昨日、ネットで訃報をみて・・・
がんと闘病中で、具合が悪いとはブログで拝見してましたが。
元ドラゴンズの主砲、ファイターズで監督まで
つとめられた大島康徳さんご逝去。
残念な思いにくわえて、茫然自失、。
実はこの私、少年時代からのファン、あのフルスイングにしびれたもので、
ドラゴンズのユニフォームをねだって買ってもらった際には背番号40を付けて
草野球に興じたものでした。
実家にはその写真も残ってはいたかな?、いや一緒に使っていたドラゴンズのロゴ入りのバットは未だ健在。
グリップには格好つけて40番をマジック書き。
(当時は40番、のちに5番に、さらにファイターズ移籍後は11番)
昭和46年の1軍デビューでの仰天バックスクリーンに放り込む初ホームラン、
47年の1イニング2ホーマー、昭和51年の1シーズン代打最多ホームラン記録7本、
あの昭和57年の逆転優勝の足掛をつくった
ジャイアンツ戦のサヨナラヒット、昭和58年のホームラン王なんかが次々と出てきますが、
私にとってはあの20年ぶりのリーグ優勝の昭和49年、夏の頃でしたでしょうか。
当時の中日球場にクラスメートと観戦にいった際、
当時外野を守っていた大島さん、ゲーム前のフリーバッティング兼守備練習(?)を
されていたが、大飛球がわれらガキどもが陣取るレフトスタンドへ突き刺さるかという刹名、
”おーい、ボール行ったぞ”と声をかけて下さった気さくで、優しい大島さんが印象深いですね。
(当時の中日球場のフェンスは内・外野とも低く、選手とファンは同じ目線でした。)
まだ心の整理がつきませんが、謹んで、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。