唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学概念論 解題(概念論冒頭前半) 

2022-04-03 13:44:21 | ヘーゲル大論理学概念論

 大論理学第三巻概念論の冒頭でヘーゲルは、スピノザの静的実体を自由な即自対自態の概念として示した第二巻第三篇「現実性」第一章「絶対者」を概括し、それに続く概念論の方向を概念の客観的カテゴリーの体系として示す。さしあたり第二巻本質論における概念は、スピノザ式実体論として始まり、その即自態にある実体を対自を媒介にした即自対自態として展開する必要を論じた。すなわち文章にならず自己原因の物体にすぎない概念は、主語と述語の結合として現れなければいけない。

[第三巻概念論の冒頭前半の概要]

 本質論第三篇の概括部位
・実体としての概念   …即自態の直接的抽象と対自態の媒介的反省を包括する実体の即自対自態
・受動と能動の自己相関 …受動的実体を前提にして受動的実体を擁立する力としての能動的実体の相関
・仮象としての因果   …能動的実体を原因として受動的実体を結果とする交互作用の仮象
・自由としての必然   …自己原因である実体の自由が必然を必然たらしめる
・スピノザ実体論の克服 …概念の即自対自態によるスピノザの叡智的実体の置換
・概念の主述分離と結合 …概念における具体と普遍の区別とその主語述語統一


1)顕現した実体としての概念

 対象の概念は、無媒介な論理的基礎としての実体を前提する。しかしその最初に現れる直接的抽象は、既に媒介されている。それゆえにその直接的抽象は、媒介されたことを自ら廃棄し、自己を直接的なものとしなければいけない。これに対して概念は、直接的抽象と媒介的反省の第三者であり、すなわち存在と本質の第三者である。ただし存在と本質は、概念生成の過去的契機として概念に包括される。そして概念はそのようなものとして存在と本質の基礎を成す。概念の生成において、実体は概念の即自態であり、概念は実体が顕現した即自対自態である。それゆえに実体が必然的規定を与えるのに対し、概念はその必然的規定の廃棄を包括する。したがって概念においてその必然は、必然の自己廃棄を包括する自由である。即自態にある実体は、可能と現実を一つにして包括する絶対者である。一方でその対自態は、即自態の自己自身を否定する力である。そのような実体から即自対自態の概念が生成する。


2)実体から概念の生成

 自己を力として対自する実体は、一方で自己自身を受動的実体として擁立し、他方で自己を能動的実体として擁立する。ここでの受動的な自己自身は、自己を制約する即自存在の形式である。それに対して力としての自己も、自己自身を外化し否定することにより自己相関として自己を限定する。能動的自己は自らを原因と成し、自己の前提であった受動的自己自身を否定する。またこの否定において能動的自己は自らを力として抽象し、外化した自己自身を擁立された存在として抽象する。この擁立し擁立される二つの仮象が、擁立された受動的自己自身を結果と成す。能動的実体を制約する前提として現れた受動的実体は、擁立されることにおいて擁立する能動的実体を継承する。ここでは原因の能動的実体が受動的実体を制約する前提であり、結果の受動的実体は外化した原因である。この原因と結果の同一性は、両者を同一実体の反転した二面にする。ただし原因と結果はその反転においてやはり互いの他者である。そしてそのような外化した自己自身との対自が、原因と結果の二者を一つの即自対自存在として擁立する。この原因と結果の交互作用は、因果を仮象として啓示する。原因と結果を統一した即自対自存在は、概念として擁立された実体である。その交互作用における推移は、概念が含む必然の顕現にすぎない。しかし熱や重さなどの物体の属性概念は、その擁立されたことにおいて仮象であり、主観である。そして概念が主観であることは、そこでの必然が主観の自由であるのを顕現する。


3)概念論とスピノザ哲学批判の相関

 スピノザ哲学を含めて過去の哲学体系は、その時代の思弁の頂点に立つ限りでその時代の真理であった。このような過去の真理に対して次代の真理は、それを包括する対自態である。それゆえにその次代の真理において、過去の真理は虚偽的な一面的真理として現れる。これと同様に一つの哲学を否定する場合も、その批判はその哲学を包括する対自態として現れなければいけない。そして対自態として現れる哲学体系とは、それ自身が思惟である。しかもスピノザ哲学における思惟は、熱や重さなどの物体の属性であり、人格的思惟ではない。ただしその人格的思惟の欠如の批判は、スピノザ哲学に立脚した人格的思惟の生成でなければいけない。すなわち求められているのは、スピノザ哲学における物体にすぎない思惟を、即自対自態の概念に転じる理屈である。そしてそのような批判が、上記2)で概観した力の人格的思惟への転化の説明であった。そしてその批判が示すのは、即自対自態の概念こそが思惟と延長の二つの実体のスピノザ式統一を実現することであり、その統一が自らを物理的実体として擁立する思惟の自由として現れることである。


4)概念における普遍と具体の統一

 自由な即自対自態としての概念は、自己自身を擁立する自己であり、かつ自己に擁立された自己自身である。したがって概念の自己は、自己同一な絶対的規定として普遍Allgemeineである。一方で自己が擁立する概念の自己自身は、普遍を否定する具体Einzelneである。しかし普遍と具体は相対的に区別された同じ概念であり、その対立は仮象である。この概念の概念は、自我において純粋概念として限定存在する。すなわち自我は具体を擁立する普遍であり、普遍に擁立される具体である。それは自己自身を擁立する自己であり、自己に擁立される自己自身として限定存在する。自己が普遍であるのは全ての規定を排除して残る存在だからであり、自己自身が具体であるのは限定において自ら普遍であるのを否定するからである。概念においてその普遍と具体の区別が統一を欠くのであれば、それが真に概念たり得ることは無い。

(2021/09/19) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 冒頭後半)

ヘーゲル大論理学 概念論 解題
  1.存在論・本質論・概念論の各章の対応
    (1)第一章 即自的質
    (2)第二章 対自的量
    (3)第三章 復帰した質
  2.民主主義の哲学的規定
    (1)独断と対話
    (2)カント不可知論と弁証法

  3.独断と媒介
    (1)媒介的真の弁証法
    (2)目的論的価値
    (3)ヘーゲル的真の瓦解
    (4)唯物論の反撃
    (5)自由の生成

ヘーゲル大論理学 概念論 要約  ・・・ 概念論の論理展開全体 第一篇 主観性 第二篇 客観性 第三篇 理念
  冒頭部位   前半    ・・・ 本質論第三篇の概括

         後半    ・・・ 概念論の必然性
  1編 主観性 1章A・B ・・・ 普遍概念・特殊概念
           B注・C・・・ 特殊概念注釈・具体
         2章A   ・・・ 限定存在の判断
           B   ・・・ 反省の判断
           C   ・・・ 無条件判断
           D   ・・・ 概念の判断
         3章A   ・・・ 限定存在の推論
           B   ・・・ 反省の推論
           C   ・・・ 必然の推論
  2編 客観性 1章    ・・・ 機械観
         2章    ・・・ 化合観
         3章    ・・・ 目的観
  3編 理念  1章    ・・・ 生命
         2章Aa  ・・・ 分析
         2章Ab  ・・・ 綜合
         2章B   ・・・ 
         3章    ・・・ 絶対理念


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