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唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学概念論 解題(第一編 第一章 B 特殊概念(注釈)・C 具体)

2022-04-03 16:22:22 | ヘーゲル大論理学概念論

 概念の先験性が心理的明瞭に依存するなら、それは時空間やカント式物自体のような無内容な諸形式をもたらす。ところが概念に求められているのは、それらが排除した具体的内容の方である。しかし内容がもっぱら表現するのは主観的質料である。このような概念の先験性に反する内容は、推論でのみ概念に結合される。他方で形式は対象から質料を剥ぎ取る形で現れた根拠づけ関係である。したがって先験論は既に対象を質料と形式の複合だと前提している。当然ながらこの前提は、既にして概念を裸の形式のままに押し留めるためのものではない。概念は単なる抽象ではなく、具体的なものである。それは存在と本質、質料と形式、即自と対自、普遍と特殊、類と特殊の統一であり、その全体として現れる。したがって主観的質料と先験的形式の統一は、それ自身が判断の先験的形式になっている。

[第三巻概念論第一編「主観性」第一章「概念」のB「特殊概念」注釈とC「具体」の概要]

 具体についての論述部位
・先験的概念区分の抽出
  - 単純・複合性 …質料的多様における単純と複合の相互移行。複合の内部分離した全体の単純(普遍)化
  - 反対・矛盾性 …部分と全体における反対と矛盾の相互移行。種差の矛盾する全体の普遍(類)化
  - 従属・同位性 …主従関係における従属と同格の相互移行。同格な普遍の全体に従属する特殊(種)化
  - 具体・抽象性 …量的多様における抽象と具体の相互移行。排除された質全体による抽象の具体(個別)化
・具体       …普遍を否定した特殊の否定。反省の限定に対する反省。特殊を媒介にして自己復帰した普遍
・具体的抽象    …普遍を単に無内容の抽象するのでなく、絶対無の自己同一として具体的に限定する抽象
・抽象的特殊    …具体に対して抽象的可能に転じた特殊。形式的推論
・具体と抽象の逆転 …概念に対して抽象的現実に転じた具体。個物
・具体的概念    …具体と具体を否定する抽象の概念における結合。主語と述語の否定的統一。判断


5)概念の三区分についての注解

 カントは論理学の先験的カテゴリーを主観的論理学から流用する。それらは、主観的論理学が経験的に捉えたカテゴリー区分である。したがってそのような借用は、先験的論理学の先験性に反する。概念の区分には、先験的な判明性を必要とする。しかし概念の区別を単に諸対象の自明な対他的区別だけで捉えるなら、それは概念以前の主観的表象に留まる。また判明な概念は、諸対象を判別する第三者的特徴Merkmalを必要とする。ただし対象の本質を現さない第三者的特徴は、概念と無関係な外面的な記号にすぎない。第三者的特徴は単純概念の内容を成す。内容にそれ以外のものを含む概念は複合概念である。そこで概念の単純性について次に確認しなければいけない。


 5a)単純概念(要素)と複合概念

 第三者的特徴を単純概念と別のものに扱うと、そのことは単純概念に対して複合概念の外見を与える。この場合に単純概念の単純性は判明性と対立し、単純概念自体を抽象的普遍に転じる。これに対して往々にして学者は、単純概念の実在や統一の自明を、単純概念の判明性に代用する。しかし概念を判明にするのは、類と種差の限定である。そして類と種差は、単に二対象における同一と差異を表現する。それは対象自体の同一を損壊しない。したがって単純概念がその類と種差によって複合概念に転ずることはない。表象や記憶における自然や神は単純概念である。その組成の分析的複合において単純概念を複合概念に扱うのは、唯物論である。


