朝陽(あさひ)~三重・河芸の地域情報~

三重県津市河芸町のいろいろな情報を発信します。

河芸・歴史のあらまし~奈良・平安時代~

2009-03-23 11:58:35 | 河芸の歴史

(写真は、現在の尾前神社(東千里)さんです。)


(写真は、現在の弥尼布理神社(北黒田)さんです。)


この時代の当町の様子を知る資料はきわめて少なくほとんど分かりません。

奈良地方に大和政権が確立し、律令制が施行され、当地方は伊勢国庵芸郡(あんげごおり)に属し、古書には黒田郷、服部郷(はとりごう)の郷名が見られます。

平安時代に編纂された延喜式神名帳にある、尾前(おざき)、伊弥布理(いねふり)、服部(はとり)の各神社はいずれもこの時代に創建されたと伝えられています。

(まちの文化財から)


和同開珎(わどうかいちん)銀銭

昭和33年(1958)、千里ヶ丘で農作業中の町民によって発見されました。和同開珎は我が国最古の貨幣で、奈良時代の和銅元年(708)に鋳造された貨幣で、銅銭と銀銭の二種があり、特に銀銭は出土例も少なく貴重なものです。
(三重県埋蔵文化財センター 蔵)

(まちの文化財から)             


虚空蔵菩薩~河芸の文化財~

2009-03-19 13:17:39 | 河芸の文化財
河芸町内で唯一の虚空蔵菩薩を本尊とする妙光寺は、往時は真言宗に属したが、現在は寺籍上は廃寺となっています。

本尊は高さ24センチの坐像で、右手に知恵の剣、左手には宝珠を持ち、頭には知恵を現す五智の宝冠を戴いています。

もとは素木の像であったが、中世に金箔をかけて修理を施したと伝えられています。

虚空蔵とは広大無辺の功徳が虚空(大空)のように大きいという意味である。

奈良時代から知恵の仏として広く庶民に信仰され受験を志す学生などの参詣が多いことでは、文殊菩薩と並んでいます。弘法大師も高野山に虚空蔵菩薩をまつり「われを日本一の智者となさしめたまえ」と祈っています。

(まちの文化財から)

池からお出ましの虚空蔵(こくぞう)さん~河芸の伝説・昔話~

2009-03-19 13:16:42 | 河芸の伝承
古い記録によると、第54代仁明(にんみょう)天皇の時代に、弘法大師(こうぼうたいし)が、高佐にこられたことがあるという。その時、氏神(うじがみ)さんの日天八王子(ひてんはちおうじ)の神前に、

「恐れ多いことですが、どうか御神体(ごしんたい)を拝見(はいけん)させていただきたい。」

といって、17日間、密教(みっきょう)の法を修め祈願(きがん)した。

その満願(まんがん)の夜、夢の中に老人が出てきて、大師の枕辺(まくらべ)に立ち、

「わたしは今お庭へ一本の柏(かしわ)の木を持ってきました。これをあなたに差しあげます。」

とていねいにいって、西方へさっていった。

すると不思議にもすぐ白雲が湧(わ)き、音楽が聞こえてきて、今度は天人が舞いおりてきた。そして大師に、

「今あなたに授けた柏の木で、像を彫ってみなさい。この木の中に虚空蔵菩薩(ぼさつ)の尊いお姿が現れます。これがすなわち八王子の御神体です。」

と告げて、この天人も西方へ去っていった。

夢がさめた大師は不思議に思って、庭をみると、一本の柏の木があった。

これはまちがいなく八王子さまのお告げであると思い、すぐ斧(おの)を持ってきて、柏の木を割った。それをみた大師は、

「これは、三体の菩薩さまのお姿にちがいない。」

といって、すぐさま彫り始めた。わずかの日数で、この菩薩はできあがった。

大師はたいへん喜び、この菩薩をおまつりして焼香礼拝(しょうこうらいはい)した。その時、不思議なことにこの仏像が声をお出しになり、

「わたしは、日本の高い山の峰にあって、すべての人々や生き物たちに福徳円満(ふくとくえんまん)を与えるつとめをしている。」

といわれた。このお言葉によって、三体の仏像は、高佐の芥子山(かいしざん)福満寺と度会(わたらい)郡の朝熊嶽(あさまだけ)と鈴鹿郡の白木(しらき)山の3か所にまつられた。この仏像は一樹三体の尊像となっていて、世にもまれなことであるといわれている。

