(写真は、現在の尾前神社(東千里)さんです。)
(写真は、現在の弥尼布理神社(北黒田)さんです。)
この時代の当町の様子を知る資料はきわめて少なくほとんど分かりません。
奈良地方に大和政権が確立し、律令制が施行され、当地方は伊勢国庵芸郡(あんげごおり)に属し、古書には黒田郷、服部郷(はとりごう)の郷名が見られます。
平安時代に編纂された延喜式神名帳にある、尾前(おざき)、伊弥布理(いねふり)、服部(はとり)の各神社はいずれもこの時代に創建されたと伝えられています。
(まちの文化財から)
和同開珎(わどうかいちん)銀銭
昭和33年(1958)、千里ヶ丘で農作業中の町民によって発見されました。和同開珎は我が国最古の貨幣で、奈良時代の和銅元年(708)に鋳造された貨幣で、銅銭と銀銭の二種があり、特に銀銭は出土例も少なく貴重なものです。
(三重県埋蔵文化財センター 蔵)
(まちの文化財から)