今までほとんど時事ネタに触れずに来ましたが…
昨日から今日にかけて、あまりのことにニュースから離れられません。(英語の聞き取りが不自由なので、以下、解釈を間違えているところがあるかもしれません)
Virginia Techという静かで美しい工学系大学で起きた突然の大量殺戮。
犯人とされる英語科の韓国人学生は何年にも亘って、どうやら周りからかけ離れた存在(socialized isolation)だったらしい、そんな印象を受けました。潔癖性で、誰とも話さず、イマジナリー・ガールフレンドと「スパンキー」「ジェリー」と呼び合い、何度かのストーカー事件を起こし、質問には単語でしか答えない(ほとんど会話が成立しない)。
ある女性教授は他の学生に迷惑なので(?) 個人授業をしていた彼と、彼の書いた文章について、何度か(あまりにも危険ではないかと)大学に対して警告したと言います。でも対策は間に合わなかった。カウンセリングの勧めもうまくいかなかったらしい。そして・・・
8歳の時、家族と一緒に母国を離れ、アメリカで教育を受けてきたとされるその容疑者は、一体どうして凶行に至ったのだろう。何故そこまで人間を呪うようになったのか。推測することはできません。ルームメイトの話を聞いている限り、どう見てもまともじゃない。インタビューを受けたある若い女の子は「悪魔は本当にいるのよ。それ以外に説明はつかない」と諦めたように答えていました。
こういった事件は私が何よりも恐れているものです。 ある日、いつもと同じように出かけた家族が帰ってこない。もう二度と会えなくなる。
大げさではなく、私は誰かがどこかへ出かけるたびに心の何処かで怯えています。
もちろん、それは私がアメリカに住んでいるから、ということではなく。奇しくも同じ日に日本でも町中でshootingの事件があったように、いつ、どこで事件や事故に巻き込まれるかは誰にもわからないから。
このmassacreの後に夥しいインタビューが放送されました。
インタビュアーの不躾な(と私には感じられる)質問にも激することなく、淡々と答える人々にある種の感銘を受けました。そして、初めて本当に、この国の人たちがどれだけ「強さ」を求め、称えるのか、目の当たりにした思いです。
大学で翌日に行われた追悼式典のスピーチには、こんな悲劇を受けてそういう方向(「こういう時だから勇気を失わず、団結しよう!)へ行くのかと驚き、娘を亡くした父親が長いインタビューに応じる、そしてその勇気を讃える報道に驚き、機転を利かせてとっさにバリケードを築き、教室に入ってこようとした犯人を危ういところで防いだ学生がHeroと呼ばれたのに驚き…。
少なくとも、マスコミに都合の良い部分を十数秒切り取ったインタビューではなく、本当に伝わってくるものがありました。昨日娘を失った父親に、「最後に会ったのはいつか」「いつ、どうやって事実を知ったか」「犯人に対して怒りはあるか」と言った率直過ぎる質問を次々ぶつけるインタビュアーには正直私の方が怒りを感じるほどだったのですが、淡々と一つずつ丁寧に答える父親の姿と、彼の「悲しみの表し方は人それぞれです。私はここで娘のことを語りたい」という意志に、そっとしておくだけが悲しみを癒す方法とは限らないのだと気づきました。彼は、美しく人望があったダンサー志望の娘のことを愛おしそうに語っていました。来週もダンスのパフォーマンスがあるはずだった。実現しなかったけれどね、と。
敬虔なクリスチャンであるというその父親にインタビュアーは「神は、時々理解しがたいことをなさいますね。」と。
インタビュアーが「貴方が、今この時期にここでこのことについて話してくれるというあなたの強さに感動します」というのを聞いたとき、「今のお気持ちは」と歩きながらマイクを向けるような興味本位にしか思えないインタビューのあり方との違いを考えさせられました。
また、Heroと呼ばれている学生自身が相当参っているのは見るまでもなく…それでもインタビュアーは手をゆるめず、質問を浴びせかけた挙げ句に、「機転を利かせて生き残ったあなたを人々はHeroと呼んでいますが、犠牲になった人々へのお気持ちは…」という残酷な質問(と私には思えた)をぶつけた、そして、顔を歪め、言葉に詰まった彼を「It's Tough.(辛いわね)」(と聞こえたけど)と慰めた時は、「アンタが追いつめたんだろう!」と、思ってしまいました。あんなふうに意図的に、相手の感情に揺さぶりをかけるやり方はキライです。精神的に死ぬほど傷ついている相手にそこまで言うのかと驚きました。でも、これがこの国の「強さを求める」報道のあり方なのかとも思います。
精神を本当に強く持たないとここで暮らしていくのは大変なのかもしれません。
