中瀬南端の街道より畑地の東方数十歩の松林の中にある。
古来痔疾に霊験ありと称せられ遠近の老若の参拝者が多い。
この社については、起源不明であるがその由来について、種々様々な口碑が多くその真実は不明である。
昔は、中瀬、小川で守護してきたが今は中瀬区だけである。
管理は、中瀬区の自治会長と宮世話があたっている。
日々の参詣は多く、遠く東海地方の豊橋、名古屋、関西地方の大阪方面、近くは県内では鈴鹿、津地方、地元の中別保、一色、特に白塚には一団をなして信者がいる。
毎年4月3日の祭礼日には、名古屋、大阪方面、県内の信者が列をなして参詣し、大いに賑やかである。
信者の寄進や供物も多く、鳥居その他相当の額を寄進するものもあり、また百度詣でする人もいて百円、千円、壱万円と供えられる。その額年20万円余である。
これにても、当神社がいかに有名で、数多くの信者を有するかを知ることが出来る。
【痔神の口碑】
痔神については前記したが、ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたといい、影重の神社へも渡るともいわれている。
明治40年頃、45cm位の小さな須屋の祠であったが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納した。
これより一段と神社の痔神として霊験あらたかが一般に知られて、その信奉者も増した。
以降祠も改築され現在のは4回目である。
(河芸町郷土史から)
パワースポットではないのですが、河芸にある霊験あらたかなスポットを紹介しています。
信じるものは救われます!。絶対…?。
なお、「河芸町郷土史」は昭和53年に当時の河芸町教育委員会が編集発行したものです。したがって、現状と若干違うところがあるかもしれませんので、お許しを!