京都便り

京都のこと、和菓子のこと、着物のこと。
四季折々のことを書きつづることができればと。

お花見日和

2014-03-31 13:30:53 | 京都観光

お花見日和だにゃーと歩く猫。
平日だというのに観光客も増えてきて、満開まであと2~3割くらい。
うまくいけば今日、明日には満開。

勝手な予想では水曜日あたり満開かな、と思っていたのでほぼ予定通り。
平年よりはちょっと早い感じ。

今週末は大混雑、来週は桜吹雪が見られそう。

桜はまだ、なのに猫来る

2014-03-26 15:47:52 | つれづれ

桜はまだ咲いていない。
今週末には咲き始め、来週末から再来週末が見ごろとなるだろう。

そして今日は雨。
おけらにならずにすんでよかったとお客さんを送り出した後、店の奥に腰を下ろす。
ふと視線をあげると、そこに猫がいた。

長いこと店をやってるけど、猫のお客さんははじめて。

沈みゆく船からはねずみすらいなくなるということなので、猫が来たってことは吉兆に違いないと勘違い。



あっという間に飛び出して行ったけど、雨の中、迷い込んできたっていうのがほんとのところだろう。
足跡だけが残ってた。

寒さの向こう

2014-03-06 02:31:27 | つれづれ
きっと人は誰しも自分は間違っていないと信じてる。
少なくとも信じたいし、信じようとしている。

傍目には間違いがたくさんあっても本人はそれが正しいと信じている。

たとえば僕がそうだ。

でも逆にAとBというまったく逆の意見が存在して、それぞれに迎合するか、反対するかしたら、それはそれで矛盾がうまれる。
とどのつまり自分を信じる他ないのだ。

ある種の宗教みたいなもので、信者はただ一人、自分だけ。
でも自分を信じてくれるもう一人がいれば、それが夫婦であり、親友となる。


信じることは自分を助ける。
人を助けることにもなる。

だから宗教を信じている人はしあわせだし、それを否定する権利は誰にもない。

憲法でまで”信仰の自由”というのが保証されているので、それを作った人というのはまったくすごい人なんだなと頭が下がる。

そしてそれは自分を信じるという点においても同じ。


宗教論を言いたいわけではない。
人は何かを信じることで生きていける。
それが目に見えない神であったり、また自分であったりというだけ。

うちの小学一年生が昨日、

 「さいきんなんもいいことないわー」

と言うので、

 「今日ほめられたんちゃうの?
  おからホットケーキかておいしい言うてたやん。
  いいこといっぱいやで。」

と言ったら、

 「うん、そやな」

と子供らしく答えた。

親としてうれしかったし、ずっとそうやって良いこといっぱいだと信じてくれたらと願ってやまなかった。


間違いを探すのではなく、良いことを信じる。
明日は良いことがあると信じる。

折れそうになる。
今日だってそうだ。

神に祈る。
なにかにすがる。

格好良くない。
でもいいじゃないか。

気が楽になる。
明日が見えてくる。

歩き出す。