初詣にマリィ連れて、産土神の春日神社へ。萩の人は松陰神社よりここが本当。やっぱり、正月の華やかさにすこしかけてます。
小さい神社だけど、旧萩市の中心部三角州内の産土神。うちんちの地鎮祭もやってもらった。一組ずつ並んで、鈴を鳴らして拝むのだけど、すこし高いところで一人するということで、後ろの注目を浴びて気恥ずかしかったのでろくにお願いもせずさっさと終えた。あとで娘に聞くと娘もそうだっったらしいから、顔かたちも性格もそっくりだということみたい。
面白くもないところにつきあわせて、退屈そうやね。
神社の前で、萩名物蒸気船まんじゅうを売ってたので、3個お願いすると、最後だからただでいいと言われた。思わず、今年は運勢がいいぞとおもった。蒸気船まんじゅうを売って人は元市役所職員で、伝統が廃れるということで、定年後技術を継承するためにやっているらしいから、もうける気はないんでしょう。とにかく、ラッキー。 でマリィにもお裾分け。
近くにある、わしの母校である萩高校にいったけど、門は変わってないけど、中の建物はすべて変わってる。ここは、昔火災に2度あっているし、わしの在学中か、前か、後か忘れたけどクラブの部室も燃えている。きっと、・・・の消し忘れだろう。
わしは、小中高の学校のうち高校が一番嫌いだったけどね。毎日、授業終了後の補修授業、模擬試験で成績が名前付きで発表されるし。といっても別に成績が悪かったわけじゃないんだけど、勉強嫌いだったし、強制的に勉強させられる雰囲気がいやだった。まあ、わしは小さい頃から通知表には欲がない、欲ががないと言われ続けてきたし、それは、大学行ってもそうだったし、就職してもそうだった。振り返ると、どっかで欲を出していたらと思うところも多少ある。
それと、結局3年間男子クラスだったし、花がなかったというのもあったかもしれん。だだし、フォークダンスは最後の3年のときにやった。今で考えるといい年こいたお兄さん、お姉さん方が身もだえして手をつないだことは、最近の若い人にはわからんだろうね。
左の角にある木造の、柔道場だけ当時のまま残っているみたい。当時は汗臭さ満点だったけど。柔道は結構今でも伝統があるみたいよ。
正門のところには、古い石が積み上げられ門が形作られているけど、なんなんかね。なんか説明しておけばいいんのに。それなりに周辺はいいところなのに。
校舎は全部変わって鉄筋コンクリートになっている。わしのときは、木造校舎でほんとぼろくそだった。サッカー部がないのにサッカー、ラグビーができる大きなグラウンド、野球部は別のところに専用球場も備えている、恵まれた環境にあるとは思う。昔は駅伝が強くて、全国大会常連だったが、近年は運動部は柔道以外はほとんど名前を聞かない。
体育祭の色は4色あって、それぞれ1中隊(イーグル)、2中隊(インディアン)。3中隊(クラウン)、4中隊(ミッキーマウス)という軍隊形式の名前で呼ばれていた。防衛大学校じゃないけど、棒倒しはほぼ喧嘩だった、創立150年くらいの伝統があるし、明治の名残がそのまま残されているんだろう。
マリィ、つきあわせてごめん。つまらんところだったでしょう。
以上が、元旦、さみしい環境ながらも思ったことでした。