朝陽(あさひ)~三重・河芸の地域情報~

三重県津市河芸町のいろいろな情報を発信します。

霊験あらたか~痔神神社~

2009-03-31 15:55:29 | 河芸の伝承


中瀬南端の街道より畑地の東方数十歩の松林の中にある。

古来痔疾に霊験ありと称せられ遠近の老若の参拝者が多い。

この社については、起源不明であるがその由来について、種々様々な口碑が多くその真実は不明である。

昔は、中瀬、小川で守護してきたが今は中瀬区だけである。

管理は、中瀬区の自治会長と宮世話があたっている。

日々の参詣は多く、遠く東海地方の豊橋、名古屋、関西地方の大阪方面、近くは県内では鈴鹿、津地方、地元の中別保、一色、特に白塚には一団をなして信者がいる。

毎年4月3日の祭礼日には、名古屋、大阪方面、県内の信者が列をなして参詣し、大いに賑やかである。

信者の寄進や供物も多く、鳥居その他相当の額を寄進するものもあり、また百度詣でする人もいて百円、千円、壱万円と供えられる。その額年20万円余である。

これにても、当神社がいかに有名で、数多くの信者を有するかを知ることが出来る。


【痔神の口碑】

痔神については前記したが、ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたといい、影重の神社へも渡るともいわれている。

明治40年頃、45cm位の小さな須屋の祠であったが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納した。

これより一段と神社の痔神として霊験あらたかが一般に知られて、その信奉者も増した。

以降祠も改築され現在のは4回目である。

(河芸町郷土史から)



パワースポットではないのですが、河芸にある霊験あらたかなスポットを紹介しています。

信じるものは救われます!。絶対…?。

なお、「河芸町郷土史」は昭和53年に当時の河芸町教育委員会が編集発行したものです。したがって、現状と若干違うところがあるかもしれませんので、お許しを!

駅・4『伊勢鉄道伊勢上野駅』~元日本一の駅~

2009-03-31 14:40:09 | レジャー・旅行

(写真の奥のほうに見えるのがトンネルです。)

トンネルをぬけるとそこは伊勢上野駅だった。(四日市方面から来ると)

駅にあがり左手の方をみると、伊勢鉄道で唯一のトンネル(千里ヶ丘の下に掘ってあります。)が見えます。

開業は、伊勢鉄道の開業と同じ昭和62年3月27日。このときは、緑色に見えるこのホーム、長さが日本一短いホームだったそうです。それがある日、延長され…。(日本一から日本二?へ…)残念!

杜の街、千里ヶ丘、久知野、新上野、三行地区の最寄り駅になります。

乗降人員は、平成18年度で年間約1万2千500人。開業以来、1万人前後で推移しています。

県道をはさんで南側には、数台ですが利用者用の駐車場(無料です)もあります。

徒歩圏内には、本城山青少年公園があります。



(本城山青少年公園へも新上野をぬけて徒歩で約20分くらい)

甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵堂~河芸の文化財~

2009-03-31 09:13:48 | 河芸の文化財


東千里の北の入口、近鉄踏切の東に地蔵堂があります。

この堂はもと光明院といって伊勢参宮の旅人の休憩所で、旅の無事安穏を祈願した場所です。

宝形造りの仏堂の屋根の上には、露盤と宝珠を置くのが普通ですが、この堂は炊事用の釜と水甕が伏せてあります。

非常に珍しい形式で、堂の名前の由来となっています。

なぜこのような変わった建築をしたのか理由について諸説がありはっきりとしたことはわかりません。

この堂の本尊は正面の石地蔵ですが、この本尊は3代目といわれ、初代、2代目の地蔵は脇に安置されています。

(まちの文化財から)


(屋根の上の釜と甕です。)

霊験あらたか~春姫地蔵尊~

2009-03-30 15:49:43 | 河芸の伝承


中別保にある春姫地蔵尊は、夜泣き地蔵とか目がよくなる地蔵とかいわれ、昔から霊験あらたかで、四日市など他地区からも参詣があるほどである。

明治のころは、中別保の南の境に位置していたという。

言い伝えのひとつにこんな話がある。

ある時、西口林蔵氏が九州に旅行した。その時、泊まった家の子どもがよく泣くので嫁が寝られないという話を聞いた。それで、

「ここからでもよく効くので、一度だまされたと思って祈りなさい。」

と夜泣き地蔵尊のことを話した。嫁は、線香・ろうそくをあげお参りをした。すると、その夜から赤ん坊はまったく泣かなくなった。

この夜泣き地蔵尊は、九州のような遠くからでもよく効くとみんながありがたがった。

一色からもよくお参りにいった。

その時、線香・ろうそくをあげるのである。

現在、約14坪の土地にお堂が建ち、春姫地蔵尊2体、不動地蔵尊1体、お堂の前に太子地蔵尊2体がまつられているが、春姫地蔵尊以外その由来があきらかではない。

ただ、太子とは、地蔵尊のある土地の地名であるという。

平成4年8月24日に初めて地蔵盆を行った。

中別保の有志の人が、この地蔵尊の世話をしている。

(かわげの伝承から)


河芸の霊験あらたかスポットを紹介しています。

信じるものは救われる!絶対?多分?かも?

