朝陽(あさひ)~三重・河芸の地域情報~

三重県津市河芸町のいろいろな情報を発信します。

河芸・地区のあらまし~黒田地区~

2009-03-19 10:38:22 | 河芸の歴史
黒田地区は、北黒田、南黒田、三行、赤部、高佐、浜田の各地区が含まれています。当地区は河芸町の西方の丘陵地の大部分を占め、町内では最も古くから拓けた地域で、古代遺跡が多く存在しています。

三行地区には1300~1600年前の古墳時代の遺跡と奈良時代から平安時代にかけての遺跡が各所にあり、高度な焼成技術による須恵器の土器が出土しています。なかでも鈴鹿市との境に近い西毛谷からは陶棺が発掘されています。またこれら土器を焼いた窯跡が鈴鹿市徳居古窯跡群の一部として町内の久知野から三行にかけての丘陵に存在し、このあたりが古くから窯業生産地としてひらけていた事がわかります。

北黒田地区には1700年前の弥生時代後期の遺跡があり、また南黒田にも古墳時代の遺跡があって、共に土器や土器片を出土しています。

高佐地区の弥生時代中期遺跡からは石斧や土器も採集されています。

時代が降り、南北朝時代成立の「神鳳抄」という古書には北黒田御厨、南黒田御厨、浜田御厨の名がみられ、神宮の荘園ともいうべき土地柄であったと思われ、式内社・弥尼布理神社の存在とも合わせ考え、当地区は上代から集落を形成していたものと思われます。

明治22年(1889)4月、南黒田、北黒田、三行、赤部、高佐の各地区を統合し「黒田村」としました。

黒田とは、黒土の地、即ち腐植土を多く含む黒い土、また開墾されたあたらしい土地を意味し、農耕に適した所、特に米作が盛んでここで収穫される米は「黒田米」の名で親しまれ、おいしいお米として有名です。

(まちの文化財から)


(写真は、南黒田地内の田園風景です。)


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