唯物論者

唯物論の再構築

アルジェの戦い

2013-04-29 20:23:32 | 映画・漫画

 「アルジェの戦い」1966年 製作イタリア/アルジェリア
           監督 ジッロ・ポンテコルヴォ
           主演 ヤセフ・サーディ

 アルジェリアを植民地支配するフランスに対し、アルジェリア民族解放戦線はフランス各地で爆弾テロを展開する。しかしフランス特殊部隊を相手に、解放戦線グループは敗走に継ぐ敗走を続け壊滅する。ところがこの解放戦線グループに襲い掛かる無慈悲な運命に対して、この映画は衝撃の結末を用意する。それは、実際にフランス特殊部隊が相手にしていたのが、アルジェリア解放戦線などではなく、アルジェリアの民衆だったというラストである。

 この映画は、ヴェネツィア国際映画祭でフランスを激怒させたことでも有名である。その話が露わにしているのは、フランスがアルジェリア併合に対する自らの道義的責任を感じていないことである。もともとフランスによるアルジェリア併合は、ヨーロッパの自国領土よりもはるかに広大なアフリカの大地を自国領土として宣言するためである。もちろんフランスの興味は、アルジェリアの石油にある。ただしそこには、植民地としてのアルジェリア支配を拒否した点で、フランスにとっての一つの良心がある。そして植民地としてアルジェリアを支配しなかった以上、フランスにとって全てのアルジェリア人は全て同国人である。この意味でアルジェリア独立は、同じフランス人がただ単にフランスから分離しただけの意味しか無く、そのことにフランス人が憤慨するのは筋違いである。もしかすればこの映画に対するフランスの怒りは、フランスがアルジェリア近代化に努めたことの全てが裏切られたことへの失望なのかもしれない。ただしそれは、フランス人が本当に同国人としてアルジェリア人を優遇したのかを度外視した話である。もちろんアルジェリア人は、フランス人同胞として優遇されることは無かった。一方のアルジェリア人が抱いていた独立への欲求は、自らの言語と文化をフランスに奪われ、二級市民としてフランスに支配されたことへの怒りを起源にしている。その点でフランス人のアルジェリアへの失望は、やはり筋違いなのである。相手に二級市民のレッテルを貼った上で、二級市民は上級市民の施しに感謝しろという言い草に対し、二級市民に扱われた民衆が怒るのは当然である。アルジェリア独立が露呈したのは、少なくともフランスのアルジェリア政策の失敗である。しかし実際に露呈したのは、フランスによるアルジェリア併合が、植民地支配の実態を糊塗するための単なる欺瞞だったという事実なのである。
 フランスのアルジェリア併合の失敗は、当然ながらそれを模倣した日本の朝鮮半島支配の失敗を連想させる。もともと日本による韓国併合は、ロシア南下政策に対抗するために、既にロシア支配下にあった朝鮮半島を自国領土として宣言したものである。もちろん日本の興味は、日露戦争で獲得した満州権益の維持にある。フランスにおける植民地支配に対する良心的拒否と違い、日本における植民地としての朝鮮半島支配の拒否は、ロシアの朝鮮半島支配に対する軍事的牽制以外に理由は無い。もちろん植民地として朝鮮半島支配をしなかった以上、日本にとって全ての朝鮮人は全て同国人である。この意味で戦後の南北朝鮮独立は、同じ日本人がただ単に日本から分離しただけの意味しか無く、そのことに日本人が憤慨する必要は無い。また戦後世界の推移を見ると、むしろ日本が朝鮮半島の実効支配から離脱したことは、日本にとって有利に作用した。朝鮮半島における反日行動に対する日本の憤慨は、もっぱら日本が朝鮮半島近代化に努めたことの全てが裏切られたことへの失望にある。ただしそれは、日本人が本当に同国人として南北朝鮮人を優遇したのかを度外視した話である。もちろん南北朝鮮人は、日本人同胞として優遇されることは無かった。一方の南北朝鮮民衆がかつて抱いていた独立への欲求は、自らの言語と文化を日本に奪われ、二級市民として日本に支配されたことへの怒りを起源にしていた。その点で日本人の南北朝鮮への失望は、やはり筋違いである。相手に二級市民のレッテルを貼った上で、二級市民は上級市民の施しに感謝しろという言い草に対し、二級市民に扱われた民衆が怒るのは当然である。朝鮮半島における反日行動が露呈するのは、少なくともかつての日帝の朝鮮半島政策の失敗である。しかし実際に露呈しているのは、フランスのアルジェリア併合と同様に、やはり日帝による日韓併合が、植民地支配の実態を糊塗するための単なる欺瞞だったという事実なのである。