しかしながら、慶長(けいちょう)18年(1613)3月中旬に、思いがけなく高佐のこの寺は火事で全焼してしまった。

集落の人は、涙を流して歎(なげ)き悲しんだ。この由緒(ゆいしょ)ある寺や御本尊を焼失してしまったことで、悲しみと落胆(らくたん)のあまり、日々の仕事も手につかぬありさまであった。

ところが、その翌年の正月12日夜に住職の元寿僧正(げんじゅそうじょう)が不思議な夢をみた。

それによると寺の東北にある池の中から、金色の光をはなっている龍が、頭に菩薩をのせ、水面に浮かび上がっている。元寿はびっくりして夢からさめ、すぐとび起きて池へかけていった。



するとどうだろう、夢のとおり池の水辺に金色に輝いた龍が、頭上に虚空蔵菩薩をのせて、水面に浮かびあがっているではないか。元寿は、

「これはもったいないお姿です。」

と地にひれ伏して礼拝した。そうして、

「どうか、この菩薩さまを、この集落の本尊としてお迎えしたいのです。」

と懇願した。願いがとどいたのか、龍は岸辺に近づいてきたので、この菩薩を龍の頭上からいただくと、それをみとどけた金色の龍は静かに水の底へ沈んでいった。

このことを聞いた高佐の人々は、元寿の教えを受けて、この菩薩を本尊として日々礼拝した。

この寺は、昔から芥子山福満寺という寺の名であったが、このような不思議な出来事があってからは、金龍山(きんりゅうざん)妙光寺と名を改めた。

後世の人々は、この菩薩を「池からお出ましの菩薩さま」といっており、この池を虚空蔵池とよんでいる。

(かわげの伝承から)


(写真は、現在の虚空蔵池です。)


河芸町高佐に伝わる「龍」にまつわるお話でした。

河芸・地区のあらまし~黒田地区~

2009-03-19 10:38:22 | 河芸の歴史
黒田地区は、北黒田、南黒田、三行、赤部、高佐、浜田の各地区が含まれています。当地区は河芸町の西方の丘陵地の大部分を占め、町内では最も古くから拓けた地域で、古代遺跡が多く存在しています。

三行地区には1300~1600年前の古墳時代の遺跡と奈良時代から平安時代にかけての遺跡が各所にあり、高度な焼成技術による須恵器の土器が出土しています。なかでも鈴鹿市との境に近い西毛谷からは陶棺が発掘されています。またこれら土器を焼いた窯跡が鈴鹿市徳居古窯跡群の一部として町内の久知野から三行にかけての丘陵に存在し、このあたりが古くから窯業生産地としてひらけていた事がわかります。

北黒田地区には1700年前の弥生時代後期の遺跡があり、また南黒田にも古墳時代の遺跡があって、共に土器や土器片を出土しています。

高佐地区の弥生時代中期遺跡からは石斧や土器も採集されています。

時代が降り、南北朝時代成立の「神鳳抄」という古書には北黒田御厨、南黒田御厨、浜田御厨の名がみられ、神宮の荘園ともいうべき土地柄であったと思われ、式内社・弥尼布理神社の存在とも合わせ考え、当地区は上代から集落を形成していたものと思われます。

明治22年(1889)4月、南黒田、北黒田、三行、赤部、高佐の各地区を統合し「黒田村」としました。

黒田とは、黒土の地、即ち腐植土を多く含む黒い土、また開墾されたあたらしい土地を意味し、農耕に適した所、特に米作が盛んでここで収穫される米は「黒田米」の名で親しまれ、おいしいお米として有名です。

(まちの文化財から)


(写真は、南黒田地内の田園風景です。)

河芸・歴史のあらまし~古墳時代~

2009-03-19 10:37:06 | 河芸の歴史
約1600年前になると古墳時代になり、近畿地方を中心として各地に古墳が造られるようになります。

なかでも大和や河内には有力支配者の巨大な古墳が造営されました。

町内には有力支配者がいなかったせいか、大型の前方後円墳は無く、小型の円墳が千里ヶ丘、久知野、三行の丘陵地に存在していますが、数も多くありませんし、その後の開発などによって消滅し、現在は三行に1基残っているだけです。

考古資料として特記することは、古墳時代の末期ごろから須恵器の生産が、久知野、三行から隣接する鈴鹿市徳居にかけての地域で盛んに行われ、県下でも有数の須恵器生産地で、多くの古窯跡があります。

道路建設などで破壊消滅したものもありますが、三行地区には現在も数ヵ所の古窯跡があり、須恵器の生産は平安時代のころまで続いていたようです。

(まちの文化財から)