私はただ、どうしてこんなことが…と混乱するばかりです。
銃の所持を規制すればいいとか、大学側の初期判断がどうとか、セキュリティの甘さとか、そういう問題なのだろうか。責めるよりも、一人一人ができることもあるように思います。
輝かしい未来を持っていたはずの犠牲者たちの冥福を心よりお祈り致します。
ニュース・インタビューのほとんどはCNNのサイト
(http://www.cnn.com/)で見られます。
昨日から今日にかけて、あまりのことにニュースから離れられません。(英語の聞き取りが不自由なので、以下、解釈を間違えているところがあるかもしれません)
Virginia Techという静かで美しい工学系大学で起きた突然の大量殺戮。
犯人とされる英語科の韓国人学生は何年にも亘って、どうやら周りからかけ離れた存在(socialized isolation)だったらしい、そんな印象を受けました。潔癖性で、誰とも話さず、イマジナリー・ガールフレンドと「スパンキー」「ジェリー」と呼び合い、何度かのストーカー事件を起こし、質問には単語でしか答えない(ほとんど会話が成立しない)。
ある女性教授は他の学生に迷惑なので(?) 個人授業をしていた彼と、彼の書いた文章について、何度か(あまりにも危険ではないかと)大学に対して警告したと言います。でも対策は間に合わなかった。カウンセリングの勧めもうまくいかなかったらしい。そして・・・
8歳の時、家族と一緒に母国を離れ、アメリカで教育を受けてきたとされるその容疑者は、一体どうして凶行に至ったのだろう。何故そこまで人間を呪うようになったのか。推測することはできません。ルームメイトの話を聞いている限り、どう見てもまともじゃない。インタビューを受けたある若い女の子は「悪魔は本当にいるのよ。それ以外に説明はつかない」と諦めたように答えていました。
こういった事件は私が何よりも恐れているものです。 ある日、いつもと同じように出かけた家族が帰ってこない。もう二度と会えなくなる。
大げさではなく、私は誰かがどこかへ出かけるたびに心の何処かで怯えています。
もちろん、それは私がアメリカに住んでいるから、ということではなく。奇しくも同じ日に日本でも町中でshootingの事件があったように、いつ、どこで事件や事故に巻き込まれるかは誰にもわからないから。
このmassacreの後に夥しいインタビューが放送されました。
インタビュアーの不躾な(と私には感じられる)質問にも激することなく、淡々と答える人々にある種の感銘を受けました。そして、初めて本当に、この国の人たちがどれだけ「強さ」を求め、称えるのか、目の当たりにした思いです。
大学で翌日に行われた追悼式典のスピーチには、こんな悲劇を受けてそういう方向(「こういう時だから勇気を失わず、団結しよう!)へ行くのかと驚き、娘を亡くした父親が長いインタビューに応じる、そしてその勇気を讃える報道に驚き、機転を利かせてとっさにバリケードを築き、教室に入ってこようとした犯人を危ういところで防いだ学生がHeroと呼ばれたのに驚き…。
少なくとも、マスコミに都合の良い部分を十数秒切り取ったインタビューではなく、本当に伝わってくるものがありました。昨日娘を失った父親に、「最後に会ったのはいつか」「いつ、どうやって事実を知ったか」「犯人に対して怒りはあるか」と言った率直過ぎる質問を次々ぶつけるインタビュアーには正直私の方が怒りを感じるほどだったのですが、淡々と一つずつ丁寧に答える父親の姿と、彼の「悲しみの表し方は人それぞれです。私はここで娘のことを語りたい」という意志に、そっとしておくだけが悲しみを癒す方法とは限らないのだと気づきました。彼は、美しく人望があったダンサー志望の娘のことを愛おしそうに語っていました。来週もダンスのパフォーマンスがあるはずだった。実現しなかったけれどね、と。
敬虔なクリスチャンであるというその父親にインタビュアーは「神は、時々理解しがたいことをなさいますね。」と。
インタビュアーが「貴方が、今この時期にここでこのことについて話してくれるというあなたの強さに感動します」というのを聞いたとき、「今のお気持ちは」と歩きながらマイクを向けるような興味本位にしか思えないインタビューのあり方との違いを考えさせられました。
また、Heroと呼ばれている学生自身が相当参っているのは見るまでもなく…それでもインタビュアーは手をゆるめず、質問を浴びせかけた挙げ句に、「機転を利かせて生き残ったあなたを人々はHeroと呼んでいますが、犠牲になった人々へのお気持ちは…」という残酷な質問(と私には思えた)をぶつけた、そして、顔を歪め、言葉に詰まった彼を「It's Tough.(辛いわね)」(と聞こえたけど)と慰めた時は、「アンタが追いつめたんだろう!」と、思ってしまいました。あんなふうに意図的に、相手の感情に揺さぶりをかけるやり方はキライです。精神的に死ぬほど傷ついている相手にそこまで言うのかと驚きました。でも、これがこの国の「強さを求める」報道のあり方なのかとも思います。
