かんちがい

、かも知れないけど、思いついたことを書いていく、ヤマサキタカシの日記です。

ドラゴンボールのヒロイン

2021年03月06日 | Weblog
ここ一ヶ月、実はあまりアニメを見ていませんでした。
昨年末にパズドラを3年ぶりくらいに再開したのですが、2月末からMARVELコラボというのをやっていて、そういえば、アベンジャーズ最近見てないな、ということに気づきました。

2017年あたりの作品から見ていなくて、見始めたら一気に見てしまっていました。
個人的に特に面白かったのは、「マイティー・ソー/バトルロイヤル」と「アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー」でした。(ただサブタイトルの邦題「バトルロイヤル」は原題の「ラグナロク」の方が厨二っぽくて好きですね。)

あとはちょっと変化球ですがアニメ映画「スパイダーマン:スパイダーバース」も面白かったです。メイおば(あ)さんがカッコいい。カッコいいBBAキャラって、個人的にはグッとくるものがあるんですよねー


というわけで今月は新作アニメをあまり見ていないので、先月の予告通りドラゴンボールについて書いてみます。

以前、呪術廻戦の女性キャラについて書いた時に(コチラ)、男性キャラと女性キャラの役割が崩れ始めたのは、ドラゴンボール、それもZあたりからかもしれない、ということを書きましたが、今回はドラゴンボールのヒロインについて考えることで、探ってみたいと思います。

今回はかなりドラゴンボールのストーリーの重要な部分について触れていくことになると思いますので、まだドラゴンボールを見たことがなくてネタバレが嫌だ、という方は、ここでこのブログを閉じていただけますようお願いいたします。

逆に、文章をなるべく短くするために、ドラゴンボールそのものについての丁寧な説明は省こうと思いますので、登場キャラに関して全く知らない方がこのブログを読んでも、楽しめるかどうかは分かりませんのでご了承ください。


初めに、一番このブログで使うであろうユング心理学用語「アニマ」「アニムス」について簡単に説明しておきますと、

「アニマ」  女性らしさ、優しさ、柔らかさ
「アニムス」 男性らしさ、厳しさ、強さ

という感じです。
以前、鬼滅の禰󠄀豆子について書いたブログで図入りで説明したので、よろしければご覧ください。

このブログで、男性・女性はこうあるべき、ということを言いたいわけではありません。

むしろ、男性・女性らしさは時代を追って変容しているよね、ということを言うのが目的です。
また、ユング心理学においては「アニマ」は男性特有のもの、「アニムス」は女性特有のものとされていますが、それも現代においては曖昧になってきていると思うこともあり、このブログにおいても取り扱いが曖昧な感じになってしまっています。


では、ドラゴンボールの話題に入っていきましょう。


初期の「ドラゴンボール」に関しては、王道の男性キャラ・女性キャラの役割は、まだ保たれているようです。

まあ初期のヒロインはやっぱりブルマさんですよね。

とはいえ、初期からして少し崩れているところも見受けられます。
コメディタッチな初期は、ボケは悟空担当で、ツッコミはブルマ担当と言う感じです。



「ボケ」は優しい感じのする「アニマ」の要素で、「ツッコミ」は厳しさを感じさせる「アニムス」の要素ですから、キャラクターの性別としては、イメージが逆転している感じです。
(別にわざわざ下ネタを言うわけではないんですが、生物界の生殖も、主にオスがツッコミ担当ですからね。)

当時は女性の立場が徐々に向上して強くなってきた時代ですから、リアルといえばリアルな役回りです。


また、悟空とブルマの間には恋愛感情は生まれないようで、そこも一般的なヒロインとはちょっと違うところです。

そして、時を追うごとにブルマは次第にヒロイン感が薄くなっていきます(個人の感想です)。



そして悟空と結婚することになるチチも、まぁ形式としてはヒロインということになるのですが、過保護なママになってしまい、物語としてはヒロインとは言い難いところがあります(個人の感想です)。



