唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学概念論 解題(第一編 第一章 A 普遍概念・B 特殊概念)

2022-04-03 14:20:48 | ヘーゲル大論理学概念論

 概念の自己は即自態としての存在に始まり、自己自身を対自態の本質として反省する。しかしこの本質の欠けた実存、および実在の欠けた本質は、いずれも概念の部分的局面に過ぎない。それゆえに概念は両者の統一において自己に復帰する。したがって概念論もまた、この存在論と本質論の集約である。そこで概念論第一章の始まりもまた存在と本質と概念の相関を、普遍と特殊と具体、または類と種と個別の相関として描き、さしあたりの概念の説明に代える。

[第三巻概念論第一編「主観性」第一章「概念」のA「普遍概念」とB「特殊概念」の概要]

 普遍概念と特殊概念、類と種についての論述部位
・普遍概念  …自己同一な絶対無の純粋な自己関係。同一変化をもたらす自由な力
・類     …普遍の自己限定。限定された普遍。種の全体。概念の自己
・特殊概念  …普遍概念の多様な本質。単純否定性(局部限定)。普遍の対自限定。具体的普遍の媒介者
・種     …類の自己限定。限定された類。類の部分。概念の自己自身
・抽象的普遍 …普遍を含めた特殊の全面排除に現れる無内容な普遍。“である” としての存在
・悟性    …普遍を無内容な抽象にする悟性。普遍を無限定の具体にする悟性
・具体    …特殊の全体を統一して現れる自己復帰した普遍。特殊と普遍の主述結合。普遍化した特殊


1)主観性の全体的推移

 悟性に対する一般的扱いは、諸存在者を結合する自我の一能力である。このように悟性を自我の付帯的属性の如く扱う見解に対し、カントは統覚としての自己の根源的統一から悟性を導出する。なぜならカントは、悟性および概念と自我のそれぞれに根源的同一を見出すからである。彼にとって表象における直観の統一を可能にするのは、諸存在者の自己における先験的統一である。ただし意識において表象の統一に現れる対象は、現象に過ぎない。意識は現象の直接性を廃棄して概念として統一し、それを客観として擁立する。しかし概念は、客観として擁立された意識の自己自身であり、物体の属性ではない。このようなカントにおいて問題になるのは、第一に概念に対して感覚と直観が先行することである。そして第二に概念が客観として擁立された主観に過ぎないことである。しかし感覚や直観は即自形態の自意識であり、その対自形態の反省や表象ともどもに精神の諸形態に過ぎない。それらはせいぜい概念の即自態である。そして概念は、それらの即自対自態である。とは言えこのような精神や、さらに非精神の自然は、論理の経験的素材に留まる。すなわち論理が精神や自然を根拠づけるのであり、精神や自然が論理を根拠づけるのではない。またカントの悟性は、一方で素材の内容を結合して概念として普遍化し、他方で概念から素材の内容を廃棄してそれを無内容にする。このためにカントの概念は、自立せず実在性を持たない無内容な形式に留まる。ただし単なる概念は、やはり実在性を持たない。したがって概念は、実在性を結合することで理念とならなければいけない。その実在性は、経験的素材から由来する。しかし概念は直観の実在性を廃棄し、自らの実在性を擁立する。その実在性は現象的素材の実在性ではなく、本質的素材の実在性である。したがってそれは、目印代わりに取り出された現象的素材の実在性でもない。


2)形式的概念における普遍・特殊・具体の三契機

 悟性と理性は、それらが含む判断や推論の形式性において区別される。悟性の判断や推論は形式的であり、その形式性が悟性的概念に普遍性を与える。そのような形式的概念は、普遍・特殊・具体の三契機を含む。それはまず純粋概念の同一な自己として始まり、次にその自己と区別された概念の自己自身として限定され、最後にその自己自身を廃棄して自己を概念として限定する。したがって特殊概念を媒介して現れる具体は、それ自身が普遍概念の他在に移行する契機である。そして判断とは、この普遍概念の他在への移行を言う。


3)普遍概念
 3a)普遍概念の限定

 概念は自己自身の本質を媒介にして自己に復帰した存在である。その絶対的な自己同一は、媒介を通じて自己復帰する二重否定として現れる。そしてその純粋な自己関係が、概念の普遍性である。したがってこの普遍は、特殊や具体と未分離である。ただしそれらの分離を媒介するのは、概念の自己同一である。それゆえにこの普遍は、絶対無であるような絶対的媒介である。この普遍における自己同一は、即自存在における自己同一のような移ろい易い自己同一ではない。言うなればそれは、概念における自己保存則である。同様にこの普遍における質も、即自存在や対自存在における相対的なだけの質ではない。それは他者に対する相関関係として普遍において自己同一な自己関係である。要するにその質は、非本質ならぬ本質である。それは状態の同一ではなく、むしろ変化の同一であり、創造の同一である。すなわち普遍とは、自由な力である。ただしその力は暴力ではなく、自ら動かずして他者を動かすエロスである。したがってその力は、プラトン式イデアが自ら理念として存在者に作用した力と同じである。