精神を本当に強く持たないとここで暮らしていくのは大変なのかもしれません。
私はただ、どうしてこんなことが…と混乱するばかりです。
銃の所持を規制すればいいとか、大学側の初期判断がどうとか、セキュリティの甘さとか、そういう問題なのだろうか。責めるよりも、一人一人ができることもあるように思います。
輝かしい未来を持っていたはずの犠牲者たちの冥福を心よりお祈り致します。
ニュース・インタビューのほとんどはCNNのサイト
(http://www.cnn.com/)で見られます。
衝撃ですよね。
TAMAさんの文章を読んでいて、国民性の違いを感じますね。
同じインタビューでも、心の問題なのでしょうね。
数年前にイースターのときだったと思うけれども、日本人が亡くなりましたよね。
銃の規制についてはいろいろと難しい問題があるのでしょうね。
突然に子どもを失うことになってしまった親御さんの気持ちは計り知れませんね。
身近な人が被害に遭ったわけでもないのですが、何とも言えない重苦しいものが胸につかえてよく眠れなくなっています。
そうですね、国民性。日本だったらほんの十数秒しか放送されないであろう個人の生の声が、本人が話したいだけ伝わってくること、「黙することが美」の文化ではないからでしょうか。よくわかりません。
イースター…はわかりませんが、もしかしてルイジアナの服部君事件のことでしょうか?ハロウィンの時だったと思いますが、あれはもう15年も前になります。
私ももちろん個人の銃所持には激しく反対だし、ディベートになれば拙い英語で一生懸命主張するのですが、でも今回の事件に関してはたとて銃がなくても(規模は小さくなるでしょうが)同じ種類の事件が起きるような気がしてなりません。
私もご縁あって家族を持つ身となりましたが、一番恐れているのは「平穏な家族の日々が壊されること」になっています。平々凡々の日々が実は一番貴重なのだと、しかし運命というものは皮肉なもので「朝には元気でいた者が夕方には白骨となってしまう(ようなことが起こるので、この瞬間を大切に生きなくてはならない)」という教えです。
宗教というものは、教えの方法や手順こそ違え、ある種「人間が生きていくための神髄」なのでしょうから、その奥義には大差はありますまい。
こういう惨劇が起こったとき、人は最期には「宗教」つまり「人知を超えた存在」にすがるしかないのだと想います。
合掌
その前に大学見学の記事を読んで、コメントしようと思ってた矢先だったから。TAMAさんが実際どこに住まわれてるのか知らないだけに、ちょっと心配してました。
撃たれた教授がホロコーストの生き残りということも含め、胸の詰まる気持ちで記事を読みました。
アメリカの教育の素晴らしさを、こちらで知れば知るほど、なぜ守られ、恵まれた環境で育つはずなのに、こんな凶悪な人間も出てくるのかと思います。
どこから歯車が狂うのか。
けれど、やはり同時に、なぜあくまで銃の所持を法で守り続けるのかも、やはり不思議です。どうしてなのですか?
確かに規制してもこういう事件は起こるけれど、それでも無差別殺人を一瞬にして起こすことを規制はできる。だけれど、銃を規制しようとする街の方が法律違反で訴えられると読みましたが、そこら辺が理解できないのです。
そして、これを機にアジア系の人達への不審感が広まらないことを祈るばかりです。
犠牲者の冥福を心よりお祈りいたします。
これに関しては、お返事なしで、いいですからね♪
犠牲になられた方の冥福と、家族の方々の健康をお祈りします。
中国生まれ中国育ちで現在日本在住の韓国人学者の[島国根性半島根性大陸根性」という本を読んだばかりでしたので。
また、犠牲となられた方々、ご遺族については、お気の毒としか申し上げようがありませんが、ご冥福をお祈り申し上げます。
正に一期一会、今までも心していたつもりですが、これからも忘れないようにしようと改めて感じました。
いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないから、前向きにならなくては。
でも残された家族の生き残った学生の様子をココで初めて知りました。
もし良かったら、CNNのサイトからインタビューをご覧になってみてください。きっともっと伝わるものがあると思います。この後、さらに多くの遺族がカメラを通じて亡くしたお子さんへの思いを語っています。一人一人がかけがえのない命だったのだと強く訴えかけてきます。