初心者だけのマレットゴルフ教室~その日からプレーが楽しめます~

2009-03-30 14:20:40 | スポーツ
マレットゴルフって何?

やってみたいけど難しそう?

そんな方のために、初めての方だけの『マレットゴルフ教室』がかわげSCさんの主催で行われます。

中学生以上の方ならどなたでも参加できます。

是非、ご参加ください!

とき 平成21年4月11日(土) 13:00から(約2時間)

   (雨天の場合 4月18日(土)に延期します。)

ところ かわげマレットゴルフコース
     *河芸第2グラウンド駐車場に集合してください。

持ち物 タオル、お茶等
     *道具は、かわげSCで準備します。

服装 運動のできる服装(外ですので帽子をお忘れなく)

参加費 無料

お問い合わせ 河角さんまで(☎059-245-5295)


(教室に参加して、あなたもマレットデビュー!どうですか?)   

駅・3『伊勢鉄道河芸駅』~伊勢鉄唯一の列車交換可能駅~

2009-03-30 11:15:38 | レジャー・旅行


国鉄伊勢線当時からの駅です。

開業は、昭和48年9月1日。(国鉄開業と同時)

伊勢鉄道で唯一上下線があり、列車の交換ができる駅です。(ときどき南紀号?快速みえ?が停まっているのを見るときがあります。)

乗降人員は、昭和62年の開業時年間約3800人だったものが、平成18年度には約1万8千人弱に増加しています。

(「乗って残そう国鉄伊勢線」というキャッチフレーズが思い浮かんできたのですが…。)

周辺には、河芸総合支所、町民の森公園があり、徒歩で約10分です。

駅を出て、町民の森へ向かう道路には、桜が植えられていて、これからの季節、きれいですよ。

梵字(ぼんじ)碑~河芸の文化財~

2009-03-30 09:10:31 | 河芸の文化財


円応寺(廃)は七堂伽藍を備えた真言宗の大寺で、後花園天皇(1428~1464)の勅願寺であったが、次第に衰微し、明治5年(1872)廃寺となり、現在は西方寺となっています。

この西方寺の前に高さ1メートル10センチの大きな梵字碑がります。

表に月輪の中に蓮華、その上に「ア」と発音する梵字が彫ってあり、裏には吉祥山円応寺と彫ってあります。

この「ア」は胎蔵界の大日如来を現すだけでなく、種字といってこれ一字ですべての仏を現す便利な字です。

(まちの文化財から)


(写真は、現在の西方寺さんです。)

霊験あらたか~いぼ取り地蔵さん~

2009-03-27 13:27:16 | 河芸の伝承


いぼ取り地蔵さんは、むかしから高佐の琴亀(ことかめ)の地にまつられている。

それで琴亀の地蔵さんともよばれている。

いぼができたときに、お参りすると落としてもらえるという言い伝えがある。

地域の人々や近くの町の人は、いぼができると、そのいぼを豆などでこすって、その豆を持ってお参りするといぼが落ちるので、この話が広まって、人々の信仰を集めてきた。

ある時、高佐から遠くへ嫁いだ娘さんの手に、いぼができたので、実家の母親が祈願したら、いぼがすっかり落ちた。そこでさっそくお礼参りをしたという。

また、町の魚屋さんお参りをして、祈願したら、その日から商売が繁昌したという。いぼ以外の話もあって、地区の人は「霊験あらたかです」といっている。

この地蔵さんは、昔、山の上にあったが、国道の拡幅によって、山がけずられたので、今は山裾の地に移された。

毎年、8月24日が例祭で、この日は、のぼりを立て、供え物をして地区の人々や信者がお参りしている。

(河芸の伝承から)


河芸にある霊験あらたかなスポットを紹介しています。

信じるものは救われる!絶対?


