『絆』日記

~ありがとう~

フィーリング

2011-03-07 03:46:43 | 日記

『フィーリングがあう』という言葉を使う時がありますが、皆さんはどんな時に相手と『フィーリングがあう』と感じますか私が想うのは、自分が言葉に出さなくても、最小限の自分の言動の中で、自分の想いが相手に伝わり、自分の求めること、自分の伝えたいことがちゃんと伝わるそれが大事な要素になっている気がします自分が『嫌だ』と想うことを相手も『嫌だ』と思い、自分が『好き』だといえることを相手も『好き』と感じ取れるそれが私にとって『フィーリングがあう』という言葉の裏にあるものだと思っています皆さんはどんな定義を持っていますか自分の人生、無数の出会いがある中で、お互いにフィーリングがあうと感じるられる相手がいるということのならばそれは奇跡的なもので、感謝すべきことだと思います時に自分は彼女・彼とフィーリングがあうと感じていても、実はそれは自分が空回りをして感じているだけで、実際のところは相手からしたら自分に合わせてくれて踵を上げてくれているのかもしれないし、腰を下げて自分の目線にあわせてくれているのかも知れない関係もあるのだと思いますまた相手が至近距離で自分を理解してくれようと近づいているのに、自分はもう少し距離をおきたいと思う関係もあるのだと思いますつまり、お互いが同じ距離で同じ重さで同じように全てを曝け出した付き合いを築いていくことができる相手がいることは素晴らしいことなのです時に、『家族』という形式をとっていても、怖くて本質を突けない、相手の心理を読めない・・だとしたら、そのような関係は言葉上のものに過ぎません『彼氏』『彼女』という言葉があっても、自分の観点からだけの主張で相手の想いを無視したものであるのならそれは、それもも言葉上のものだけのことに過ぎません『フィーリングがあう』と思えるということは、つまり相手を認識して、相手を認めて相手を理解してそこに自分がどのように関わってけるのか、ということが大事なことなのだと私は思いますそこで思うのは、自分の意見を主張することはある意味簡単だと思うのですなぜなら自分が正しいし、自分は自分の気持ちが一番よく判っているから逆に、相手の真意を聞き出す、相手の求めることを聞くことができることの方が難しいと思うのです相手も自分に聞く耳を持っている人じゃないと判れば自分のことは話をしないからですもしも相手の真意を聞くことができたならば、その時に自分の思いを『今だ』とぶつけるのではなくて相手のために自分は何をしたらいいのかということを考えるのがお互いが近づける一歩なのだと思います『フィーリングがあう』簡単なようで、なかなか難しいことなのですね明日も素敵な一日となりますように

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