斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

遊牧遺構

2023年03月18日 | 自己満

日本に於ける遊牧部落の跡地を探している。

 

遊牧部落とは、家畜を携えた遊牧民や、家畜を失った遊牧民が大陸から日本海を越えて日本に辿り着き、首長を筆頭に定住した集落を指す。

 

今までに書いた金田神社のネタと金田集落のネタは、自分の頭で描いた妄想、ファンタジーの要素が非常に強い説である。

 

遊牧アディクトだからしょうがない - カルガリーたん

 

アルタン部落についての続きと、古墳について、舶来牧民に関するもの - カルガリーたん

 

テングリ信仰の跡地だと思える場所を発見!! - カルガリーたん

 

 

今日のこの記事、遊牧遺構については妄想やファンタジーをほとんどせず「モンゴル帝国のハーンたちの世界観」の記事と「金田という地名・姓の由来」の記事に則して書いた。

 

「テングリ信仰の跡地だと思える場所を発見」の記事。「天神杜」の写真の中の立札に説明書として書かれていた、

 

「国土を守護する天乃神」という一文が非常に気になった。

 

「五穀豊穣を祈願して創設された杜」はこの杜を作る理由である。

 

「天乃神」と学問を奉ずる「天神」とを別々のものとして扱い、相殿にしているという点について違和感を覚えた。

 

何故この天神杜を、テングリ信仰と結びつけられたのかは自分でもよく解らない。多分だが、菅原道真を指す天神以外の天神が出てきたので、違和感を覚え、これはもしかしたら、テングリ信仰の可能性もあるのではないか?と考えたのかもしれない。

 

お天道様説も考えたが、あれは太陽を指すので天乃神ではない。

 

テングリ信仰とは国土を守護するという要素があるのか?という疑問が湧いたので

「テングリとは?」でググった。

「モンゴル帝国時代における ハーンたちの世界観について」ソーハン・ゲレルト

https://wako.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3047&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

 

その中にある7ページ目から始まる「宇宙三界観」

その中での図2 モンゴル人の宇宙三界観で、天神は地上界に保護と善と幸福をもたらすという。

13ページ目の内容では、天神の子とされる英雄は、悪魔を退治し、理想的な国を立て、自らハーンとなって人間社会の秩序を保護し、人びとの幸せな生活を保障する。

 

国土を守護する天乃神......

 

国土というものが、地上界=人間界 黄金の世界(Altan delkei)を指すと同時に、天神の子、ハーンが立てた理想的な国をも指すと解釈してもよろしいでしょうか?

 

それがハーンと天神によって守護される。

 

それを信仰した人々がこの地にかつて存在したと解釈しかねない。

 

 

 

 

撮影地 : 金田

 

 

テングリ信仰では、テングリの儀式がある。平原や、平原にある小高い丘、山頂や峠のような高所に儀式(祭事)を行う場所が多いと言われている。

儀式の最後に自分が持ってきた石を石積みの好きな所に置き、手を合わせる。

カルムイク人幸せの秘訣

 

この、金田の天神杜には何故か石ばかりが置かれている。天神杜の付近を見回したが、このような丸い石は見当たらなかった。置くためにわざわざ自分で持って来たのか。

 

天神杜が天神杜として作られたのはいつの事なのか?全く解らない。この天神杜についての説明書もいつ誰が書いたのか全く解らない。

天神と天乃神の両方いるとすれば、どちらの信仰が古い、新しいなどの、時間的差があるのか?とても気になる。

 

仮に「国土を守護する天神」の方が古く、石積みが本当にあったとすればその石積みは誰かが引き取って持って行ってしまったのだろうか?

(石や砂利は様々な用途に使える)

 

後に「国土を守護する天神」の事情を知る者が、その跡地に「学問を奉ずる神」と「国土を守護する天神」とを相殿にし、五穀豊穣の為の杜にしたのだろうか?

