斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

「被差別部落の人権侵害投稿が最多」だそうです。これ、自分も抵触しないか心配

2023年09月04日 | 自己満

「被差別部落の人権侵害投稿が最多」

という記事がYahoo!ニュースで上がりました。自分のブログ記事も抵触しているのかとても心配になりました。

 

自分としては「被差別部落」そのものをネタにするつもりで「部落」に触れたのではなく、江戸期の鎖国以前からある歴史的な異民族による移民集落について調べていたらそこが「被差別部落」でした。

 

別に「被差別部落」をわざわざ探していたわけではありません。

記事によると、

「ネット上で被差別地名や個人宅などをさらす投稿が後を絶たない........」

 

 

被差別部落の人権侵害 投稿が最多 - Yahoo!ニュース

 インターネット上で被差別部落の地名や個人宅などをさらす投稿が後を絶たない。法務省によると、ネット上で被差別部落などを示し、人権を侵害する事案は増え続けており、...

Yahoo!ニュース

 

カルガルちゃんねるとしては、被差別部落地名をふんだんに入れ過ぎていたという自覚があり、部落の場所を晒していたという自覚もあります。

 

このブログはまだ人権団体からの摘発を受けておらず運営からの警告もまだされていません。

 

この記事を受けて、その被差別部落のある都道府県と市町村などの自治体を削除しました。

 

この部落の地名は幸いそんなに珍しい地名ではないので、都道府県・市町村を晒さなければ非常に特定の難しいものとなります。

 

この集落は被差別部落であるような示唆を一部行っていたので、その内容の文章も削除しました。

 

何度も言うように、自分は「被差別部落」というネタで書いたものではありません。

 

歴史的異民族集落を実踏した結果、そこが被差別部落である事が判明しました。そういう場合には、被差別部落の人権問題に抵触するのでしょうか?そしてそこは「同和部落」ではありません。

 

この集落を実踏するまでは、ここが実際被差別部落である事が解りませんでした。

 

被差別部落というのは同和部落だけかと考えていましたが、それ以外にも様々な被差別部落の種類が存在するという事実も知る事が出来ました。

普通に生活していれば知ることが出来ない問題に気づく事が出来ました。

 

江戸期の鎖国以前から続く異民族の移民の集落という事で、それがどういう事か深く考えず、半ば興味本位で首を突っ込んでしまいました。

 

その様な民は幸せに、周囲の日本人と調和して暮らしているものと勝手に考えていました。

しかし実際に見てみると、現実はそうではない。

 

衝撃的な事実を突きつけられたというのが正直な感想。

 

集落の民が外側からは見えない制度に縛られる生活を余儀なくされているのかもしれない。

 

鎖国以降、この集落の民はどのような歴史的経緯を辿って、果てには被差別部落という形になってしまったのか、想像に難くはない。

 

この集落の話は東南アジアや中東などの話ではなく、日本でこういう事が起きているのかと非常に衝撃的だった。

 

この部落は解放されているのか、いまだに開放されていないのか、私などには判断がつかないが、

 

解放されたからと言ってすぐに変わるわけではないと感じた。正直な話、日本の深い深い闇が垣間見えた。

 

日本に人種差別はないと思っていた。日本の人種差別は関東大震災から始まったと思っていた。

 

「日本は単一民族の平和な国」という本当の意味が解った。

日本は単一民族だから平和なのである。正確にいえば日本は単一民族だという事になっているから平和なのである。

異民族に、倭人である事を強いたのである。というか倭人にしてしまった。

 

徳川時代が長く続いたのは、反骨分子と異分子をことごとく粛清したから。

徳川を頂点とする世を築く世では「神」を頂点とする異分子、キリシタンを大虐殺した。

これと同じように、倭国全土に住む異民族をことごとく浄化していた。という事実もある。

異民族は徳川にとってそれだけで反骨分子と見なされていた。

倭人の政権が気に食わない異民族に政権を取って変わられる事を徳川幕府は恐れていた。

 

倭人である徳川家が天下を取ったから、現在の倭人は主流民族として存在出来ている。それを忘れてはならない。

徳川家は当時なりの倭人の平和の為に尽力した。まさに平和の為の戦争。

私達は倭人として徳川家に感謝すべきか?

極論すれば、徳川家のやっていた事は現在の中共が新疆ウイグル自治区や内蒙古やチベットにやっているような弾圧と同じ事を

倭国内の異民族にやっていた。

 

日本の平和とはどこから来たのか?日本の平和は虚像なのか?

それらをよく考える機会が、この被差別部落との出会いによって与えられた。

 

戦国期以前の日本は、倭勢力だけではなく、様々な民族的勢力がそこらへんで抗争していた。

大名と言われる勢力は覇権主義の戦争をしていた。至る所で戦をしていた。

 

当然異民族集落というものはそこら辺に存在していて、未だにその残骸があっても不思議ではない。

学校教育では、日本人は縄文人と弥生人の交雑で、それ以降は混血のない単一民族のまま現在に至ると言っている。

最近の本では、日本人の遺伝子検査の結果、縄文時代から何も変わっていないという事を言っている。

 

私は、この手の気持ちの悪さをどうする事も出来ない。

 

被差別部落の中には、異民族部落もあって

徳川時代の途中から内蒙古などのように弾圧され、浄化され、倒幕後の新政府になれば「部落」として平民として扱われず

未だに当局から様々な制度で縛られ、行政からも不当な扱いを受けている所が多々ある。

 

だからそのような部落に対して「知らぬが仏」という問題ではなく、知るべきだと思う。だからと言ってむやみにそのような部落を晒して良いというものではない。

 

このブログにて、晒し過ぎた事を反省している。

 

これからも歴史的遊牧ホトを探していくつもりではあるが、あの部落同様、この問題とぶち当たる事は覚悟しなければならない。

これからも、場所の特定などが出来ないように気をつけて書きます。


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