殺生(せっしょう)を禁ずの石柱~河芸の文化財~

2009-03-27 10:50:49 | 河芸の文化財


尾前神社の参道東側の石積みの台上に「禁殺生」、側面には「享保丙午(ひのえうま)」と彫ってあります。

享保丙午は1726年で、徳川幕府の将軍・吉宗の時代です。

紀州藩徳川家は、尾前神社を深く崇敬し、正徳3年(1713)には当時紀州藩主であった徳川吉宗は尾前神社の修理費を寄進しています。

享保元年(1716)当時の将軍徳川家継の死により吉宗が8代将軍に就任、紀州藩主には吉宗のいとこであった宗直が継ぎました。

宗直は享保11年(1726)紀州藩の寺社奉行に命じて尾前神社にこの石柱を寄進しました。

(まちの文化財から)


(フェンスで見づらいですが「禁殺生」の文字がわかります。)

マレットゴルフの道具

2009-03-27 10:11:42 | スポーツ
ラッキーマン2世:
河角さん、毎度お世話になります。

今回は、道具について教えてください。


(皆さんがお使いの道具をパチリ)

河角さん:
細かく言うと、ヘッドの全長(120㎜~240㎜)やフェイスの外径(直径45㎜以上50㎜以内)、シャフトの全長(600㎜~900㎜)などなど、規格はあるのですが、一般のスポーツ用品店で購入できます。

多分取り寄せになるとは思いますが…。

全般的にそうだと思いますが、マレットの道具も年々良くなってきていると思います。

アルミ合金やチタンなどのメタルヘッドに、ボロン、カーボン、スチール製のシャフトを使ったスティックが主流になってきています。

ラッキーマン2世:
何か、ゴルフ道具と一緒ですね。

河角さん:
もし、購入するのであれば、NPO法人日本マレットゴルフ協会の認定用具をお奨めします

ちなみに、カップの基準も内径180㎜~200㎜と決まっています。

200㎜だと入りやすいかなと思い、かわげコースは、すべて180mmを採用しています。(いじわるではありません…)

ボールの直径は75mm。

かわげコースをおもしろくしている一つの要素だと思っています。

ラッキーマン2世:
2cmの差は、スコアーに大きく影響しているようですね?

河角さん:



(慎重にカップイン!)

駅・2『近鉄豊津上野駅』~今、注目!の駅~

2009-03-27 08:40:47 | レジャー・旅行


千里駅の隣り(伊勢方面)の駅です。

開業は、昭和18年(1943)7月1日。えっ

そうなんです。豊津上野駅は、2つの駅が統合されてできた駅なんです。

大正9年9月10日、伊勢鉄道(現在の伊勢鉄道とは違います。)白子駅と一身田駅(現在の高田本山駅だそうです。)の間に、豊津浦駅と伊勢上野駅(これも現在の伊勢鉄道伊勢上野駅とは違います。)が開業。

この2つの駅が廃止され、豊津上野駅ができました。(何故かは分かりません

乗降人員は、昭和50年度の約69万3千人をピークに、平成17年度には25万3千人余にまで減少しています。1日の利用調査でも1226人という結果がでています。

徒歩圏内には、河芸総合支所、町民の森公園、本城山青少年公園、河芸漁港などがあります。

そして、今注目なのが、そうです。イオンスーパーセンターへの最寄り駅となったことです。

駅を出たら左手へ。徒歩数分。もお、イオンのお店の中にいます。

遠方の方などにはお奨め?公共交通は環境にも優しい…。

ご利用の際は、「普通」しか停まりませんのでご注意を!


駅・1『近鉄千里駅』~海(伊勢湾)に近い駅~

2009-03-26 11:46:17 | レジャー・旅行


近鉄名古屋線名古屋から数えて33番目の駅です。(数え間違いがねければ…)

開業は、大正6年(1917)1月1日(意外と古い…?)。

当時は、伊勢鉄道(現在の第3セクター伊勢鉄道とは違いますので、お間違いなく…)の駅として設置されています。

利用者は、昭和50年度に年間約71万3千人をピークに年々微減。平成17年度には、約47万9千人。1日の乗降人員調査では、2,521人という結果がでています。(車社会恐るべし…)

千里ヶ丘、杜の街、東千里、上野(一部)、大蔵園、東上野、新上野、久知野、三行、太陽の街(鈴鹿市)、鈴鹿国際大学への、近鉄の最寄り駅となります。

駅を出て、右手に進めば徒歩10分余りで、伊勢の海に到着。(近鉄沿線で伊勢湾に一番近い駅ではないかと思います??)マリーナ河芸や岐阜マリンスポーツセンターがあります。