 

憶測の域は出られない。

 

祠や道祖神などで、持って来たような石がたくさん置いてある所は他に見た事がない。自分の知る限りでは。

 

この天神杜のある「金田」という地名。

 

 

この写真を見て、色々考えさせられるものがあるが、金田という地名の由来について、勝手な事を言わせて貰うと天神(テングリ)信仰、宇宙三界観の影響があり、ハーンが立てた国を想う心から来ている。テングリの祭典では、本場モンゴルでは「金(きん)」を供える者もいるという。

 

ここは何故「金田」というのか?

 

金田という地名について「☆☆市 金田 地名 由来」とググった。

 

金田という地名は、由来はバラバラだが日本各地にある。全てがハーン由来・テングリ信仰由来だとは考え難い。(全てがそれだったら、元寇は来る必要がなく無血併合なんかも出来たかも知れない)

 

 

これは日本全国の金田という地名・姓の由来について書かれた記事だが、そこに関する箇所だけを抜き出した。

この文章で見る限りでは、由来が取り上げられていない。金田氏族の話をしてるのか?地名の由来の話をしているのかさえよく解らない。

 

経由地だという。そして大永年間に愛知県西尾市一色町に移動。

 

発祥も取り上げられていない。

 

これを調べる人は、聞き取り調査なんかもしたと思うが、愛知県西尾市一色町に住む、この人達の末裔に聞き取り調査をし、答える側が、自分のルーツを他人に話す事を拒み、ぼかしたのかも知れない。自分でも向き合うのが非常に気まずいという人は世の中には多くいる。

 

これを読む限りで得られるものは

 

☆☆市金田を経由し、大永年間(1521-1528)に愛知県西尾市一色町に移住した民。

 

それだけ。

 

この民が、そこの金田の由来。

 

末裔に聞き取り調査をしたかも怪しい。末裔がどこにいてどうなったかなんて、分かるわけがない。

 

愛知県西尾市一色町に移ったが、その後何処へ行ってしまったのか、そのまま定住したのか、殺されてしまったのかは不明。

 

遊牧部落を探そうと思ったが、その前に、遊牧民の足取りを掴むのが非常に困難を極めると思った。遊牧民は文字を持たない場合が多く、口頭伝承で全てを伝える為、足跡がつかない。

遊牧民は、家畜を持とうが、失おうが、定住をしない場合が多いと考えた方が無難。

 

定住をしない為、不動産を持たない。ということ。色々と足がつかない。

 

遊牧民は土を掘り起こす事を頑なに拒むため、農耕生活をしないので定住する理由がない。だとすれば、家畜を失って日本に来た牧民は掠奪や商売や狩猟などで生計を立てる。土地に縛られない。中世日本に於いて、土地に縛られない人民がいたという事実でもある。この金田問題。

 

遊牧部落という定住的な生活の痕跡の特定は素人の自分には不可能。

 

金田の天神杜は、遊牧遺構だと認識して良いのでしょうか?

 

立て札に書かれている「この祠は国土を守護する天乃神」という箇所がとても重要。

 

「この祠は国土を守護する天乃神と学問を奉ずる天神とを相殿にし」という一文も大事である。

口承だけで伝えられた天乃神(テングリ)信仰の事実を、この立て札に文字として残して頂いた事に感謝致します。

そこの金田という地名も遊牧遺構と認識しても良いのでしょうか?

 

金田人は高麗人とは違う。高麗人は定住をし、農耕生活を行う。金田人がもしいたとすれば彼らは農耕に従事する事を拒んだ。

それらは宇宙三界観、シャーマニズムの精神を伝統的に守り続けたという証だろう。

 

元遊牧民だったとおぼしき人達が闊歩してたと想うと日本も大陸と同じ世界線で生きてたのかも知れないと思える。

 

という事で今日はここまで。長文、しかもまとまらない文章をご精読ありがとうございました。

パカパカー

 

金田人は金張汗国民ではありません。金田を見ると金張汗国を連想されるかと思い、大変紛らわしくて申し訳ございません。

コメント
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