時代は下り古墳時代では、その名のとおり古墳が築かれた時代です。河芸町では30基ほどの古墳が確認されており、出土した古墳の中には、陶棺や方陶状土製品などの特殊な土製品も発見されています。

古墳時代中ごろになると、須恵器という青灰色で硬質の土器がつくられ始めます。素焼きで軟質の土師器と違い、須恵器は窯を使って焼き締めるため、薄くてかたい土器に仕上がります。この当時の人々の暮らしを考えると、全く新しい画期的な土器であったことでしょう。

三行地区の七ヶ谷にはこの須恵器を焼いた窯跡が現在でも残っており、須恵器片や窯壁、灰捨場などが発見されています。また、七ヶ谷に接する西尾谷からは奈良時代につくられたと考えられる甕棺(かめかん)が発掘されており、この辺りの地域は三重県下でも有数の須恵器の大産地であったことがうかがえます。

(河芸町制施行50周年記念誌から)

会員募集中!~かわげスポーツクラブ~

2009-03-19 08:45:00 | スポーツ
かわげスポーツクラブでは、現在平成21年度の

会員を募集しています。

会員になると、今までに紹介してきたスポーツサークルプログラムに、

どのプログラムへも、いくつでも、自由に参加できます。

どのプログラムにも、指導者がいますので、初心者でも安心して参加できます。

あわせて、

クラブスタッフ・指導者も募集中です。


詳しくは、

かわげスポーツクラブ事務局(津市河芸体育館内)へ
☎・FAX 059-245-3354
開設時間 第2・第4土曜日 9:00~12:00
(3・4月は、毎週土・日曜日 9:00~12:00)
E-mail : kawagesc@ybb.ne.jp





かわげSCスポーツサークルプログラム~ヨガ~

2009-03-19 08:38:46 | スポーツ
開催日 第2・3・4金曜日 10:00~11:30

会場  河芸中央公民館大広間

指導者 東親子さん

ワンポイント!

自分自身で動かせる以上の負担をかけないのがヨガ健康法の特長です。いま多くの病院や施設でヨガ体操を取り入れているように、ケガや病気のリハビリ運動としても評価されています。服装はできるだけ締め付けないものを。大きめのバスタオルとハンドタオルをお持ちください。

小学校卒業おめでとう!!!!

2009-03-18 16:13:51 | 河芸地域情報

明日、3月19日に河芸町内の4つの小学校で卒業式が行われます。

今年学び舎を巣立つ卒業生は、

豊津小学校   44人

上野小学校   54人(私の母校です。)

黒田小学校   25人

千里ヶ丘小学校 67人

(予定)です。

卒業生の皆さん、保護者の皆さん、ご家族の皆さん、

本当におめでとうございます。


朝陽中学校をはじめ新しい学校へ進学されても、がんばってください!

(豊津小学校です。)

(上野小学校です。)

(黒田小学校です。)

(千里ヶ丘小学校です。)

のべや坂のオオカミ~河芸の伝説・昔話~

2009-03-18 13:52:04 | 河芸の伝承
豊津から三行をぬけて亀山に行くのには、のべや坂という峠をとおって行く。この峠は三行にある。昔両側は森で、昼間でも人のあまりとおらないぶっそうなところだった。一色の七兵衛光(しちべえみつ)の先祖に七之丞(しちのじょう)という人がいた。この話は、七之丞がのべや坂で出会ったオオカミの話である。

七之丞は、毎日朝暗いうちから、のべや坂をとおって亀山まで魚を売りにいっていた。その日の帰りが遅れてしまい、のべや坂をとおるころには、日はとっぷりと暮れ、あたりはまっ暗となっていた。

「この峠さえ越えれば……。」

七之丞はさきを急いでいた。ちょうど峠にさしかかったときだった。一匹のオオカミが道へ出てきた。

七之丞に緊張が走った。もっていた出刃包丁を取り出し、オオカミに身構えた。するとどうだろう。意に反してオオカミは道の真ん中にすわりこんだ。そして、口を大きく開けるではないか。不思議に思った七之丞はオオカミをじっとみつめた。襲ってくる気配(けはい)はまったくない。



