遠州横須賀あれこれ書き連ね2

祭りの町「遠州横須賀」の情報をあれこれとvol2

今日のディナー

2020-03-27 22:21:08 | 笠井屋

今日のディナー、あれこれと盛り合わせ。厚焼きたまこ+大学いも+焼豚しっぽ、里芋と海藻のサラダ、わらびとシイタケ+油揚げのあっさり煮、シャンタンのたまごスープ+春菊とパクチートッピング、エシャレットの金山寺みそ添え


66年間ありがとうございました

2020-03-27 17:22:47 | 掛川市

地域の身近な話題、骨太で一貫した取材方針などで特色ある内容で親しまれてきた郷土新聞、66年間の歴史に幕を引くことになりました。

横須賀のイベントやお祭りなど、我々と同じスタンスで仲間になって取り組んでくれました。

今となっては本当にありがとう&お疲れ様、またいつの日か何かを一緒にやれること、お会いできることを楽しみにしています。


横須賀歴史探訪「廻船問屋 清水家」その3

2020-03-27 09:14:25 | 遠州横須賀倶楽部

清水家ご本宅、大空間を抜けるとすぐ右側に井戸があります。

もともとは炊事など、日頃の水仕事に使われていました。

井戸の中を覗くと、深さ約8メートル、三和土製の井戸の底に砂利が敷かれており中央に大きなカメがあります。

これはこの砂利の間を通って浄化されたきれいな水がカメにたまるというすぐれものです。

井戸一つにもいちいち感心してしまいます。

隣には石製の台所、左から右へと水が流れるようになっていて、今でも充分に現役です。

時代を感じさせるお風呂場、竃の台所、これでご飯炊いたらさぞおいしいことでしょうね。

あちこちに置かれている「山星一 清水」屋号の書かれた蓋など、その一文字一文字にかつての繁栄を伝えます。

左手の棟続き、ご当主様が「お部屋」と呼ぶ、お屋敷の中で一番格式の高いおもてなしの部屋です。

一説によると、その昔お殿様、勘定奉行などがお忍びでお越しになり、お金を借りる相談をしにきたとか?

※諸説あり、お殿様が来たかどうかは真偽のほどは不明、眉唾ものです。

 

ここは展示などには使わず、本来の意味のおもてなしの場として、湯茶の接待や初釜の時の古式遊び、また食事のための場などに使わせていただいています。

お部屋のしつらえ、センスのいい欄間です。

日が当たると浮き出るような、細い線を使っての珍しい欄間です。

清水家は「八十様」(やそさま)と呼ばれ、江戸時代の狂歌に「八十様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と読まれています。

※写真は明治期の版画による名家の紹介

 

お庭に置かれた「留石」、丸い石に黒いシュロ縄を十文字に縛ったもの。

お茶の世界では、これより立ち入り禁止の意味です。

「現代では民地につき立ち入り禁止、とかの看板が立っていますが、昔はこういう形でみんなに知らせていたんですね。言葉で書くよりよっぽど柔らかいし、その意味を知らないほうが恥をかいてしまいます」

子どもたちにこんな話をするとすごく興味を持ってくれます。

後日、子どもが清水邸ご本宅へ勉強に来たというお母さんから、「子どもが清水邸ご本宅へ行っていろんなお話を聞いてきました。自分の部屋の前にひもで縛った石が置いてあったので、何これ?って言ったところ、お母さん知らないの?部屋経勝手に入ってきちゃダメっていうことよ」家族一同大笑い(*^^*)

他にもお茶の世界では言葉の挨拶よりも、態度は音でいろんなことをお知らせします。

例えば、来宅したことをドラなどで知らせたり、お茶室に入ると、お詰めが入るとわざと戸を閉めた音を立て、全員がい茶室へ入っとことを知らせたり、その音を聞いて頃合いを見て亭主が挨拶、その時も水屋の戸を開けて、頭を下げるだけ、「ようこそいらっしゃいました」という言葉ではなく、態度で伝えるという粋な対応をします。

自分はお茶のたしなみはまったくありませんが、日本人持つ奥ゆかしさを感じます。

 

その4へ続く


ちょっとした工夫で

2020-03-27 08:55:43 | 横須賀のまちなみ

拾六軒町、昨年新築されたS田邸、町並みにあった素晴らしい家を建ててくださいました。

玄関の上のレトロな門灯がまたまたおしゃれ、こうしたちょっとした工夫が住む人の意識の高さ、また町並みとの一体感を感じさせてくれます。

お隣のY川邸新築工事、こちらも町並みに合わせた作りで、完成が楽しみに、なります。

横須賀地区は掛川市の景観形成地区に指定されていますが、法律的な決め事は一つもなし、もちろん補助金はありませんが、皆さん高い意識で実費で協力いただいています。

住民皆様方の、横須賀らしい心意気に感謝です。