 独立を自ら実現したアルジェリアと違い、戦後に独立した朝鮮半島において、独立前を凌駕する反日行動が一般化するようになった。言うなればそれは、敵が周囲から見えなくなった後に、敵を罵りまくっている形である。南北朝鮮による一連の主張、例えば歴史事実にそぐわない竹島領有、強制された共犯者でありながらの靖国神社参拝批判、各種決着済みの諸問題のリニューアルした再要求、など。これらの主張は、受けてもいない被害の捏造や事実関係の歪曲、賠償報復関係の再生産として無効なものである。逆にこれらの怪しげな主張は、肝心の南北朝鮮が実際に過去に受けた被害を、いかがわしいものに思わせてしまう。またそれらの主張は、妥当な立件訴訟の法手続きの成立基準を考えるなら、まかり通るのが不思議な内容である。逆に言えばそれらは、自国における科学および民主主義に必要な合理的精神の実現を考えた場合、南北朝鮮自らが積極的に排除すべき内容なのである。似たような話は、中国にもあてはまる。中国もまた日本に対して、例えば国際法廷の判例にそぐわない尖閣領有、日中戦争の事実認識の捏造、各種決着済みの諸問題のリニューアルした再提示、など受けてもいない被害の捏造や事実関係の歪曲、賠償報復関係の再生産を行なっている。これらの怪しげな主張も、肝心の中国が実際に過去に受けた被害を、逆にいかがわしいものに思わせてしまう。ただし南北朝鮮と違い、中国は実際に日中戦争の被害者である。したがって中国は、靖国神社参拝を批判する正当な権利を有している。とはいえ中国のような大国は、韓国のように、自らの自己同一性の根拠としてわざわざ反日を使うのはやめた方が良い。中国は日本の影として自らの自己同一性を確立する必要は無く、あくまで小日本に対する大国中国として振舞うべきだからである。言い直せば反日は、韓国になら許容されても、大国中国に似つかわしくない。そもそも小国いじめをする大国は、アメリカだろうがロシアだろうが、格好悪いものである。
(2013/04/29)

 上記の筆者の記事は、日帝の朝鮮半島支配に関して、それが残した功績に対して瑕疵の方を大きく喧伝する点で、韓国・北朝鮮が呼号する反日論調に迎合した内容になっている。しかし実際には日帝の朝鮮半島政策は、それが残した功績の方が瑕疵よりもはるかに巨大であるという主張が、各方面で展開されている。例えば次のブログを参照すべきである。
=>韓流歴史観を正す


[2014.12.22追記]
 日帝支配下の日本列島と朝鮮半島の間には、現在の中国における農村戸籍と都市戸籍の分離と似たような戸籍上の分離が存在し、朝鮮半島の人間が日本列島の人間の戸籍に入ることや朝鮮半島から日本列島への住所の移動は厳しく制限されていた。結果的に日本人と南北朝鮮人の間における法制上の差別の壁は、そのまま日本人による南北朝鮮人への差別の壁となっていた。ちなみに当時の南北朝鮮人は、強制的に日本語を話すことを学習させられていたが、ハングルの学習自体は学校の教科として残されており、民族言語の廃絶にまで至っていない。

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