 3b)普遍概念の全体性

 普遍概念はさしあたり質において特殊であり、質の反省において具体である。したがってそれは普遍・特殊・具体の全体である。この普遍概念から特殊と具体を捨象すると、普遍概念は本来の自己と異なる抽象的普遍、すなわち “である” に転じてしまう。この捨象では普遍概念の質全体が捨象されるので、その本質も一緒に捨象される。ここでの特殊は、普遍に結合された外面的質にすぎない。しかし普遍概念は上記要領で既に限定されており、限定される以上やはり普遍概念も特殊である。そしてその限定を捨象してしまえば、普遍概念は普遍でさえない。当然ながら普遍概念は、それ自身が限定および特殊を媒介にした具体である。それゆえに普遍概念が含む限定は、普遍概念の普遍と対立しない。しかも普遍概念が類概念に転じるためには、限定を必要とする。各種の類は、低次の類を種として包括し、高次の類に種として包括される。いずれの局面においても類が種であることは、その種が類であることと対立しない。高次の類概念は、低次の類概念を種として包括するだけである。同様に各種の高次概念も、低次の特殊を包括する普遍にすぎない。このことはその高次概念の究極に現れる無限精神であっても変わらない。したがって類はそれ自身が種である。それと同様に普遍概念もそれ自身が特殊である。しかも特殊は普遍概念の自己限定である。それだからこそ普遍概念は、特殊概念に移行する。


4)特殊概念
 4a)特殊概念の否定性

 普遍は特殊の実体であり、同様に類は種の実体である。これに対して特殊は、普遍概念が多様に現す本質である。それは存在を限定する偶然な質と違い、普遍概念の限界ではない。すなわち特殊は普遍と対立しないし、異なるものではない。このような特殊と同様に、種も類と異なるものではない。それは他の種と異なるだけである。種の多様は、種の原理としての普遍が持つ単なる局面的差異に留まる。その差異は一つの運動の異なる諸局面に過ぎない。したがってその種差は単なる差異であり、対立に進展しない。そしてその種差が、類の全体を構成する。このような類は、全種を包括する完全な一領域である。それが完全であるのは、種の原理としての普遍性に従う。種差が単なる差異に留まる以上、その類において特殊に区別される特殊は、普遍しかない。すなわち類は、全体と部分の二つの種だけを特殊として包括する。しかも全体と部分は、一つの運動で互いに入れ替わるだけの区別である。それゆえに実際に特殊として残る限定は、単純な否定性だけである。このような二元的な種は、実体と偶有、原因と結果のような形で類の中に現れる。しかしこれらはいずれも、特殊の原理が表現する一つの普遍的概念に統一される。ヘーゲルは多様な種が現れる自然における類も、このように一つの種に収束できると考えている。彼にとってそれが一つに収束できないのは、自然の精神的不完全性に従う。ただしその理解における種の全体は一つの直列連鎖であり、進化論式の樹形連鎖ではない。


 4b)抽象的普遍の空虚

 概念の自己自身は、普遍としての特殊である。その自己は、特殊が体現する否定性のゆえに自己自身を否定する。この否定は概念の特殊を捨象し、普遍概念を抽象的普遍、すなわち “である” に転じる。このときに特殊の限定は内容となり、普遍の同一は形式になる。ここでの特殊の限定は抽象的普遍にとって、その内容に関わらず絶対否定に等しい。一方で抽象的普遍は、自己自身の外に擁立されることにより、自己自身が持っていた普遍性と特殊性、およびその統一を継承する。ただし抽象的普遍は、特殊が含む媒介的不定を忌避する。それゆえにその特殊性は、無内容の自己限定に留まる。当然ながらこの無内容な特殊で構成される普遍は、類の全体ではない。一方で類の全体は、部分と同様に一つの特殊である。しかしその特殊が他の特殊と区別されるなら、その類の全体もやはり無内容である。いずれにおいても媒介の忌避は、抽象的普遍を普遍の絶対無と無内容な特殊の直接的統一体にする。ただしそれは没概念である。これと同様に概念は、もっぱら全体ではなく一面的に捉えられる。しかしそのような概念は、実体との乖離を前提する点で、やはり抽象的普遍を内に抱えた空虚な没概念である。それは実在性の欠けた概念である。この没概念の空虚をもたらすのは、概念の始元と本質についての絶対的限定の欠落である。


