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和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

美濃の古刹を訪ねて 西国33観音霊場 華厳寺

2022-12-12 11:05:26 | 日記









いつもは撮られる立場ですが今日は撮る立場に回って

本堂はいま修理中



満願堂











西国札所第1番の「那智山・青岸渡寺」から始まった西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の旅は、ここ美濃國(岐阜県)「谷汲山・華厳寺」で満願(結願)を迎えます。
巡礼の終着駅、「たにぐみさん」の愛称で親しまれる「谷汲山・華厳寺」は、延暦17年(798年)に創建され、その山号と寺号は、醍醐天皇より賜った天台宗のお寺です。
毎月18日は観音様の縁日でこの日に参詣すると功徳が多いといわれて紅葉の見事なこの時期の参拝客は多かったです。
私も11月18日に華厳寺で33枚のご写経を本堂に収めてから納経印を頂きました。念願がかない嬉しい日となりました。

奉納経満願の地の冬桜

美濃の古刹を訪ねて 大矢田神社、両界山横蔵寺

2022-12-07 06:17:05 | 日記

大矢田神社の楼門

神橋

234段の階段

拝殿

本殿





大矢田のひんここの舞に使われる衣装





大矢田神社の御祭神は暴れん坊だけど頭がよく正義感が強い「須佐之男命」でした

ここから両界山横蔵寺











三重塔

一泊二日の旅の最後は秋彩の美濃地方の大矢田神社、両界山横蔵寺、谷汲山華厳時でした。
大矢田神社は江戸時代(寛文12年)に再建されたという本殿と、その本殿よりも古いと言われている拝殿は、両方ともに国の重要文化財に指定されています。
その大矢田神社境内にある、大矢田神社もみじ谷ですが3000本にもおよぶヤマモミジの自然樹林は毎年多くの人が訪れるという人気の場所だそうです。
はじめて訪ねるお寺なのでまずは234段の階段を一気にのぼって拝殿へ。境内は狭くて建物と紅葉がうまくマッチした写真になりませんでした。
写真11枚目までが大矢田神社です。

横蔵寺(よこくらじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所になってます。
薬師如来像をはじめ22体の国の重要文化財が安置されている両界山横蔵寺。他にも多くの仏像や絵画・書籍を所蔵し、別名「美濃の正倉院」と呼ばれています。
ツアーでは集合時間がきになりおちおち見ていられなかったのでチャンスがあったらいずれ個人で来てみたいお寺になりました。下見が大事ですよね。

石蕗咲くや巡る古刹は旅支援

天竜峡大橋のそらさんぽと恵那峡

2022-12-02 05:14:48 | 日記

11月17日



左側に黒く見えるのが歩道でここを歩きました

ライン下りの船

電車が来た(JR飯田線)

恵那峡 桃介広場

桃介像 貞奴のレリーフ







11月18日早朝は靄だ漂い ホテルの窓から撮影


天龍峡大橋の車道の下に設けられた歩道「そらさんぽ天龍峡」は眺下に天竜川や川下り、線路を通る鉄道が見え、四季折々の景色が楽しめるところです。
2019年に開通した新名所で全長280mあり高さは80mのアーチ橋の車道の下に設けられています。眼下を見ながらのんびり往復歩いても30分はかかりません。
天龍ライン下りの船を眺めたり鉄橋を通る電車にも出会ったりしました。
諏訪湖を水源とする天竜川の流域の中でも、随一の名勝地である天龍峡から、唐笠港までを運航する、約50分間の川下りは天龍峡十勝をはじめとする山水画のような
幽玄な風景が堪能できるそうです。歩道からから見た紅葉はいまいちでしたが次回は舟くだりもしたいと思いました。
1泊2日のツアーの初日の最後の行程は恵那峡でした。恵那峡下りは以前したので今回はさざ波広場と桃介広場の散策となりました。

福沢諭吉の養子であり電力王と呼ばれた福沢桃介が木曽川に大井ダムを作って今の恵那峡のダム湖になりました。
恵那峡さざなみ公園、桃介広場ではその功績をたたえた福沢桃介像と川上貞奴のレリーフを見ました。電力王福沢桃介翁像・日本の女優第1号の川上貞奴の銅製レリーフですが
二人のロマンスは、1985年にNHKで・春の波濤・ としてドラマ化放送されたそうです。
日本の女優第一号として海外でも活躍した川上貞奴(松坂慶子)と、オッペケペー節で知られた自由民権派の演劇人・川上音二郎(中村雅俊)、電力王と呼ばれた実業家・福沢桃介
(風間杜夫)とその妻で福沢諭吉の次女・房子(檀ふみ)の4人の愛憎劇を、近代化にひた走る時代の動きと共に描いた大河ドラマです。
音二郎が亡くなり、女優も引退した後の貞奴は、若き日の恋の相手だった桃介と結ばれ、仲睦まじく添い遂げました。桃介が木曽川に作らせた橋(桃介橋)の渡り初めには、
貞奴も参加したそうです。

冬紅葉の映ゆる朝もやダムサイド