『絆』日記

~ありがとう~

鉄のアイロン

2011-03-09 12:55:41 | 家族
先日、kkの懇談会で学校に行った折り職員室の前の展示コーナーの前を通りかかりましたそこには近代建築の小学校とのコントラストを示すかのように、堂々と『昔の品』が飾ってありますワッパのお弁当箱、アルミの水筒・・等々その中で目を引いたのは炭を入れて熱くする鉄のアイロンそしてそれらの前に我が家の両親の名前が書いてありますそう、実はこれらの品、学校から配布された『昔のモノがあればたいので展示したいので是非お持ちください』との手紙を読んだ両親が実家から運んできた品々なのですお弁当箱は父親が30年以上毎日使っていたもの水筒もその他の品々もみたことがありますが、ただ1つ鉄のアイロンは私もはじめてみました両親に『あのアイロンうちにあったの』と聞くと母親が祖母が亡くなった時に形見として実家からもらってきたものだと教えてくれましたそれを聞いて胸から熱いものが込み上げてきました祖母から母へ孫へ・・そして今はひ孫の学校に母方の祖母は400年続くお寺住職をしていた祖父の裏方で家族のために、地域のために全身全霊で頑張っていました戦後、祖父がシベリアに抑留されている数年間は、女手一人で全てを切り盛りして、残された成人していない長女から、生まれたての末の子供のこと、お寺のこと、村のことを必死で守り続けてきました村人が食べ物がないとお寺を訪ねてくると、おにぎりを握って持たせてあげたり畑の野菜を分けてあげてたりしながら時に厳しく、誰をもの支えとなっていたと聞きましたあの小柄な細い祖母の身体のどこからあの強い精神力と逞しさが湧きでてくるのかと思う程です私が彼女の時代に生きていたら彼女と同じような精神力を持って全てと立ち向かって行けたのでしょうか晩年、弱くなってベットに寝ていることの多くなった彼女にこの人と結婚するとタティを連れて行ったことがありますすると祖母はタティの手をとっていいました『この子はいいこだから大事にしてくださいね宜しくお願いします』とそしてタティが笑って祖母の手を握り返していましたタティが席をはずすと祖母が『青い目の外人さんなんだね』とポソリといったのが忘れられません彼女の中に、シベリアに抑留されていた祖父の想い、辛かった戦争をくぐりぬけて生きていた人生の先にあった素直な言葉だったのだと思います彼女の駆け抜けてきた人生・・想像を絶する程大変な世の中だったのだと思いますしかし、全てを受け入れて逞しく生き続けた彼女を感じる時、自分の中にも彼女が生き続けていることを誇りに思います今錆びた鉄のアイロンはKKの学校でKKをそしてそこに通う1人1人の子どもをそして学校を守っているのだと信じています世代を越えて伝わっていく人の生き方、そして人の想い・・大事にしていきたいと思いますあの鉄のアイロン、まだ炭を入れると温かくなるのだそう学校から戻ってきたら一度使ってみたいと思います皆の想いの先にいる・・それが自分です今日もいい一日となりますように