朝陽(あさひ)~三重・河芸の地域情報~

三重県津市河芸町のいろいろな情報を発信します。

河芸・地区のあらまし~豊津地区~

2009-03-17 15:42:31 | 河芸の歴史

(写真は、河芸漁港周辺の豊津の海岸線です。)

豊津地区は中別保、一色、影重の各地区により形成されており、もとは大別保といいました。

その後文禄3年(1594)の太閤検地の記録に「別保郷」「影重郷」各々とあるので、これから推測すれば約400年前から集落をなしていたものと思われます。

一色村は慶長年間(1596~1615)にその名が見られます。

また当地の庄屋・西井久兵衛家の文書に文久元年(1861)「中別保村」「一色村」の記録が見られるので江戸時代の末期には大別保から分離していたようです。

明治9年(1876)には中別保、一色、影重の3カ村をまとめて豊津村と呼ぶようになりました。

豊津村の名はずっと前からここらあたりが豊津と称していたからでしょう。

一色の人家は昔、八雲神社の西方にあったが、漁民の増加とともに次第に東方の海岸寄りに集落が移動したようです。

地形としては、満願寺の東に「山の蔵」という家があってここら一帯はやや高地であったようです。

影重の中央の道より東を「山」と呼んでおり、東方の家に行く事を山へ行くといいました。

山や野にちなんで「山野」という姓も東部に多くあります。

この地区の海岸一帯には、小字名に荒洲、下芦原、上芦原、香浦、浦、中起、浜新田、北州原、中州原、下州原など海浜に関係した地名が沢山あります。

これはこのあたり一帯がかつては海岸の低湿地であったことを意味します。

したがって、この地区には余り古い社寺や遺跡はありません。

(まちの文化財から)

主人を救った名犬~河芸の伝説・昔話~

2009-03-17 13:03:22 | 河芸の伝承
永禄(えいろく)年間のことというから、400年ほど前のことである。

今の美里村(現津市美里町)、長野城主の家臣に鹿間(しかま)氏という武士がいて、好んで狩を行っていた。狩には、よい猟犬がいる。そこで、

「われに、名犬をあたえたまえ。」

と神仏に祈っていた。ところがある夜、夢枕に、

「汝(なんじ)、山に登り、犬のほえる声をしたって、その地に至るべし。かならずや名犬を得らる。」

と聞いた。

目がさめると、遠く東の方から、犬のほえる声が聞こえるではないか。そこでたずね聞いていくと、別保村影重に、ほかにくらべるものがないほどの名犬がいるという。ようやくたずねあててみると、評判通りの名犬であった。主人の許しを得てゆずってもらい、長野に連れて帰ることができた。

それ以来、数年間、その犬とともに、狩猟の毎日をすごした。

ある日、獲物も多く、鹿間氏の足どりは軽かった。その時、犬が、帰り道をじゃまするようにほえたてた。そればかりか、主人の足にかみついた。そこで、鹿間氏は、「獲物の数が一千におよぶときは、猟犬、その主人をくらう。」ということわざを思い出し、

「何をするか。」

と、一刀のもとに犬の首をはねた。

カッと目を見開いた犬の頭は、遠くの草むらまで飛んでいった。鹿間氏は、不思議に思って草むらにいってみると、大蛇が犬にくわえられもがき苦しんでいる。大蛇がいるとは知らなかった鹿間氏は、犬の首が大蛇をくわえているのにおどろき、大蛇を切り殺した。

「汝、犬ながら主人の恩を忘れず、自らの命を捨てて、わが命を救った。われおろかなり、汝の心を知らず、刀をくだしたり。」

鹿間氏は、涙を流しながら犬の首を葬(ほうむ)り、そこに犬塚を築いた。みずからは、高野山に登り仏門に入って、碑を建てて供養をおこたらなかったといわれている。

犬塚は、今も長野峠のふもとの美里村平木にある。



影重は景重とも書かれ、江戸時代初期には、上野藩領、元和5年(1619)からは、中別保村の枝郷として紀州藩に所属していた。影重には永禄年間(1558~1570)の出来事として、「影重産の名犬」の話が伝わる。

