朝陽(あさひ)~三重・河芸の地域情報~

三重県津市河芸町のいろいろな情報を発信します。

駅・1『近鉄千里駅』~海(伊勢湾)に近い駅~

2009-03-26 11:46:17 | レジャー・旅行


近鉄名古屋線名古屋から数えて33番目の駅です。(数え間違いがねければ…)

開業は、大正6年(1917)1月1日(意外と古い…?)。

当時は、伊勢鉄道(現在の第3セクター伊勢鉄道とは違いますので、お間違いなく…)の駅として設置されています。

利用者は、昭和50年度に年間約71万3千人をピークに年々微減。平成17年度には、約47万9千人。1日の乗降人員調査では、2,521人という結果がでています。(車社会恐るべし…)

千里ヶ丘、杜の街、東千里、上野(一部)、大蔵園、東上野、新上野、久知野、三行、太陽の街(鈴鹿市)、鈴鹿国際大学への、近鉄の最寄り駅となります。

駅を出て、右手に進めば徒歩10分余りで、伊勢の海に到着。(近鉄沿線で伊勢湾に一番近い駅ではないかと思います??)マリーナ河芸や岐阜マリンスポーツセンターがあります。

駅の正面には、自転車預かりをしているお店があります。左手へ進めば、すぐにタクシー屋さんがあり、国道23号に出ます。

近く(徒歩圏内)には、メガプライスカットさんやスーパーサンシさん、津北商工会さんなどがあります。





(近鉄千里駅下車約10分でこんな景色が広がります。信じられない

マレットゴルフのルール

2009-03-26 10:34:44 | スポーツ
ラッキーマン2世:
今日は、マレットゴルフのルールについて、教えてください。

ゴルフのルールに近いんですか。

河角さん:
そうですね。マレット「ゴルフ」というくらいですからね。

主なルールを紹介します。

先ずは、競技開始前に、じゃんけんなどで最初の打つ順番を決めます。

第2打以後は、カップから遠い順番に打ちます。

次のホールからは、前のホールの成績の良かった順に、同点の場合はその前の順に打ちます。

第1打は、緑色のマットの上にボールを置いて、打ってください。

ボールは、スティックのフェイスで打ってくださいね。そのほかのところで打つことはないと思いますけどね…。

空振りは、当然1打です。慎重に!

もし、打ったボールが、他の人のボールに当たってしまった場合は、打ったボールはそのままで、当てられたボールは元の位置に戻します。


(他の人の邪魔になるときは、ボールをマークして拾い上げることができます。)

自分が打つのに、他のボールが妨げになると思うときは、「マーク」して、ボールを拾い上げてもらってください。

ボールが汚れたときも、マークしてボールを拾い上げ、ふくことができます。

コース内に、ゲートという青杭が立っているときは、必ず1回その間を通してください。もし横を通ってボールがいってしまった場合、バックして青杭の間を通してもらうことになります。

ラッキーマン2世:
これは、マレットゴルフ特有のルールですね。

河角さん:
次に、OBについてです。

白杭と白杭を結ぶ線からボールが出てしまったとき。

コンクリート、グラウンド、舗装部分にボールが出てしまったとき。

ボール止めの竹、木材やネットを越えて外に出てしまったとき。

このようなときは、OBとなり、罰として1打付加され、元の位置から打ち直しになります。

OBに関連して、こんなルールもあります。

ギブアップといいまして、パーの2倍の打数で、そのホールのプレーを打ち切ります。一つのホールでOB3回、これもギブアップとなります。

ラッキーマン2世:
ローカルルールというのは、どのようなものですか。

河角さん:
そのコース固有のルール、そのコースのみで適用されるルールです。

かわげコースのローカルルールとしては、

グラウンドのネット際のボールは、1スティック以内の位置に、ボールを動かすことができる。

竹、木材やネットの近くのボールは、1ヘッド以内の位置に、ボールを動かすことができる。

などがあります。

そのほかにも、ぺナルティーを受ける行為がありますので、競技規則などで十分確認してください。

ラッキーマン2世:
プレー前の心がけにも、よくルールを理解しておくということがあげられていましたよね。

ルールを守って、皆で楽しくプレーということですね。

河角さん:
はい。



道路元標~河芸の文化財~

2009-03-26 09:53:16 | 河芸の文化財
上野の旧伊勢街道の中町と住吉町の境の東側に、上野村の道路元標が建っています。

正面に「白子町へ壱里参拾壱町九間上野村」、側面に「距・津市元標弐里拾六町四拾参間」、裏面に「大正二年三月三重県」(1913)と彫ってあります。

県内の各市町村の中心となる場所に県が建てたもので、昔の人々が旅をする目安となる里程を示したものです。

各地とも町並みが整備され、往時の面影が次第に薄れていくこのごろ、このような元標の残っている市町村も少なくなりましたので、大切に保存していきたいものです。

(まちの文化財から)


(残念なことですが、木製の根元が朽ちてしまい、現在は河芸中央公民館で保存展示されています。)

河芸・歴史のあらまし~明治・大正・昭和~

2009-03-26 09:07:22 | 河芸の歴史
長らく続いた幕藩体制も終わり、明治維新を迎え、明治5年(1872)には三重県が誕生しました。

明治22年(1889)町村制が実施され、上野村、黒田村、豊津村の3か村が生まれました。

上野は宿場町、黒田は農業、豊津は漁業という3本柱でバランス良く発展しました。

日清、日露の戦争を経て大正時代を迎え、大正2年(1913)には電気、続いて大正4年(1915)には町内にはじめて鉄道が敷設(ふせつ)されるなど、あたらしい文明の恩恵がもたらされましたが、日本は暗い軍国主義の体制下、太平洋戦争に突入しました。

多くの都市が空襲で焼野原となりましたが、当地では中瀬に若干の被害を被っただけで終戦となりました。

戦後各地で町村合併が進行し、ここに上野、黒田、豊津の3カ村が合併して、昭和29年10月15日河芸町が誕生しました。

以来順調な発展を続けた河芸町は、平成6年度には町制施行40周年を迎えることになります。

(まちの文化財から)