斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

2022年11月5日の思い出

2023年01月16日 | 中央アジアその他

この日は有給を取って、経堂で布イベントと、ジャーミー(モスク)の隣のビルで開かれる絨毯イベントと上野のお寺、宋雲院で3年振りに開催される、食、ダンスショー、雑貨、ワークショップなどで堪能するイベントに行きました。

 

最初に、経堂の「草原の民 終わりなき布」展に行ってきました。

アイナグル氏の天才的な刺繍!色遣いが素晴らしく、自分は紫色とピンクと青がアイナグル氏らしいと思いました。

 

 

 

次向かったのは、東京ジャーミー。めちゃめちゃ凄かった!電車の窓からも外観撮りたかった。今度またゆっくり来たいです。

 

 

東京ジャーミー隣の建物で「トルコキリム展2022」を見た。乙嫁語りの世界に引き込まれてしまったような錯覚。カフェの本棚に乙嫁と、凄い本たちが沢山!

 

 

上野、宗雲院の絹の道イベントに初めて行きました。とにかく大盛況!大座敷の3階でのフリーマーケットは、普段見れない物が沢山あってとても面白かったです。ウズベキスタンダンスも見応えがありました!中央アジア人気が想像以上に有りました。

 

 

買った物です↓

 

 

青いストールは、絹に羊毛フェルトを縫い付けてあります。以前から欲しいと狙っていました。

やってみると暖かく、好みの柄だったので購入しました。寒い日に使ってます。とても暖かいので購入出来て嬉しい!

「中央アジア シルクロード 古代の遺跡を訪ねて」

「ディープすぎる シルクロード 中央アジアの旅」

「旅の本屋のまど」にて購入しました。

 

来年はもっと早い時間帯に行きたいと思っています。食べ物などは午前中に売り切れてしまう可能性があります。

 

 

 

本当の事を言うと、この日は、自分の「大いなる勘違いによる傷心」の中で参加しました。

大いなる勘違い - カルガリーたん

 

アタマの中が荒廃していない普通の状態での参加では経験出来ない、とても良い一日でした。

 

健常な状態でのブログだと、今日○○に行って来た、(写真上げる)○○食べた。○○買ったいっぱい買った。面白かった楽しかった、また行きたい!

 

で終わりでこれ以上考える事はない。もちろん、これらのイベント側には何の問題もないし誰も悪くない。単に自分の問題である。

 

この3つに共通する事は絹の道。

 

自分のアタマが荒廃して健常さを失ったのは10月後半。

昨年の話をぶり返したくはないが、拒んでいたあるキーワード群の検索を遂にした。それが原因で非常に不快な真実を知ってしまう。知りたくはなかった。それで精神が荒廃した。これ以上人様に迷惑をかけたくはなかったので、これは仕方ない事だった。

 

11/5の頃はまだ傷が今より深くて、何も考えられない状態だった。

 

東京ジャーミーでは私はアッラーの神を冒涜してはいなかったのだろうか?

宋雲院にて、私は本当にここに居て良いのだろうか?

 

超弱気になり、宋雲院にたくさん出ていた雑貨屋さんに話掛ける事がろくに出来ないでいた。そもそも気が弱いですがその時は本当に弱ってて、雑貨屋にひやかしをしたら失礼。商品の話をするだけして結局買わないのは失礼だと思っていた。でも、ひやかしする人はザラにいた。

 

服装も、ゴルスタン(モンゴル及び○○スタン)の格好をして来た人が沢山いた。

 

そんな客の一人に「なんでここに来たの?そんなに※加原天地がいいなら加原天地行けば?」

という言葉を掛けられそうな気がしたりしました。実際にそんな人はいませんでした。

来ていた客の中にそんな酷い人がいるワケないし、私を知る人はいないと思います。100%いないとは言えませんが。

 

加原天地:ご想像にお任せします。但し、ユーラシア大陸には存在しないが現存する国。中原天地のパクリ

 

自分は加原天地故に、中央アジアに愛着を持ったのではないか?というモヤモヤが晴れない。

加原天地を目にしてこれを中央アジアと勘違いしていた。実際には加原天地なのに、キリトリ画像、キリトリ動画だけで親近感湧いた。その中身、文化とか芸術とか歴史などを知りたくて中央アジアに関係するイベントなどに足を運んだりした。

 

中央アジアに申し訳がない。加原天地の為に中央アジアを利用した感が拭えない。自分は本当に中央アジアが好きなのか?中央アジアをたぶらかしたみたいで気持ちが悪い。

 

宋雲院の絹の道の世界の只中でただひとり、モヤモヤし続ける。

 

有給取ってまでここに来た意味があるのか?という深い疑問に苛まれていた。

 

中央アジアとの深い溝が出来ていたことに気づく。

 

自分は、この一年半で中央アジアと溝を作る為に時間を費やしたのか?

