも自由である。その完全な自由は、対自の単純な自己関係としての生命の概念に由来する。生命はこの概念を実体にして自律しながら各所に偏在する。それゆえに反省においても生命の現実は、非現実な衝動である。しかもこの実体は、生命に対して客観のはずの普遍の実体でもある。したがって生命の自己同一な衝動は、生命に対して外面的な普遍にとっても自己同一な衝動である。このことが個別の衝動を種の衝動に統一する。生命は自律する対自として自己を客観と分離し、自己を前提として非生命の他者と関わる。生命は客観と特殊を否定的統一する個別であり、そのような自己において個別と種を否定的統一する類である。その個別から種と類への遷移は、次のように生命を自己展開させる。
 ・生命的個体   …自己に対して無関心な客観に対して無関心に自律する主観
 ・生命の実現過程 …自己と対立する客観を否定し、前提としての客観を否定して自己自身を客観の力として実現
 ・類の生殖過程  …直接的個別としての自己自身を廃棄し、それを認識の客観的限定存在として実現


5)生命的個体

 直接的理念としての生命は、自己自身と同一な客観を持つ概念である。ただしその一致は、生命が自己自身と同一な客観を擁立することにより果たされる。それゆえにその擁立は、生命の自己と自己自身の分離である。ここでの自己は個別主観であり、自己自身は自己に無関心な普遍的客観である。ただしその最初の客観は、自己復帰する対自としての自己限定作用である。それは自己による自己自身の創造的前提作用である。それゆえにこの客観は、概念と実在の否定的統一である。ただしその実在は概念が擁立する観念であり、概念の受容により実在化する客観と異なる。したがってこの擁立された観念は、理念として主観に内属する客観である。しかしそれは客観である以上、その内属する主観に対して無関心に直接的存在として自立する。とは言えここでの理念の客観性は、直接的客観からの借り物にすぎない。すなわちその実在は、主観との区別により擁立されただけである。分離した概念の全体は、それ自身が相互に自己を主観とし、他方を客観とする判断である。さしあたりその概念が擁立する判断は、客観を媒介にして対自する自己同一である。そこで主観は個別理念として現れた生命的個体となる。一方でこの概念全体の否定的統一は、主観の自己同一に対立する。


 5a)魂と身体

 生命的個体は始元的自動原理としての魂である。一方でそれは自己自身を手段として目的に従属する実在とする。その実在は概念の直接的身体であり、魂が自ら擁立した生来的な客観である。この客観は個体の述語として統一に組み込まれる。それゆえにそれは有機体であり、機械観や化合観に現れた機械論的客観ではない。すなわちそれは内在する概念を実体にして生命と一体にある。それは客観として手段であるが、実現した概念の目的でもある。それゆえにこの客観は、主観と客観の否定的統一に対立し、自らの種的自律の衝動を持つ。それは特殊としての自己自身を廃棄し、自己を普遍化する衝動である。


 5b)目的の成果としての内的過程

 目的論の推論では客観は手段であり、前提された目的は結論において即自対自的に実現される。しかし生命体の場合、前提される目的が既に理念の即自対自態にある。それゆえに目的論における手段としての客観は、生命体の場合だとそのまま主観と客観の否定的統一である。つまりその過程そのものが、既に生命体の目的の成果である。ここでの目的はその外面において自己自身を廃棄し、主観と客観の否定的統一としての自己を実現する。その自己自身の廃棄は、自己自身に対して自己を外面とし、無関心な客観として擁立する。一方でここで自己自身が産出する主観と客観の否定的統一は、概念としての自己である。したがってその生命体における動揺と変化は、概念の外化である。そしてその産出された概念は、それ自身が産出者である。このことが概念を外化する産出過程を目的の成果にする。


 5c)生命的客観

 生命体が実現した自己は、実在する身体を全体とした生命的客観である。しかしその生命的客観の実体は、概念としての魂である。しかもこの生命的客観を実現した主観と客観の否定的統一は、当の実現された自己にとって外面的な過去的契機である。このことと同様に普遍・特殊・個別の概念的諸規定も、生命的客観にとって外面的な区別になっている。そこで生命的客観におけるこれらの概念的諸規定は、以下のように現れる。
・受容(普遍)…絶対無の単純な直接性として全ての外面を受容し、それらを単純化した普遍に還元して直観する場。
・興奮(特殊)…直観の自己自身を外面的客観として前提し、その実在しない抽象的観念を具体に限定する衝動。感情一般。
・再生(個別)…乱立する特殊な自己自身の全体を類とし、個別の自己自身を外面的手段として限定する理論的反省。


 5d)否定的統一の再生

 もともと直観は、生命体が受容した主観と客観の無形式な否定的統一である。これに対して感情は、生命体が直観を抽象的限定する衝動である。そして反省において乱立して現れる感情は生命体の自己自身の種であり、並存する種の形式として直観の自己は類となる。ところがこの直観と感情の抽象は、主観と客観の否定的統一から主観だけを抽出して内面とする。それゆえに直観には、主観と異なる抽象的ではない具体的な生命体の自己自身が残留する。この自己自身は主観と区別される限りで客観であり、自己自身の内面から排除される限りで自己自身の外面である。ただしそれは内面から排除された内面にすぎない。それは主観と客観の否定的統一としての自己自身であり、そのように擁立された個別である。ただしその否定的統一は、直観におけるもともとの否定的統一を再生する。それは生命体の自己にとって外面的な自己自身であり、直接的な客観である。それゆえにこの自己自身の客観的外面は、生命体の自己にとって直接的な手段に転じる。そしてその自己自身の再生が、生命体を感情を持つ自立した具体的な自己にする。この生命体の新たな全体は全体である点で元の全体と同じであり、その限りで元の全体の存在根拠である。すなわちその新たな自己は、元の自己において目的としてあらかじめあった自己である。