別に、女性は歳を取るとヒロイン性がなくなるとか言いたいわけではありません。
物語の中のキャラクターのイメージとして、ということです。ハイ。



では、ドラゴンボール後半のヒロインはいったい誰なのか。

18号に決まってんだろ!とか、それぞれに意見があると思いますが、私は、主人公の悟空がヒロインの役を背負っているように思えます。


まずは容姿ですが、悟空は筋骨隆々としてはいますが、他のバトル漫画の主人公と比べたら、かなり中性的な容姿をしている方だと思います。



そして何より、大人になった悟空の声も、野沢雅子さんという女性声優さんが担当されている、というのも中性的なイメージをより強力なものにしていると思います。

(同じく田中真弓さんという女性声優が男性主人公ルフィを演じているワンピースも、魅力的な女性キャラはたくさん出てきますが、絶対的なヒロインはいない、という点で共通しているのも興味深い点です。)


そして、ドラゴンボールが他の一般的なバトル漫画と違う点、これは、悟空が戦った相手を、改心していない敵まで殺さずに仲間にしてしまうところです。

調べてみると、初期のレッドリボン軍などは悟空に虐殺されているようなのですが、悟空の戦う目的は次第に、ワクワクするほど強い奴と戦いたい、というものが優先され、バトル漫画最大の「悪を倒す」という目的は二の次になっているように思えます。


改心した天津飯と和解した時はまだみんなハッピーですが、



ピッコロ(マジュニア)を逃した時はみんなドン引きしています(笑)




また、ヨレヨレのベジータにトドメを刺そうとしたクリリンに、体の動かない悟空は最後のわがままだと言って制止し、クリリンはかなり悩んだ末、逃してしまいます。




この、許して仲間にするという包容力、これは「アニマ」の要素だと思われます。
もしくは元型「グレートマザー」の特徴の一つで、男女問わず人類が共通してもつ「母」のイメージの一面とも言えるかもしれません。

このように、悟空は他のバトル漫画の主人公に比べ、顕著に、女性的な要素、すなわちヒロイン性を兼ね備えている、と言うことができるのではないかと思います。


しかし、許す包容力も大切な良いことですが、行き過ぎてしまうと、なんでも飲み込むブラックホールのように、問題を起こしかねません。
どこかで境界線は必要となってきます。


ベジータまでは結果オーライな感じでしたが、フリーザの悪をとうとう悟空は許すことはできませんでした。



そして伝説の戦士超サイヤ人へと変貌を遂げます。



「穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた」と悟空は言っています。

ユング心理学的に考えると、これまでは全てを包み込む「穏やかな心(アニマ)」の面で物事を乗り切ってきた悟空ですが、激しい怒りによって切り捨てる厳しさ(アニムス)の面を得たことにより、戦士として絶妙なバランスが成り立ち、伝説の戦士超サイヤ人になった、ということでしょうか。

(ちなみに、ベジータが超サイヤ人に目覚めたきっかけは、穏やかで純粋な悪と自分への怒りで超サイヤ人に目覚めた、ということを言っていました。これはアニマとアニムスの観点から見ると、ちょっと違和感はあります。推察するに、カプセルコーポレーションで仮住まいしてブルマとその家族と生活したことを通して、無意識のうちに自分の中の優しさに気づき、超サイヤ人に目覚めたのではないでしょうか。悟空の時の逆パターンですね。ベジータは恥ずかしかったので厨二っぽいことを言って誤魔化したんだと思います(笑)実際、魔人ブウ編の時だったかにベジータは地球で穏やかになっていく自分が嫌だった、という発言をしています。)


そして、いつも優しいお父さんだった悟空は、息子の悟飯に対して急にスパルタな感じになります。

そして、悟飯は戸惑いながらも、父親が伝説の戦士超サイヤ人になれたことを喜びます。



この悟飯の涙は、漫画で読んでいた時に非常に印象的でした。
悟空は、人間としては「いいひと」かもしれませんが、父親としては、控えめ目に言ってもダメダメです(笑)
そんな悟空の代わりに、ピッコロが父親役をやっていたようなところがあります。

そんな父親としては頼りなかった悟空が「父性」を得たことを、喜ぶ涙の様にも思えます。
もしくは、父親がもはや人ではない域まで、さらに遠くへ行ってしまった寂しさの涙なのか。
それか初めてパパに怒られてビックリしたのか(笑)
いろいろ想像できる印象的な悟飯の涙です。