 5b)反対概念と矛盾概念

 例えば椅子と木製の椅子のような単純概念と複合概念を差異において固定すると、区別された対象は相関しない。しかしその区別が同一において消失すると、区別された対象は相関する。単純概念と複合概念の区別は流動しており、その同一においてむしろ単純概念のうちに消失する。そこで単純概念と複合概念の区別は、その流動に応じた反対概念と矛盾概念の区別に転じる。ここでの反対概念は、相関せずに差異する二概念である。しかしこの反対概念と矛盾概念も区別されて対立する。そしてこの対立もやはり相関である。したがって反対概念と矛盾概念の区別も、同一において矛盾概念のうちに消失する。このときに同一する矛盾概念は普遍を現し、その種差が特殊を現す。区別の無い普遍は、差異する特殊を包括し、そのような全体として具体である。しかし区別された普遍は、差異する特殊の全体であり、そのような全体として具体である。したがって区別の消失した普遍の全体は、差異する特殊の全体であり、そのような全体として具体である。


 5c)従属概念と同位概念

 従属概念と同位概念の相関は、上記の反対概念と矛盾概念に準じる。ただし従属概念は、二対象の固定の主従関係を含む。これに対して同位概念は、二対象の主従関係が消失している。結局この従属概念と同位概念の区別も、同一において同位概念のうちに消失する。このような論理関係を数理記号にすると、概念の二元的な二極表現になる。しかしその二極運動も、二元表現の廃棄を含む必要がある。ところが論理関係の数理記号化は二元表現を固定するので、二元表現の廃棄に難がある。その困難は、例えば無限級数の収束において、異なる演算規則を外部の表象から導入させる。


 5d)具体と抽象概念

 上記5aから5cのいずれの概念分類も、普遍・特殊・具体の差異を量的なものにする。すなわちより最も外延が大きいのが普遍であり、次に特殊であり、そして具体である。しかし三者の差異は、量を含めた質にある。したがって単に量的な数的相関や空間的相関は、具体的世界の貧相な抽象に留まる。要するにそれは質を捨象して現れただけの量である。さしあたり三者は、反省を媒介にして相対的に相互限定する。それゆえに三者はそれぞれ単独に限定され得ないし、それぞれが三様の全体である。同じ理屈で言えば言語の主従限定を離れた象徴も、具体的概念の貧相な抽象にすぎない。そのような象徴による概念の限定は、概念を貧相な抽象にする。象徴と概念の正しい限定関係は、象徴による概念の限定ではなく、概念による象徴の限定である。


6)具体(個別)

 普遍は無限定な存在であり、特殊はその否定の限定である。言い換えると特殊は普遍的な質である。それは擁立された普遍の他者である。ただしこの特殊も普遍的であるゆえに具体的ではない。とは言え特殊はその限定において普遍より具体的である。同様にこの特殊に包括される特殊は、そのさらなる限定において先の特殊より具体的である。一方で普遍はもともとその自己同一において具体的である。ところがその普遍の具体は、その無限定のゆえに特殊の具体に駆逐される。しかしその特殊も限定された普遍にすぎない。それゆえに特殊の具体は、そのさらなる特殊の具体に駆逐される。そしてこのさらなる特殊もやはり限定された普遍である。一見するとこのさらなる特殊は、自らの内から新たな特殊が現れない原子的限定に達するまで分析可能である。そしてその原子的限定を剥ぎ取った究極には再び無限定な抽象的普遍が現れる。ただしこの抽象的普遍は、元の無限定な普遍の印象(仮象)である。そしてその前に現れる中間的特殊も、後から擁立された中間的普遍にすぎない。普遍を限定する特殊は、単に自己に擁立された自己自身である。その自己自身の限定の内訳は、自己自身の擁立の後に擁立される。すなわち中間的特殊も中間的普遍も、後から擁立される。むしろ注目すべきなのは、さらなる特殊が最初の特殊の否定であるなら、それは普遍の否定としての特殊の否定であり、普遍の二重否定だと言う事である。すなわちさらなる特殊とは、自己復帰した普遍としての具体である。それは普遍の反省である特殊のさらなる反省である。このさらなる反省は、特殊の擁立の契機の反省を含む。それゆえに具体は、単に元の普遍への復帰や抽象的普遍として現れるのではなく、具体的な概念として現れる。そして普遍と特殊の具体的擁立は、このような具体を媒介にして可能となる。


