今日は京都の鞍馬の手前にある、できて500年経つ『園通寺』に課外授業で行ってきました。
500年もの間、それこそ江戸時代から、守られてきている景観と庭と寺のあるところです。
畳の部屋に座りながら、真正面の簡素な日本庭園ごしに、比叡山のなだらかな山の姿一望できる、葉っぱ以外何も動かない静かない、まさに『静寂』な場所でした。
自然は、葉が風に揺れる以外、全く動かない、とても静かで穏やかなものなんだと、初めて知ることができました。
普段、目に入ってくる景色は、動いているものばかりで、いかに自然から掛け離れた生活をしているか、体のリズムがセカセカしているのかが、分かりました。
江戸時代には、徳川の将軍が拝観に来た(確か、そう話していました)というから、国を治める立場の人がここにきて、この静かな景観を見て、この比叡山を眺めながら、何を思っていたのかなと、同じ景観が観られて嬉しい、コミュニケーションをとれている気がして、嬉しくなりました。
きっと、その『静寂』の一時に、心の平安を感じていたのでは、と思いました。
ものを作るだけ出なく、いいものを守り抜く大切さも学びました。
撮影禁止だったので、今回は写真抜きです♪
500年もの間、それこそ江戸時代から、守られてきている景観と庭と寺のあるところです。
畳の部屋に座りながら、真正面の簡素な日本庭園ごしに、比叡山のなだらかな山の姿一望できる、葉っぱ以外何も動かない静かない、まさに『静寂』な場所でした。
自然は、葉が風に揺れる以外、全く動かない、とても静かで穏やかなものなんだと、初めて知ることができました。
普段、目に入ってくる景色は、動いているものばかりで、いかに自然から掛け離れた生活をしているか、体のリズムがセカセカしているのかが、分かりました。
江戸時代には、徳川の将軍が拝観に来た(確か、そう話していました)というから、国を治める立場の人がここにきて、この静かな景観を見て、この比叡山を眺めながら、何を思っていたのかなと、同じ景観が観られて嬉しい、コミュニケーションをとれている気がして、嬉しくなりました。
きっと、その『静寂』の一時に、心の平安を感じていたのでは、と思いました。
ものを作るだけ出なく、いいものを守り抜く大切さも学びました。
撮影禁止だったので、今回は写真抜きです♪