昔、一人の男が尾前(おざき)神社にやってきた。拝殿からのぞきこむと、神殿にりっぱなお獅子さんが二頭(ふたかしら)奉納されているのに気づいた。
「これはしめたぞ。」
と周囲をうかがいながらしのびより、お獅子さんにさわってみた。持ちあげてみたがそれほど重くない。二頭を袋に入れると、ヨイショと背負って、海へと走った。
海辺までくると、舟が一そう置いてあった。海は波も風もなく、静かである。泥棒は、
「これでひと安心。もうみつからないぞ。」
とつぶやきながら、お獅子さんを船に乗せ、艪(ろ)をこぎ始めた。沖へ出てからは方向を北にとり、船を進ませた。船は勢いよく、順調に波に乗って走った。
しばらく進み、急に空の雲ゆきがあやしくなってきたかと思ううちに、風雨がはげしくなり、波も荒立ってきた。海が、ゴーッ、ゴーッと鳴りだし、船が上へ下へとゆれ始めた。そのうちに、前進しなくなり、沈みそうになった。
「これは危ない。ぐずぐずしておれん。天罰か。」
とさけびながら、お獅子さんを海へ投げすてて、命からがら陸へあがった。
次の日、大別保(現 東千里)の人たちは、大切にしていたお獅子さん二頭が何者かに盗まれたということで、大さわぎになった。八方手をつくして探したがみつからなかった。
一方、盗まれたお獅子さんは、いく日かして、南若松(現 鈴鹿市中若松)の海岸に打ちあがった。
当時、南若松に住む岩屋(屋号)の本家のおじいさんが、分家のおじいさんに、
「せんぞ(海岸の呼び名)の浜に、りっぱな獅子二頭がうちあがっていた夢をみたわ。」
と話した。本家と分家のおじいさんは、
「今からみてこうか。」
「もう暗いで、明日早くに行こに。」
と話し合った。
翌日、二人は朝早く目をこすりながら、半信半疑で海辺へいった。
しばらく探していると、獅子頭が討ちあがっているのをみつけた。
「夢とそっくりや。りっぱな獅子やないか。」
本家のおじいさんは、目をパチパチさせ、足がブルブルふるえている。
「ほんまや。波にうたれているが、りっぱなもんや。」
と分家のおじいさんも声をふるわせていった。二人は恐る恐る獅子頭を両手でかかえて、本家まで運んできた。
ところが、二頭のお獅子さんの置き場所に困った。
「土間に置くのも、もったいなしな。」
「たぶんお宮さんにあったもんやろ。きたない所ではバチがあたるしな。」
いろいろ議論の末、臼(うす)が一番きれいだということで、その上に新しいむしろをしいて、お獅子さんを置くことにした。それでも、まだバチがあたるといい出したので、禰宜(ねぎ)さん(神官)にたずねることにした。
「お獅子さんは大切なものだから、座敷の床の間の横にある押入れをきれいにして、そこへ置くのがよろしい。」
という禰宜さんの言葉で、押入れの上段に安置した。
月日がたつとともに、そのことが村の人たちの間に広まり、みに来る者、おがみにくる者も出てきた。
「このお獅子さんは、どこかのお宮さんにあったものに違いない。粗末にしるとバチがあたる。大事にせんといかんなあ。」
このことが村中の話題になり、千代崎、白子、磯山、大別保へと広がっていった。
お獅子さんのことをあきらめかけていた大別保の人たちは、そのうわさを聞いて驚いた。まさか若松の海でみつかるとは思いよらなかったことである。しかも、お獅子さんが、
「別保へいこう。別保へいこう。」
と泣いたといううわさまで伝わってきた。大別保の人たちは、自分たちの思いがお獅子さんに通じたと涙して喜んだ。
さっそく、尾前神社の禰宜さんと氏子たちは、南若松の岩屋へ獅子二頭をもらい受けにいき、無事、尾前神社に奉納し安置することができた。
その日は、村中の人たちが祭りのように道の両側にあかりをつけ、お宮参りする人で、夜おそくまでにぎわった。
このことがあってから、獅子舞神事の年には、必ず南若松まで出かけていき、お礼舞いを行うようになった。
(かわげの伝承から)
河芸町東千里に伝わるお話です。
写真は、東千里尾前神社の獅子舞神楽です。津市の無形民俗文化財にも指定されています。