駅の正面には、自転車預かりをしているお店があります。左手へ進めば、すぐにタクシー屋さんがあり、国道23号に出ます。

近く(徒歩圏内)には、メガプライスカットさんやスーパーサンシさん、津北商工会さんなどがあります。





(近鉄千里駅下車約10分でこんな景色が広がります。信じられない

マレットゴルフのルール

2009-03-26 10:34:44 | スポーツ
ラッキーマン2世:
今日は、マレットゴルフのルールについて、教えてください。

ゴルフのルールに近いんですか。

河角さん:
そうですね。マレット「ゴルフ」というくらいですからね。

主なルールを紹介します。

先ずは、競技開始前に、じゃんけんなどで最初の打つ順番を決めます。

第2打以後は、カップから遠い順番に打ちます。

次のホールからは、前のホールの成績の良かった順に、同点の場合はその前の順に打ちます。

第1打は、緑色のマットの上にボールを置いて、打ってください。

ボールは、スティックのフェイスで打ってくださいね。そのほかのところで打つことはないと思いますけどね…。

空振りは、当然1打です。慎重に!

もし、打ったボールが、他の人のボールに当たってしまった場合は、打ったボールはそのままで、当てられたボールは元の位置に戻します。


(他の人の邪魔になるときは、ボールをマークして拾い上げることができます。)

自分が打つのに、他のボールが妨げになると思うときは、「マーク」して、ボールを拾い上げてもらってください。

ボールが汚れたときも、マークしてボールを拾い上げ、ふくことができます。

コース内に、ゲートという青杭が立っているときは、必ず1回その間を通してください。もし横を通ってボールがいってしまった場合、バックして青杭の間を通してもらうことになります。

ラッキーマン2世:
これは、マレットゴルフ特有のルールですね。

河角さん:
次に、OBについてです。

白杭と白杭を結ぶ線からボールが出てしまったとき。

コンクリート、グラウンド、舗装部分にボールが出てしまったとき。

ボール止めの竹、木材やネットを越えて外に出てしまったとき。

このようなときは、OBとなり、罰として1打付加され、元の位置から打ち直しになります。

OBに関連して、こんなルールもあります。

ギブアップといいまして、パーの2倍の打数で、そのホールのプレーを打ち切ります。一つのホールでOB3回、これもギブアップとなります。

ラッキーマン2世:
ローカルルールというのは、どのようなものですか。

河角さん:
そのコース固有のルール、そのコースのみで適用されるルールです。

かわげコースのローカルルールとしては、

グラウンドのネット際のボールは、1スティック以内の位置に、ボールを動かすことができる。

竹、木材やネットの近くのボールは、1ヘッド以内の位置に、ボールを動かすことができる。

などがあります。

そのほかにも、ぺナルティーを受ける行為がありますので、競技規則などで十分確認してください。

ラッキーマン2世:
プレー前の心がけにも、よくルールを理解しておくということがあげられていましたよね。

ルールを守って、皆で楽しくプレーということですね。

河角さん:
はい。



道路元標~河芸の文化財~

2009-03-26 09:53:16 | 河芸の文化財
上野の旧伊勢街道の中町と住吉町の境の東側に、上野村の道路元標が建っています。

正面に「白子町へ壱里参拾壱町九間上野村」、側面に「距・津市元標弐里拾六町四拾参間」、裏面に「大正二年三月三重県」(1913)と彫ってあります。

県内の各市町村の中心となる場所に県が建てたもので、昔の人々が旅をする目安となる里程を示したものです。

各地とも町並みが整備され、往時の面影が次第に薄れていくこのごろ、このような元標の残っている市町村も少なくなりましたので、大切に保存していきたいものです。

(まちの文化財から)


(残念なことですが、木製の根元が朽ちてしまい、現在は河芸中央公民館で保存展示されています。)

河芸・歴史のあらまし~明治・大正・昭和~

2009-03-26 09:07:22 | 河芸の歴史
長らく続いた幕藩体制も終わり、明治維新を迎え、明治5年(1872)には三重県が誕生しました。

明治22年(1889)町村制が実施され、上野村、黒田村、豊津村の3か村が生まれました。

上野は宿場町、黒田は農業、豊津は漁業という3本柱でバランス良く発展しました。

日清、日露の戦争を経て大正時代を迎え、大正2年(1913)には電気、続いて大正4年(1915)には町内にはじめて鉄道が敷設(ふせつ)されるなど、あたらしい文明の恩恵がもたらされましたが、日本は暗い軍国主義の体制下、太平洋戦争に突入しました。

多くの都市が空襲で焼野原となりましたが、当地では中瀬に若干の被害を被っただけで終戦となりました。

戦後各地で町村合併が進行し、ここに上野、黒田、豊津の3カ村が合併して、昭和29年10月15日河芸町が誕生しました。

以来順調な発展を続けた河芸町は、平成6年度には町制施行40周年を迎えることになります。

(まちの文化財から)