6)生命の実現過程

 再生において現れる生命体の個体は、対自した生命体の具体的実存である。それは自らを個別として生命体の種に関わる。したがってそれは自らを客観的外面として他の客観と関わる。ただしそれらの客観は生命体の前提として現れながら、いずれも生命体の自己に無関心である。その客観の外的無関心は、生命として自己に関わる生命体の内的主観と対立する。ここでの生命体の内的主観は、自己の自立を確信している。またその確信の実現は、生命体にとって自己の実在に等しい。すなわち生命体はこの確信を実現しなければいけない。一方で生命体においてこの確信は、外的客観を自立しない虚無として確信させる。そしてこの確信は生命体にとって実現すべき確信である。それゆえに主観と客観の対立は、主観において客観を廃棄する欲求として現れる。生命体はまず主観の自己否定において自己自身を客観にする。次に客観と同等となった自己自身を手段として客観世界全体を廃棄する。この廃棄に至る過程で生命体は主観と客観に分裂して対立する。この矛盾のゆえに生命体は苦痛を感じざるを得ない。ただしそれは対自において欲求を実現する生命体の特権である。


7)生命と世界の同化

 生命体の自己否定的客観は、過程の全体の中で自らの手段としての概念を得ている。そしてこの事はその他の客観全体の概念にも該当する。逆にそれ以外の仕方で、客観は自らの概念を持たない。それゆえに客観世界は生命体にとって媒介的刺激に過ぎず、作用因ではない。このことから概念を持つ客観は、生命体にとって何らかの有意な客観だけになる。とは言え客観への関与が生命体の特殊を構成するので、結局いかなる客観も生命体にとって概念を持つ。また生命体の主観は、自己自身の外面的客観を手段として客観世界を征服する。ここでも機械論の外面的合目的は、生命体の外面的客観を通じて廃棄される。そしてこの廃棄によりその客観の機械的過程は、主観の内面的過程に同化する。この内面的過程では、まず生命体が主観としての自己を否定して客観としての自己自身に転じ、次にその客観を否定することで主観としての自己に復帰する。単純な例えで言えば、生命体は魂としての自己を滅却して身体に転じ、次に身体としての自己自身を消費して魂としての自己に復帰する。このような魂と身体が統一した生命体は主観と客観の現実的統一であり、特殊な個体を廃棄した普遍である。この普遍的生命が類として擁立される。


8)類の生殖過程

 生命において概念が産出するのは、自己を産出する現実の生命体である。その主観と客観の現実的統一は、理念としての類である。一方でこの現実の生命体は、全体から産出された個体である。ところがその類が産出した個体も、その自己同一において類である。したがって生命体において統一された主観と客観の普遍は、再び生命体の特殊な自己自身と自己として分離する。その分離した個体は、それぞれの自己同一において対立して矛盾する。それゆえに個体の自己自身は即自に類であるのに対し、対自する自己は類ではない。また他の個体との同一は内在的な主観的普遍であり、現実的普遍として擁立されていない。この類でもなく主観的な自己を類として現実化するのは、個体の自己反省である。さしあたりこの反省は、自己自身を反省する自己を直接的に産出する繁殖である。そしてその直接的な繁殖は、自己自身としての親が自己としての子を産出する生命体の生殖である。それは個別の自己自身による個別の自己の繁殖である。しかし一方でこの繁殖は、個別の自己自身の廃棄を通じてその直接性と個別性も廃棄する。このときに個別の生命の死と入れ替わりに精神が出現する。それは理念としての自己に関わる認識の理念である。

(2022/02/09) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第三篇 第二章 Aa) 前の記事⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第二篇 第三章)

ヘーゲル大論理学 概念論 解題
  1.存在論・本質論・概念論の各章の対応
    (1)第一章 即自的質
    (2)第二章 対自的量
    (3)第三章 復帰した質
  2.民主主義の哲学的規定
    (1)独断と対話
    (2)カント不可知論と弁証法

ヘーゲル大論理学 概念論 要約  ・・・ 概念論の論理展開全体 第一篇 主観性 第二篇 客観性 第三篇 理念
  冒頭部位   前半    ・・・ 本質論第三篇の概括

         後半    ・・・ 概念論の必然性
  1編 主観性 1章A・B ・・・ 普遍概念・特殊概念
           B注・C・・・ 特殊概念注釈・具体
         2章A   ・・・ 限定存在の判断
           B   ・・・ 反省の判断
           C   ・・・ 無条件判断
           D   ・・・ 概念の判断
         3章A   ・・・ 限定存在の推論
           B   ・・・ 反省の推論
           C   ・・・ 必然の推論
  2編 客観性 1章    ・・・ 機械観
         2章    ・・・ 化合観
         3章    ・・・ 目的観
  3編 理念  1章    ・・・ 生命
         2章Aa  ・・・ 分析
         2章Ab  ・・・ 綜合
         2章B   ・・・ 
         3章    ・・・ 絶対理念


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