「はあん。」

七之丞は、悟った。

「ああ。のどにささった骨を抜いてほしいんだな。」

七之丞は、オオカミにゆっくりと近づき、

「骨を抜いたる。が、おれを食ったら包丁でさし殺すぞ。」

といいながら、右手に手拭(てぬぐ)いを巻き、左手にはしっかりと出刃包丁をにぎり、口の中をそっとのぞき込んだ。すると骨がのどにまっ立てにささっていた。七之丞は、手をオオカミの口の中へ入れ、骨を抜いてやった。オオカミは何度も何度も頭をさげながら、喜んで帰っていった。

その日以来、七之丞が亀山へいくときのいき帰り、暗いときにはそのオオカミがかならずのべや坂で七之丞を迎えにくるようになった。

朝まだ暗いと、のべや坂でオオカミが待っていた。そして、夜があけ、亀山の民家があるところまで送ってくれた。

明るくなりニワトリが鳴きはじめると、いつのまにか帰っていった。また亀山からの帰り、遅れて暗くなると出迎えてくれた。そして、のべや坂をこえ、民家がみえるところまでくると、またいつの間にかいなくなった。そのようなことが何度となく続いた。オオカミは、朝晩の送り迎えを忘れなかった。

そんなある日のこと、七之丞の亀山からの帰り道のことである。その日も暗くなってしまった。いつものようにオオカミが迎えにきていた。ところが、七之丞の着物のすそをくわえて引っ張る。どうもどこかへ、連れていこうとしているようである。七之丞はしかたなくオオカミのいうままについていった。オオカミは七之丞をほらあなに連れていき、なかに入れた。そして、そこへ木の枝や草をたくさん持ってきて、七之丞をすっかり隠してしまった。オオカミは、七之丞を隠した後、その前へのたり込んだ。



まもなく、どこからともなく大きな地響きがして、千匹ほどのオオカミの群れが現れた。しかし七之丞は隠されているので、オオカミの群れは知らずにいってしまった。もし、みつかっていたら七之丞は食べられていたに違いない。オオカミは、千匹ほどの群れがやってくることを知っていて七之丞を助けたのである。

それ以来、オオカミは七之丞の前に姿をみせなくなった。

(かわげの伝承から)


河芸町一色に伝わる「オオカミ」にまつわるお話でした。

河芸・地区のあらまし~上野地区~

2009-03-18 11:53:01 | 河芸の歴史

(写真は、上野城跡につくられた本城山青少年公園の展望台です。)

上野地区は、上野、東千里、久知野、中瀬、大蔵園、新上野、東上野の各地区を含む地域です。

上野地区は西方から続く丘陵の東端の台地で周辺は低湿地帯の水田です。東は海に臨み居住に適した所で、すでに弥生時代には人々の暮らしが営まれ、台地中央には八幡谷弥生遺跡があり弥生式土器の出土記録があります。その後定着する人の数も増え、鎌倉時代には「上野御厨(みくりや)」の名が神鳳抄(しんぽうしょう)に見られ、すでにこのころは神宮の御厨でした。室町時代には上野城が築かれ分部家が入り着々と城下町は整備されて、分部家の移封後も徳川幕府により伊勢街道の宿場町として発展を続け、常に当地方の中心集落でした。現在も伊勢街道沿いには多くの文化財が残されています。

大蔵園地区は地籍上は上野地区に含まれ、上野の集落の東方近鉄線路の東側にあります。昔は畑地でしたが、近年になって小住宅団地として開発されたところです。

新上野地区は上野の集落の西北方に位置し、旧地名鐘鋳場、石塔谷という場所があり、室町期には神社、寺がありましたが、今は小規模な新上野団地になっています。鐘鋳場からは時代不詳の骨壷が出土した記録があり、石塔谷はその地名から墓場であったのでしょう。

東上野地区は上野地区の海岸寄りにあり、小字名を芦原と称し低湿地帯であって昭和60年(1985)から小規模住宅団地として開発された所です。

東千里地区は河芸町の北端の低地にあり伊勢湾に臨む地域です。このあたり一帯は近世まで湿地帯や浅い海であり、従って歴史時代以前の遺跡は存在しません。東千里の集落が形成されたのは鎌倉時代以降でしょう。もとは西方の西千里に含まれ円応寺村であったのが中世に分離独立して大別保村(現在東千里)となりました。集落の中心を伊勢街道が通っています。

中瀬地区は、町の西南端にある小集落で、伊勢街道が通るようになり発達した場所で、地名からも中瀬は中州に通じることから比較的近世まで湿地もしくは浅い海底であったのでしょう。従って古い遺跡や社寺はありません。

(まちの文化財から)