 

絹の道を提供する側とそれに来た客の全て、つまり絹の道の集大成が年に一度ここに集う。全国から来ているという。私もその中の1ではあるが

その全てと自分との隔たりを感じる。

 

もし私の守備範囲が、間違いなくユーラシア大陸のステップロードに嵌っていたら、非常に楽しい一日だったに違いない。

 

中央アジア界隈では、各々自分の守備範囲(推しや専門の国や地域)を持っている人が少なくはない。雑貨屋や食べ物屋をしている人はもちろん守備範囲がある。商売や専門家ではなくても、趣味で特定の国や地域の事をSNSなどで呟いている人も多くいる。

 

私の守備範囲は、カルガリーをはじめとするステップロード(草原の道)というもう一つの絹の道沿線だった。それらは結局は大いなる勘違いだった。

 

何故ステップロードか?キリトリだけで判断しても、生きている空と無限に広がる大地と、殺風景さが魅力です。それと心の原風景感、既視感。

 

私は、他人と守備範囲が被るのは極力避けたいと思っているたちです。他人の縄張りを侵害する事に抵抗がある、和をもって貴しと為す、おとなしい日本人なので、レッドオーシャンで過当競争に巻き込まれるシルクロード(オアシスロード(砂漠の道))よりも、ブルーオーシャンであるステップロード(草原の道)を好んだ。誰も「カルガリー」とか「サスカトゥーン」とか「ウィニペグ」なんて言うてる奴、おやんやろ!

という気持ちもあって、勘違いへの道をひたすら進んで行った。

 

シルクロード(オアシスロード)は、大都市がいっぱいあり、華やかでエキゾチックでエキサイティングなキラキラした世界です。

そんな世界なので自分の守備範囲に収めたいと思う人も数多い。

私は守備範囲が被ると、相手に迷惑を掛けてるような気になって、大変気まずくなり、関係がギクシャクするような気がします。服なんかと同じで、他人と被りたくないのです。

そんなんだから、ステップロードに逃げて、距離を置いてしまった。それもあるかも知れません。

 

私は人に迷惑かけちゃいけないことばかりを非常に気にするタイプなので、結局自己完結に陥りそこも「大いなる勘違い」を生み出す要因なのかも知れません。

 

店員側の人間は、完全にシルクロード(オアシスロード側)のリアル商人のようであった。とても羨ましかった。客も似た属性だった。これも羨ましかった。

 

私は倭属性なので、色々な意味でズカズカとは行けない。

 

この界隈の人々と互いに守備範囲を守りながら、中央ユーラシアを好む同志の喜びをシェアしたかった。

 

私は強い「和」の精神性を持っているので、人と仲良くするのが苦手です。人との間の長い物理的警戒範囲を心地よく感じる、孤独を愛する、集団にさせられるとウザくなるなどというたちですが、同志という距離感が丁度よいのではないかと思う。学校や職場などの好きでもない人と一緒くたに括られた中ではコミュニケーションが出来ません。すぐ、つまはじきになる気がして、気持ちがザワザワする。学校は勉強しに行くだけ。職場には仕事に行くだけ。そこに友達など必要ありません。

 

友達など要らない。仲間など要らない。欲しいのは「同志」だけです。

 

しかし家族も欲しいし、プライベートも充実したいです。親友と「トモダチ」は別の生き物だと思っています。

 

今書いているのは年が明けて、11月頃の大いなる傷心の頃と比べてだいぶ傷が癒えて来ました。

 

今振り返ると、自分はステップロード、カザフスタンを別の国と勘違いしてしまった。

それでもまだ中央アジアの尻を追っている。

何故か突き詰めて行けば、中央アジア、内陸アジア地域が好きだから、勘違いしてまでも追っていたんだという事がわかった。

 

行った事もないのに好きだというのはおかしい事だが、自分から積極的に得た情報や、足を運んだりして得たものの積み重ねによって、中央アジアに魅力を感じるようになった。

 

なぜ中央アジアや遊牧世界なのかの原点は、コロナ禍で全てを失った事に端を発し、これからの生き方の参考にしたいと思っていた事。

 

これからも中央アジア、ユーラシア地域にハマり続けたいと思っている。

 

 

 

コメント
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