 6a)具体的抽象

 普遍は限定を排除する否定である。そこで普遍から全ての限定を排除するなら、普遍は絶対無の抽象に転じる。ただしこのような抽象も、普遍を具体的に限定する。したがってその抽象は、具体として普遍から分離している。この抽象が具体であると言う結論の奇妙さは、普遍を限定する抽象の無内容に従う。しかしここでの後の抽象の内容は、最初の抽象の無内容である。そして後の普遍を限定するのも、最初の普遍の無限定である。抽象も普遍も、それぞれ最初と後で異なっており、後のものにおいて具体化している。したがって抽象は内容を持ち、普遍は限定である。無内容な抽象は単に具体的ではない抽象であり、同様に無限定な普遍も具体的ではない普遍に留まる。


 6b)抽象的特殊

 特殊は限定された普遍として具体である。また具体は限定された普遍として特殊である。いずれにおいても具体は、自己復帰した普遍である。そしてこの具体の限定が、特殊と具体を区別する。しかしこの普遍・特殊・具体の区別は、逆に特殊を特殊な具体、または特殊な普遍にする。そこでこのような普遍と具体の中間体としての特殊は、可能なだけの特殊な普遍として具体化する。その具体化が体現するのは、箇条書きのように「…であろう」を並べる形式的推論である。


 6c)具体と抽象の逆転

 普遍・特殊・具体は、相互に他者の中で自らを喪失する。それゆえにそれらの区別の固定的な抽象は、それらの表象における量的差異にならざるを得ない。ただし具体は普遍の否定としての特殊の否定である。したがって具体において普遍と特殊は統一する。またそのように具体は、限定された全体を概念として擁立する。この概念の擁立は三者を区別し、普遍と特殊を抽象化して内容のある具体にする。しかしそのことで逆に、具体自体は無内容な抽象に転じる。その無内容な抽象では、具体は自己同一な直接的否定、すなわち個物Diesesである。具体同士は相互排他的な一者であり、今度は普遍がその共通者として現れる。


 6d)具体的概念

 具体における抽象は、さしあたり単なる指摘である。それはまず具体を直接的存在として指摘し、その限りで具体を個物にする。ただしその指摘は、具体の外からやってくるのではなく、具体自身の自己反省である。その反省では具体の自己が自己自身を抽象する。そしてこの抽象は具体の自己自身の映現である。それは具体の自己自身を自己から分離し、区別を擁立する。ただしここで具体の自己が区別した自己自身は概念であり、単に存在する具体ではない。それは具体の自己が排斥した自己自身としての普遍である。この具体の普遍との分離は、概念の根源的な自己分割である。それゆえに元の概念は消失し、その全体を具体的な概念に転じる。それは概念自らによる、判断としての具体的概念の擁立である。

(2021/09/22) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第一篇 第二章 A) 前の記事⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第一篇 第一章 A・B)

ヘーゲル大論理学 概念論 解題
  1.存在論・本質論・概念論の各章の対応
    (1)第一章 即自的質
    (2)第二章 対自的量
    (3)第三章 復帰した質
  2.民主主義の哲学的規定
    (1)独断と対話
    (2)カント不可知論と弁証法

  3.独断と媒介
    (1)媒介的真の弁証法
    (2)目的論的価値
    (3)ヘーゲル的真の瓦解
    (4)唯物論の反撃
    (5)自由の生成

ヘーゲル大論理学 概念論 要約  ・・・ 概念論の論理展開全体 第一篇 主観性 第二篇 客観性 第三篇 理念
  冒頭部位   前半    ・・・ 本質論第三篇の概括

         後半    ・・・ 概念論の必然性
  1編 主観性 1章A・B ・・・ 普遍概念・特殊概念
           B注・C・・・ 特殊概念注釈・具体
         2章A   ・・・ 限定存在の判断
           B   ・・・ 反省の判断
           C   ・・・ 無条件判断
           D   ・・・ 概念の判断
         3章A   ・・・ 限定存在の推論
           B   ・・・ 反省の推論
           C   ・・・ 必然の推論
  2編 客観性 1章    ・・・ 機械観
         2章    ・・・ 化合観
         3章    ・・・ 目的観
  3編 理念  1章    ・・・ 生命
         2章Aa  ・・・ 分析
         2章Ab  ・・・ 綜合
         2章B   ・・・ 
         3章    ・・・ 絶対理念


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