「しぜん文化祭inみえ」21日、22日に河芸中央公民館

2009-03-18 11:18:46 | イベント

三重・奈良・和歌山で活動する自然関連サークル、自然保護グループなどの市民団体や水族館、博物館など様々な団体が集まり、それぞれの活動や各地の自然を楽しく紹介します。

とき 平成21年3月21日(土) 10:30~17:45
        3月22日(日)  9:30~16:00

会場 津市河芸中央公民館

内容 ブース展示、シンポジウム、参加体験活動(工作教室、自然観察会)
   活動アピール交流会etc

   入場無料

*貴重な淡水魚ネコギギや昆虫標本などの展示、22日は昆虫の切り紙体験なども予定されているようです。

河芸・歴史のあらまし~あけぼの~

2009-03-18 10:54:30 | 河芸の歴史
当地方に人がいつから住み始めたかはっきりと分かっていません。

縄文時代(約2200年以前)の遺跡は町内から未発見ですが、次の弥生時代の遺跡は千里ヶ丘、久知野、三行、南黒田、北黒田の丘陵地とそれに接する上野、赤部、高佐などの台地で確認されていますことから、多分このころから人が住みつき、狩猟や漁獲また低地では農耕を営んでいたものと思われます。

(まちの文化財から)


人類が登場したのは今から2、300万年前と言われています。現在、河芸町で確認されている遺跡の一つに、南黒田地区で発見された弥生時代のものと考えられる「山王遺跡」があります。この遺跡などにより、人々の定住が進んだのは弥生時代であることが判明しています。

(河芸町制施行50周年記念誌から)

かわげSCスポーツサークルプログラム~バドミントン~

2009-03-18 10:43:53 | スポーツ
開催日 第2・4日曜日 19:30~21:30

会場  津市河芸体育館

指導者 奥田佳弘さん 他

ワンポイント!

初めてラケットを持つ人も、経験者も大歓迎!やさしい指導者が、みんなを待っています。友達と一緒にぜひ参加してみてください。


バドミントン2

開催日 第1・3金曜日 19:30~21:30 (津市河芸体育館)
    第2・4水曜日 19:30~21:30 (朝陽中学校体育館)

指導者 なし(自主練習)

ワンポイント!

指導者のいない自由時間ですので、お互いのレベルにあった相手を見つけ楽しみましょう。バドミントンを通じて新しい友達が見つかるかもしれませんね。

*スポーツクラブに入会しなくても1回300円でお楽しみいただけます。

かわげSCスポーツサークルプログラム~健康ウォーク~

2009-03-18 09:12:37 | スポーツ

(写真は、かわげSCさん主催のウォークラリー大会です。)

開催日 第2・4土曜日 9:00~11:00

会場  町内各地(津市河芸体育館から出発)

指導者 体育指導委員、かわげスポーツクラブ指導者

ワンポイント!

日ごろの運動不足の解消に、健康づくり、仲間づくりが目標です。初心者の方でも安心ですので、ぜひ一度参加してみてください。

あけて!学びの引き出し

2009-03-18 08:36:36 | イベント

現在、平成21年度の公民館講座の受講者を募集しています。

津市河芸町版からご紹介します。


【子ども発明教室】

学習日 土曜日(30回) 9:00~12:00
会場  千里ヶ丘小学校2階図工室
定員  30人(小学4年生~6年生)
講師  河瀬光さん、大西健充さん
受講料 無料
内容  「三重発明くふう展」に出品するアイデア工作 など


【笑能力UP】

学習日 第2火曜日(10回) 13:30~16:00
会場  河芸中央公民館
定員  20人
講師  長谷川紀幸さん
受講料 3,000円
内容  聞き手を引き付ける話術・ユーモア話術のコツと話上手のポイント
    ユーモア自己紹介と自己PRのコツ など


そのほかでは…

定番の

【編物】、【英会話】、【書道】、【着付】、【陶芸】、【料理教室】、
【日本画】、【洋裁】、【やさしいおどり教室】

面白そうな

【絵手紙】、【折り紙】、【気功】、【ギター寺子屋】、【楽しい花づくり】、
【楽しい家庭菜園】、【トールペインティング】、【ポーセラーツ】、【自彊術】
【健康3B体操】、【楽しく歌って健康になろう】、【環境・健康等よくばり】

千里ヶ丘公民館では

【日本語教室】(外国人向け)、【編物】

上野公民館では

【いきがい料理教室】


など、合計30講座が計画されています。

申し込み締め切りは、4月8日です。

詳しくは、

津市河芸中央公民館へ
☎059-245-2222