(かわげの伝承から)


河芸町影重に伝わる「犬」にまつわるお話でした。

河芸・歴史のあらまし~地質時代~

2009-03-17 11:44:01 | 河芸の歴史

今から約数100万年前の新生代第3紀鮮新世と呼ばれること、当地方一帯は東海湖という大きな湖の底でした。

東海湖は、その後次第に干上がり陸化し、現在の河芸町の土台となる地盤ができました。

当時は今よりずっと暖かで多くの植物が繁茂し、象、サイ、馬、鹿などの大型哺乳類が生息していました。

北黒田で発掘されたステゴドン・シンシュウゾウ(絶滅した旧象の1種)の化石が何よりの証拠です。

湖が陸化してできた地層を庵芸層と呼び、県内の伊勢湾沿岸に広く分布していますが、河芸町では総面積の約65%が庵芸層で覆われています。

残りの35%が海岸平野を構成する沖積層や洪積層と呼ばれる比較的新しい地層で、主として西方の山地から河川によって運ばれ堆積したものです。

(まちの文化財から)


伊勢平野の中央部から北部にかけて広く分布している地層を「庵芸(あんげ)層群」といいます。河芸町にかかる庵芸層群は鮮新世の時代に堆積されたもので、ここから三重県を代表する化石ゾウ「ミエゾウ」が発見されました。昭和30年に北黒田で出土したこのゾウの化石は、およそ300万年前の第3紀鮮新世前期ごろ主に日本列島に生息していた象の一種です。

(河芸町制施行50周年記念誌から)

かわげSCスポーツサークルプログラム~エアロビクス~

2009-03-17 10:44:57 | スポーツ
開催日 第1・3土曜日 9:00~10:00

会場  津市河芸体育館

指導者 山舗恵美子さん(EMIヘルシーダンスclub)

ワンポイント!

軽快なリズムにのって気持ちいい汗を流してみませんか?さあ!リズミカルに体を動かし日ごろの運動不足やストレスを発散しましょう。簡単なステップから始めますので、初めての方でも安心です。

かわげSCスポーツサークルプログラム~インディアカ~

2009-03-17 10:29:31 | スポーツ

(写真は、かわげSCさん主催のインディアカ大会です。)

開催日 毎週金曜日 19:30~21:30

会場  津市河芸体育館(B面)

指導者 体育指導委員、かわげスポーツクラブ指導者

ワンポイント!

バドミントンの羽を大きくしたような「インディアカ」を使ったバレーボールのようなスポーツです。初心者でも経験者でも誰でも参加OKです。

春霞

2009-03-17 09:52:03 | 四季・風景


『春霞たなびく山の桜花うつろはむとや色かはりゆく』(古今和歌集)

春の風物のひとつですね。

でも…。その実態は??

昨日のお天気ニュースで言っていましたが、『黄砂』の飛来によって、視界が悪くなり、遠くが霞んで見えにくくなっているようです。

気象庁でも、関東から西では黄砂が観測されているようです。

ちょっと奥さん!

洗濯物注意ですよ!!。

この「春霞」。黄砂と一緒に花粉もまじっているとか………。

でも…。でも…。

春を実感できる今日この頃です。

メガプラへ行ってきました

2009-03-17 09:05:07 | グルメ・ショッピング


昨日、フラ~とメガプライスカットさんへ寄ってきました。

相変わらず、イオンスパーセンターさんの駐車場は車がいっぱい(まだ入る余地は十分にありました。)。それを横目に通り過ぎ、右ウインカーをパカパカ。

それなりに車は止まっている。

お店の中には、夕食の食材を探す人が…。

お店をくるりと1周。ペットのお茶、88円。平素398のピザが198。(これは安い)を買って帰ってきました。

自分的には、ゆっくりと品定めもでき、買い物のしやすいお店という感じです。

わずか1キロたらずの間にお店が2件。どちらに行こうか

消費者としては、良いものをより安く買いたいと思います。