長嶋茂雄さん、ご逝去の報に接してそろそろ1週間、今更ではございますが、謹んでお悔やみ申し上げます。
少し間を置いた方が、物事を冷静に語れるのではと言うのが私の勝手な持論。(というより居たたまれなくなって筆を執った次第)
ご逝去の翌日は一般誌もスポーツ誌もこぞって一面、当然である。
ドラゴンズファンである私が初めて長嶋さんの存在を知り得た時、瞬間は恐らく、気の遠くなる昔、亡き母がつぶやいた一言にて。
「ドラゴンズは弱いからさ応援しても・・・、巨人か○○が強いよ」と。○○は覚えてないが恐らく、阪神、タイガースであったろう。
続けて「”長嶋ってのは野球がなかったら生まれてこなかった”なんて言われていた程すごかったよ」と。
よって必然、ジャイアンツファンとなったが何せ名古屋の地は周りがドラゴンズファンばかり、いつのまにかドラゴンスファン
になってしまった、それも筋金入りの。
少年時代、草野球に興じ、ちょっとばかり(ほんのちょっとばかり)鳴らしたもので、
町内のソフトボール大会ではサードを守り、「あんたんところの息子さんは長嶋君だね」なんていわれてお袋さんは喜んでいたような。
(生涯唯一の親孝行だ)そんな時分にご近所のマスコミ関係の方にいただいたのがこの直筆サイン、不覚にもシミを付けてしまったのは
とんだ罰当たり、一生涯の不覚だ。
中学校時代に買ったプロ野球大百科、不滅の名勝負今ももって我が蔵書として
大切に保管いたしております。ドラゴンスファンになってからも長嶋さんの存在は別格でした。
お気に入りの写真はこちら
ホットコーナーを守る躍動感溢れるプレー、
それと野球のユニフォームがホント似合ってますね、恐らくプロ野球界随一でしょう。
亡くなって以降じっくり読み直そうと思っていたのがこちらです。
今は無き昭和の遺産、象徴である「平凡パンチ」誌に連載されていたもの。
(でも寂しくて読みなをせてません。)
長嶋さんの一回目の監督時代の退任からのプロ野球人生を遡って綴られている
文献であるが、不振から外野を守らされていた時のプロとしての男気
溢れるエピソード、負(マイナス)の局面を一気に正(プラス)の局面
へ変えられるパワーが印象的でした。
そういえば監督1年目で最下位に沈んだ翌年には見事リーグ優勝されてますね。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
https://www.youtube.com/watch?v=3DGxWrCuqdY
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