 4c)悟性の復権

 理性に比して軽視される悟性は、特殊の限定を普遍概念の限界に扱う。その限界は、特殊を有限にすることで固定する。そしてこの固定は、特殊を不滅にする。しかし限界のある特殊は、推移と消滅を持つ。すなわち特殊の不滅は、特殊の有限性に適合しない。不滅でありながら生成消滅する特殊は、自らの実体から特殊の全てを奪い取る。これによりその実体は抽象的普遍となる。しかしこの抽象的普遍は、特殊の全体ではない。このような固定的な普遍は、実在性の欠けた一面的概念である。それゆえにそれは、直観に現れる個物に比して軽視される。一方で変化する個物は感性的直観であり、それこそ有限である。むしろ不滅なのは、その生成消滅する変化の全体である。そして概念に実在性を与えるのは、この変化の客観的全体である。したがってもし直観が変化の全体を実現するなら、それは知的直観である。またそのように実在する概念が実在性を限定するなら、その実在性は理念となる。このときに変化の全体を統一するのは、悟性である。悟性は限定を普遍に統一し、それにより普遍を限定する。したがって悟性はこの統一で、限定の有限性を廃棄する。それは有限者に対して普遍との不適合を宣言する。なるほど悟性は、普遍的ではない限定も固定する。しかしここで統一し得ない普遍が構成されるなら、それは悟性の責任ではなく、理性の無力である。そしてここでの悟性による有限性の廃棄に着目して言えば、悟性と理性は排斥的関係には無い。理性の始元は抽象化した有限者である。そしてそれを用意するのは悟性である。悟性こそが有限性の廃棄により有限者を抽象化し、それにより有限者を概念の構成要件にしている。


 4d)普遍の特殊を媒介にした具体への移行

 普遍の自己は、対自において自己自身を限定して特殊と成す。それと逆に特殊の自己は、対自において自己自身を抽象して普遍に統一する。すなわち普遍概念の自己限定が普遍概念を特殊概念に分離したのと逆に、特殊概念の自己限定は特殊概念を普遍概念に統一する。しかしここで特殊が復帰した普遍は、実体の直接的即自態ではない。それは対自を媒介にして現れた即自対自態の概念である。さしあたりここでの直接的特殊が主語であるなら、それを限定する普遍は特殊を修飾する述語である。ところが一方で単なる主語は無内容な名前としての抽象的普遍であり、単なる述語も直接的有限者にすぎない。そして直接的有限者は、普遍を限定し得ない。それゆえに主語と述語の統一に先行して、この直接的有限者の直接性は、悟性を通じて廃棄されなければいけない。そしてこの直接的有限者の抽象化が、直接的有限者を普遍化する。その普遍化した直接的有限者は、抽象的普遍を類として自立した種である。そしてそのように抽象化した主語と述語の統一が、単なる主語を具体的普遍にする。すなわち特殊概念の自己限定とは、特殊概念の具体への移行である。それゆえにこのときの主語は、名前だけの抽象的普遍ではなく、限定された具体である。同様に述語も、限定された特殊ではなく、限定する普遍になっている。

(2021/09/22) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 第一篇 第一章 B注釈・C) 前の記事⇒(ヘーゲル大論理学 第三巻概念論 冒頭後半)

ヘーゲル大論理学 概念論 解題
  1.存在論・本質論・概念論の各章の対応
    (1)第一章 即自的質
    (2)第二章 対自的量
    (3)第三章 復帰した質
  2.民主主義の哲学的規定
    (1)独断と対話
    (2)カント不可知論と弁証法

  3.独断と媒介
    (1)媒介的真の弁証法
    (2)目的論的価値
    (3)ヘーゲル的真の瓦解
    (4)唯物論の反撃
    (5)自由の生成

ヘーゲル大論理学 概念論 要約  ・・・ 概念論の論理展開全体 第一篇 主観性 第二篇 客観性 第三篇 理念
  冒頭部位   前半    ・・・ 本質論第三篇の概括

         後半    ・・・ 概念論の必然性
  1編 主観性 1章A・B ・・・ 普遍概念・特殊概念
           B注・C・・・ 特殊概念注釈・具体
         2章A   ・・・ 限定存在の判断
           B   ・・・ 反省の判断
           C   ・・・ 無条件判断
           D   ・・・ 概念の判断
         3章A   ・・・ 限定存在の推論
           B   ・・・ 反省の推論
           C   ・・・ 必然の推論
  2編 客観性 1章    ・・・ 機械観
         2章    ・・・ 化合観
         3章    ・・・ 目的観
  3編 理念  1章    ・・・ 生命
         2章Aa  ・・・ 分析
         2章Ab  ・・・ 綜合
         2章B   ・・・ 
         3章    ・・・ 絶対理念


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