そして超サイヤ人となった悟空は、フリーザを怯えさせるほどの力を手にし、一旦は見逃そうとします。
しかしピッコロとベジータを見逃した時とは違い、これ以上強くはならないであろうフリーザに「ワクワク」しなくなったという感じです。
(°⊿°)イラネ って感じでしょうか。
優しいから見逃そうというよりも、「アニムス」の作用で見放した、という感じに思えます。

と言っても超サイヤ人の半分は優しさでできていますから、純粋に見逃してやりたい気持ちもあったのかもしれません。

とはいえ、フリーザは姑息な手段で反撃しようとし、悟空に倒されてしまいます。

後々フリーザは死んでいなかったことが判明するのですが、この時の悟空の中ではフリーザは仲間になることはなく、殺した気でいることがうかがえます。
(個人的には漫画版のどこか悲しそうな顔も好きです)




…とまぁ、ここで結論を書いて本来はブログも終わる予定だったのですが、途中で面白いことに気づきました。

ドラゴンボールの連載がジャンプで開始されたのは1984年で、前半時期はバブル好景気の時期と重なります。

時代としてはかなり大らかで、「アニマ」もしくは「グレートマザー」の時代といっても過言ではなかったかもしれません。
良い点だけを見れば、悪人でも許してしまう、大らかな悟空のイメージに近いところがあります。



しかし、バブル景気も金融引き締めにより、陰りを見せ始めます。
Wikipediaによると、バブル崩壊は内閣不景気基準日付で1991年3月から、ということです。

そして、ネットで調べたところ、悟空が超サイヤ人になった回は、ジャンプの1991年15号(4月1日号)ということです。
(確認は必要ですが発売は3月中頃だったという話もありました。)

大らかだった社会が大きく引き締め(アニムス)にシフトしていった時期と、穏やかな悟空が激しい怒りによって超サイヤ人に目覚めた時期とが、重なっているようなのです。

しかし、超サイヤ人は絶妙なバランスの上に成り立っているようですが、日本社会としてはバランスをうまく取ることには失敗し、金融面だけでなく、精神面でも「引き締め」の空気が色濃くなってゆきました。

そして令和の時代となりましたが、そこへ新型コロナウイルスの発生により、さらに厳しい空気が蔓延し、今はもう「アニムス」の時代、分断の時代といっても過言ではないと思います。

ポリコレ問題とか、ちょっと行き過ぎちゃってるところがあるなぁと、個人的には思います。


30年前のアニメを今見ると、こんなのがゴールデンタイムに放映するのが許されてたのかよ!と改めてびっくりすることがあります。

逆に、何年後になるか、令和初期のアニメってそんなことで炎上してたのかよ!と、笑い話にできるような、もう少しバランスのいい時代がくればいいなぁと思っております。


というわけで話が大きくなり過ぎてしまいましたが(苦笑)、ドラゴンボールにおける、他のバトル漫画とは異なるヒロイン性、また「アニマ」と「アニムス」から見た超サイヤ人の考察について、今回は書いてみました。

もう少し書いてみたいこともあったのですが、考えがまとまらないところがあるので、いつかまた加筆してみたいものです。
私の勉強不足で、「アニマ」と「グレートマザー」を混同してしまっているところもあると思います。

悟空と大猿、神様とピッコロ、カカロットとベジータ、魔人ブウの二つの形態など、ドラゴンボールを「シャドウ」という観点から見ても面白いと思いますが、あまりうまく書く自信がないので、書くかどうか分かりません。


「アニマ」に関しては、「物語」シリーズで考察すると分かりやすそうなので、いつか書いてみたいと思います。
また、「ソード・アート・オンライン」から見えるユングの時代からの「アニマ」のイメージの変容、という点についてもいつか書いてみたいと思っています。


何事もなければ次回はゆるキャン△について書こうと思っています。もし変わったらごめんなさい。


長いブログを最後まで読んで下さりありがとうございました!!




バブルのイラストは「いらすとや」さんのものです。
その他の画像は全てアニメからのスクリーンショットで、著作権は バードスタジオ/集英社・東映アニメーション に帰属します。


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