空手道へっぽこ稽古日誌 An ordinary person's karate practice diary

いい歳こいて空手を学ぶおっさんの備忘録。
23年7月2日に二段になりました。
まだ続けるのこれ?

『夭折の天才 船越義豪』/01.05.10/「月刊空手道」

2009年03月24日 | 【紹介】書籍
以前3月18日に、船越義珍翁の次男 義豪氏が、「回し蹴り」を編み出したと書きました。
その出典、福昌堂 月刊空手道2001年5月号「夭折の天才 船越義豪」の紹介です。

船越義珍氏には3人の兄弟が空手を学んでいたが、次男の義豪氏がぬきんでていたそうで、長男 義英氏は空手道場「松濤館」の後継者を決める際に、自ら義豪氏を推したそうです。実力・人柄・そして指導力において道場の内外ともに評価が高く、本人も空手の普及に向けて理想と熱意をもっていましたが、肺壊疽にかかり、昭和20年11月24日、41歳の若さでなくなったそうです。

当時の稽古の様子も書いてあります。
"近代空手の父"船越義豪氏は、昭和40年に東京・目白にある自宅内に日本初の空手道場「松濤館」を設立。床面積は約30坪。門から玄関にかけて巻き藁が数本立っていて、稽古に訪れた道場生は、道場に入る前にかならず巻き藁をしてから、道場に入るのが基本だったそうです。稽古は2部制で、昼は、船越義珍翁が沖縄古来の空手を教え「空手に先手なし」「空手の構えなし」を地で行く稽古だったそう。夜が義豪氏の指導で、闘志にあふれた今日の松濤館流のスタイルのベースであったといいます。
このころは「松濤館」でも、教えていた形は少なく、平安・鉄騎・十手・抜塞が形稽古の中心だったそうです。