晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

ランキングばかりにとらわれる私達にチャレンジ精神を語る資格があるのか?

2011-01-15 13:15:31 | サッカー
 先日のアジアカップ予選リーグで、日本代表チームはシリア代表チームと戦った。
 戦前は世界ランク29位の日本が110位のシリアに負けるはずはない、負けてはならないと思われていた。というのも数日前に行われた同107位のヨルダン戦で、あろうことか終了間際のロスタイムにやっと追い付いた、という信じ難く恥ずべきプレーをした直後だったからだ。予選リーグの同じグループB組内ではサウジアラビアだけがライバルと思われていた。故に日本陣営にとって、このドローは全くの計算外であり許し難い屈辱だった。はじめ私は相手を舐めてかかった日本の油断が主たる原因と思っていた。
 ところが、キックオフの笛が吹かれて、時間が経つうちにそれが決して油断なんかではない事実を認めざるを得なくなってきた。中東チームはヨルダンもシリアもはるかに上手くなっていた。何よりもハードワークでありチームとしてクレバーであった。個々の力量では日本が僅かに上回る程度か、と思われた。これでは勝っても僅差、負けても決して不思議ではないであろう。
 中東の人びとはいつまでも「アラビアのロレンス」の頃の西洋から見た、愚かで浅墓な地位に甘んじてはいない。今回の必死なプレー、あのPK前の涙を流して祈る姿に私達はスポーツの持つ意味を軽く見ていたとしたら、不幸な日本人に留まっていることを恥じなければならない。
 日本だけがいつまでも過去にとらわれている。それはみみっちくしがみつくような甘えの象徴のように繰り返し放映される「ドーハの悲劇」に端的に表れている。確かに日本は当時やその前と比べて格段にサッカーは進化している。しかし、他国も同様か、あるいはそれ以上のものであることを素直に認めねばならない。それとも、スポーツ界でも「失われた十年」が継続しているのとでも言いたいのだろうか。
 勝てばいい、いつから日本のスポーツはそんな情けなく寂しい勝利感にしがみつくようになってしまったのか。一体、そんな勝利に美学はあるのか。若い人がスポーツから離れていく理由は、こんな狭小な保守主義になんら魅力を感じないからではないのか。チャレンジ精神の不足を嘆く大人の恥ずべき自己矛盾に気が付いていないのは当の大人だけだ。
 加えて、マスコミはそんな情勢を知ってか知らずか私達に知らされるのは、こうしたランキングに代表される日本有利なプロパガンダだ。事実は、ワールドカップで決勝トーナメントに残ったことだけなのに。こうしたマスコミの姿勢は勝つことだけに喜びを誘導し、サッカーをはじめスポーツの有する魅力を半減させてしまっている。
 そろそろ私達はスポーツを権威の世界から引きずりおろし、普通の人が普通に楽しめる文化を取り戻すべき時代が来ていることを自覚し、訴えていきたい。

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